シャトー創業関連文書も 明治期の牛久伝える 飯島家資料の調査本格化 茨城

飯島家の主屋から見つかった「地所売買約定証」(牛久市提供)

江戸時代の牛久宿を取り仕切った飯島家の所蔵資料の調査が本格化している。同家から土地や建物の寄贈を受けた茨城県牛久市は3月末までに主屋から約500点の資料を調査し、日本遺産のワイン醸造場「牛久シャトー」の創業者、神谷傳兵衛(1856~1922年)にまつわる文書も見つかった。担当者は「明治時代の牛久を知る上で非常に貴重な資料」と語る。

寄贈されたのは、飯島家の土地約2100平方メートルを含め、敷地内にある木造2階建ての主屋と蔵など計8棟。昨年6月に市に寄贈された。

市文化財・牛久シャトー活用推進室によると、牛久宿は現在の同市牛久町付近にあり、飯島家は「問屋」として牛久藩との間を取り持ち、宿場を仕切る役割だった。1884(明治17)年、陸軍近衛砲兵大隊の演習が女化原(現女化町)で行われた際、飯島家は明治天皇の宿舎として主屋を提供した。

昨年度の調査では約500点の資料を確認し、神谷がシャトーを立ち上げた経緯に関わる文書など約60点も含まれていた。中でも注目の文書は、シャトーの土地購入のために作られた「地所売買約定証」と「約定証」。同室の担当者は「神谷の牛久進出について、飯島家が大きな役割を担っていたことが判明した」と成果を強調する。

「地所売買約定証」には98(同31)年10月、当時の飯島家の当主、飯島元蔵らが神谷傳兵衛の代理人となり、岡田村柏田地内河原代(現中央ほか)の民有地約111万平方メートルを購入する取り決めが記されていた。土地代金は「壱万参千七百円」。現在の価値で約5200万円相当という。

もう一つの「約定証」からは、土地の売り主が水海道銀行創立時の取締役、青木嘉平治ら3人だったことが明らかになった。文書に代理人や代金が記載されていないため、正式な契約の前に作られた下書きや素案の可能性が高いという。

市は土地売買に関する資料などから、飯島家とシャトーのつながりが証明されたとして、資料と住宅を日本遺産の構成文化財に加えることも視野に、シャトー関連資料の調査を最優先で進める。

「地所売買約定証」などの資料はシャトー内の日本遺産ビジターセンターで26日まで公開している。午前10時~午後4時。

明治天皇が初めて本県を訪ねた際に宿泊した主屋屋=牛久市牛久町
牛久藩第12代(最後)の藩主、山口弘達の書(上)などが飾られた主屋=牛久市牛久町

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