トヨタ セリカ1600GT(昭和45/1970年12月発売・TA22型)【昭和の名車・完全版ダイジェスト061】

この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第61回目は、スペシャリティカーの魅力を日本に知らしめたトヨタ セリカ1600GTの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

「恋はセリカで」のCMで鮮烈にデビューした 元祖スペシャリティカー

日本で「スペシャリティカー」という新しいジャンルを定着させたモデルがセリカであると言っていいだろう。ではスペシャリティカーの定義とはなにか?となると難しいが、「スポーツカーでもセダンでもなく、しかしスポーティなムードも持つ」モデルといったところであろうか。

スペシャリティカーというコンセプトを日本に持ち込んだのがセリカだった。ふくよかなラインから「ダルマ」という愛称が付けられて、以後絶大な人気を持つことになる。

そのセリカのデビューは昭和45(1970)年12月のことだ。兄弟モデルのカリーナとともに発売されることになった。

ちなみにセリカとカリーナはパワーユニットからギヤボックス、シャシなどをすべて共用しながら、クルマの性格やボディスタイルはまったく別という兄弟車で、高性能スポーティセダンのカリーナに対して、スペシャリティカーを謳ったのがセリカであった。

このセリカの中でも最強力モデルが、DOHCエンジンを搭載して走りに振った「セリカ1600GT」である。

搭載エンジンは4気筒DOHC、1588cc、115psの2T-G型で、トヨタによる量産型DOHCエンジンの先駆的存在ともなった名機である。ボア×ストローク比は85.0×70.0mmのショートストロークで高回転化を可能とし、圧縮比は当時のエンジンとしては高い9.8として燃焼効率を高めた。

半球形の燃焼室の頂点にスパークプラグをセットするというのも、今となっては古典的ながら当時としては憧れのシステム。燃料供給はソレックスキャブレター2器をもって行われる。当時は希少価値の高かったDOHCを身近にしてくれたという功績は何よりも大きいものだった。

セリカ/カリーナ用に開発され た2T型(1.6L 直4OHV)エンジンに、ヤマハチューンのDOHCヘッドを架装した2T-G型 ユ ニットは 当 時の憧れのエンジンだ。

セリカ・シリーズは用意されたエンジン、ギアボックス、内装、外装などをユーザーの好みでオーダーするフルチョイスシステムなる仕組みを採用したが、 1600GTだけはこの2T-G型DOHCをはじめ、内外装の仕様もすべて専用となり、下位グレードのLT、ST、ETとの差別化を図った。

スタイリングは発売前年の昭和44(1969)年10月の東京モーターショーに出品されたプロトタイプモデル「トヨタEX-1」のそれを生産型に生かしたもので、空力的にも優れた斬新なそのフォルムは、発売直前の東京モーターショーでも大きな人気を呼んでいた。

当時は直線基調のボディが多い中で、巧みに曲線を使用し全体のイメージをシャープにしていたのが印象的だ。ボディに組み込まれた一体式バンパーも新鮮であった。当時はこのスタイルだけでも憧れのクルマとするに十分だったと言える。

それまでの国産車の直線基調のデザインから解き放たれたセリカは特別な雰囲気があった。砲弾型のフェンダーミラーやリア上がりのクラウチングスタイルも精悍だ。

さらに他グレードと差別化を図るためにセリカ1600GTは、ブラックのハニカムグリルやGTの文字入りサイドストライプ、ブラック一色の内装などで精悍さを強調して、より若者層を中心に魅力をアピールした。

優れた空力と合わせて最高速度は190km/h モータースポーツでもその速さを見せつける

2T-Gに組み合わされるギアボックスも5速MTのみで、最高速は190km/hというスポーツカー並みの性能を発揮していた。パワーウインドウや合わせガラスも標準で装備されている。

シートも1600GTもブラックレザーのバケットタイプとなる。着座位置は低くスポーツカー的。シフトレバーは長いが、シフトフィールはカチッカチッと決まるものだった。

セリカ1600GTVは昭和47年(1972年)8月に追加設定された「走り」のモデルとなる。パワーウインドウやAM/FMラジオなどを取り外して装備の簡素化を図り、代わりに専用のハードサスペンションや185/70HR13のワイドラジアルなどで足回りを強化した、走りに徹したマシンだった。

ちなみに1600GTVの「V」はビクトリー(勝利)の頭文字から取ったという「勝つため」のマシンでもあった。ただし搭載する2T-G型DOHCはGTと同じで、最高速の190km/hも変わらない。以降、トヨタのモータースポーツベースとなるグレードにはたびたびGTVの称号が付けられることになる。

セリカのレース活動も、GTV登場前の昭和46年後半あたりから開始されていた。その一部を紹介すると、昭和46(1971)年11月のオールスター・レース、翌47年3月の全日本鈴鹿自動車レース、同じくグランドチャンピオンシリーズ第1戦で、セリカ1600GTはそれぞれクラス優勝している。

また、同年4月のレース・ド・ニッポン、5月の日本GPツーリングカーレースと鈴鹿1000kmレース大会、7月のオールスター・レース、 11月のツーリスト・トロフィー・レースでいずれも総合優勝と、めざましいものだった。

バンパー一体でデザインしたフロントビューが特徴的だ。

海外でも、昭和47年、48年のRACラリーで連続クラス優勝を飾ったのをはじめ、49年の南アフリカ・トータルラリーの総合優勝、ニュルブルクリンク・ツーリングGPでクラス優勝、49年、50年のマカオGPの連続総合優勝、50年のスパ・フランコルシャン24時間のクラス優勝など、レースはもとよりラリーでも輝かしい戦績を残している。公にはスペシャリティカーといいつつも、そのスポーツマインドは非常に強いものがあったのだ。

昭和48(1973)年4月にはLB(リフトバック)シリーズの追加設定で、ラインナップがさらに充実している。これは昭和46(1971)年秋のモーターショーに参考出品されたコンセプトカー、「トヨタSV-1」のプロダクションモデルた。

リアビューを米国のフォード マスタングを思わせるスポーティなデザインとしたのが特徴で、ファストバックの後端をヒップアップさせて、リアエンドに5分割のコンビネーションランプを組み込んでいる。

セリカLB1600GTも登場しているが、排出ガス規制の強化で、50年11月から、2T-GR型(レギュラー仕様)はしばらく生産中止という憂き目に遭い、1600GTはスペシャリティカーという新たなジャンルを開拓しながらも、一時姿を消している。

1600STのリアビュー。リアもバンパー一体のデザインが印象的。シンプルさとファッショナブルを両立しているイメージとなっている。

その後、昭和51(1976)年にマークⅡ GSSに搭載されていた2000cc直4DOHCの18R-G型エンジンを搭載したセリカLB2000GTが昭和51年度排出ガス規制に適合車となっている(発売は昭和49)が、そちらは頁を改めて解説しよう。

VARIATION<レースで勝つために生まれたマシン>

昭和47年(1972年)8月に追加設定されたセリカ1600GTVは、スパルタンでレーシーなモデルだった。パワーウインドウやラジオなど快適豪華装備は一切なし。レース参戦を念頭に、徹底的に軽量化が図られる一方で。サスペンションは専用のハードタイプを装備していた。エンジンに変更はなかったが、レースで勝つことだけを考えてセッティングされていた。

EPISODE

昭和44年(1969年)の第16回東京モーターショーはトヨタが出展した「トヨタEX-1」に話題騷然となった。アメリカではサンダーバードやマスタングといった「スペシャリティカー」が人気を集めていたが、トヨタEX-1は日本にもそんな時代が来ることを予感させた。翌45(1970)年10月、それを現実化したセリカが市販された。

トヨタ セリカ1600GT(TA22型)諸元

●全長×全幅×全高:4165×1600×1310mm
●ホイールベース:2425mm
●車両重量:940kg
●エンジン型式・種類:2T-G型・直4DOHC
●排気量:1588cc
●最高出力:115ps/6400rpm
●最大トルク:14.5kgm/5200rpm
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:6.45H-13-4PR
●新車価格:87万5000円

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