地域守った歴史刻む 住民が記念碑 有吉堤100年

 「あばれ川」といわれた100年前の多摩川の治水の歴史を後世に残そうと、川崎市中原区の住民有志らが「有吉堤竣工(しゅんこう)百年の記念碑」を同堤防跡の残る中丸子児童公園(同区中丸子)に建立した。30日の除幕式を前に、住民有志は「有吉堤の建設を機に、国は治水政策を転換した。郷土、地域の誇りとして後世に伝えたい」と話している。

  堤防は現在のガス橋や同公園、下沼部小学校などの近くに2・18キロにわたって造られた。住民らは、建設に尽力した有吉忠一知事に感謝を込めて「有吉堤防」と呼ぶ。

 建設の発端となったのは、1914年の「アミガサ事件」。相次ぐ水害に困った御幸や住吉などの住人が、編みがさをかぶって県庁に大挙押し掛け、堤防建設を陳情した。行政は動かなかったが、翌15年に有吉知事が就任すると、間もなく道路改修の名目で代用堤防の建設工事が始まった。

 対岸の東京側で反対運動が起き、国は中止命令を出したが、有吉知事は工事を続け代用堤防は16年に完成。知事は国からけん責処分を受けた。

 その歴史を残そうと、地元や市内、都内の有志らが2013年に「アミガサ事件100年の会」を結成。14年には、事件で住民が集結した八幡大神(同区上平間)に「アミガサ事件100年の記念碑」を建立した。さらに今年5月「有吉堤竣工百年の会」(野口守重会長)が発足し、約500万円の寄付を集めて記念碑の建立にこぎつけた。

 「多摩川の治水は、それまで東京側に被害が出ないように行われていたが、これを機に左岸右岸ともバランスを取った治水が行われるようになったという。しかも、この時代の堤防が2キロも残っているのは珍しい」と野口会長らは話す。

 記念碑は、アミガサ事件碑と同じ小田原の根府川石を使い、高さ約1・6メートル(土台含む)、幅70センチ。有吉知事の写真や代用堤防の古地図などが入った解説板も設置する。除幕式には同知事の子孫も招き、先達の偉業をたたえる。

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