【特集】プーチンが愛した“やわら” 日ロ柔道物語(1)

講道館で柔道の練習に参加、技を決めるロシアのプーチン大統領=2000年9月、東京都文京区
ロシアとの柔道交流について語る山下泰裕氏=10月、神奈川県平塚市の東海大学
プーチン大統領に柔道を教えたラフリン氏(左)=提供写真

 12月に日本を訪問するロシアのプーチン大統領は柔道愛好家として有名だ。かつて来日した際に講道館で自ら技を披露、けいこで覚えた「引き分け」という言葉を会見で語り、北方領土問題の打開を試みたことは記憶に残る。こわもて、タフガイぶりが強調されるプーチン氏だが、柔道を通じて日本人の心に触れ、考え方を学んだとされる。尊敬するのは創始者の嘉納治五郎師範、五輪メダリスト山下泰裕氏。ロシア最高の権力者がなぜ日本の格闘技に魅了されたのか。日本とロシア100年の柔道交流の歴史を関係者の証言や資料でたどりながら、プーチン氏に至る系譜にスポットを当てた。

 ▽柔道着の大統領

 「プーチン大統領ならよくご存じの、ロシアに初めて講道館柔道をもたらしたワシリー・オシェプコフは(この地で)最初の道場を開いたそうです」。9月3日、安倍晋三首相は極東ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムに出席。全体会合の演説で、日本ではあまり知られていないロシア柔道の父とされる人物について言及した。

 柔道に並々ならぬ関心を抱く、新たな国家指導者プーチン。日本側がそう実感したのは16年前の2000年9月にさかのぼる。この年、初めて大統領に就いたプーチン氏は東京・文京区の講道館を訪れ、森喜朗首相(当時)、山下氏が見守る中、「畳の上に立つと、自分の家にいるような気がする。家族と一緒にいる気持ちになる」とあいさつした。47歳の若き大統領は、講道館のベテラン選手を相手に一本背負い投げ、ともえ投げなどキレのある連続技を繰り出した。最後に花束を贈呈した子どもの女子選手を練習けいこに誘い、自ら投げ飛ばされるハプニングも演出した。

 8月中旬にロシア原子力潜水艦がバレンツ海で沈没、乗員118人全員が死亡する史上最悪の事故が起き、発足間もない政権の基盤は揺らいだ。森氏との首脳会談以外、予定されていた行事はほとんどキャンセルとなったが、講道館訪問はプーチン氏の強いこだわりで実現したという。

 ▽恩師の影響

 当時、けいこ相手となった講道館の向井幹博さんは「力で持って行く柔道を想像していたが、講道館の本来の柔道だった。柔軟な動きから日ごろから練習を積み重ねてきていることが分かった」と当時を振り返る。礼に始まり、礼に終わる柔道のマナーもしっかり身に着けていた。交友のある山下氏は「恩師の影響が大きい。柔道精神を人生や日常生活に生かすことを学んでいる」と指摘する。

 日本発祥の武道の世界にいざなったのはアナトリー・ラフリン氏。3年前に75歳で亡くなった。サンクトペテルブルクで柔道クラブを主宰していた1965年、プーチン氏が入門した。ラフリン氏は27歳、プーチン氏はまだ13歳だった。やんちゃ盛りで、けんかが強くなりたいというのがプーチン少年の願いだった。ラフリン氏が知人に語った話によると、最初は、道場では目立たなかったが、自分より大柄な選手に立ち向かっていく姿が印象的だった。ある時、絞め技で負けたことを大変悔しがり、激しい練習をして力をつけ、同じ選手との試合を希望して、今度は逆に絞め技で勝ったという。

 ▽権力者のスポーツ

 ラフリン氏は「柔道はただのスポーツではない、フィロソフィー(人生哲学)である」と弟子たちに語ってきた。勝つことだけにこだわるのではなく、何よりも困難に直面することを恐れず、仲間と一緒に人格を高めていく。そこには本来の柔道に通じる理念があった。勝つことが至上命令だった旧ソ連スポーツ界で過ごしながら、ラフリン氏のそういう言葉にプーチン氏らは影響を受けたとみられる。

 山下氏に対して、ラフリン氏は柔道家として大変好感を持っていた。ある世界選手権で近づいて来てこう話した。「山下さん、見てください。これが柔道ですか」。頭と頭を突き合わせて、取っ組み合う試合風景を見苦しいといい、「強く美しい柔道に回帰したい。どうか協力してください」と依頼した。師が敬愛する人に、弟子も同じような思いを抱く。柔道交流の場で、山下氏はプーチン氏から敬意を表され、親しく会話することもあった。一方で、ロシアの最高権力者として、柔道界の動向について逐一報告が上がってきていたという。「どうしてそういう私の言動まで知っているのだろう」。山下氏はプーチン氏と会うたびに驚くことが多かったという。

 プーチン氏は大学卒業後、KGB(旧ソ連国家保安員会)に勤め、情報活動にかかわる。最初に安倍首相が演説で引用したロシア柔道の父、オシェプコフ氏は若きころ、東京で神学校に通い、嘉納師範から柔道を学んだ後、帰国した。やがて、ロシア革命の中で赤軍に身を投じていくことになる。時代を超えて何かがダブる。(共同通信=柴田友明)

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