情報の「生命線」に 災害時の新聞発行考え 横浜でシンポ

 「大災害に備えて−災害時に新聞発行を継続するために」と題したシンポジウムが28日、横浜市中区のニュースパーク(日本新聞博物館)で行われた。東日本大震災や熊本地震の教訓を地元紙の経営者や記者らが語り、正確な情報を届ける「ライフライン」としての役割を再確認した。

 1部では、災害時に直面した課題や苦労について河北新報社(仙台市)と熊本日日新聞社(熊本市)が報告した。かねて宮城県沖地震の危険性が指摘され、印刷工場の免震化などを済ませていた河北の一力雅彦社長は「何としても被災地に新聞を届けるとの思いで取り組んだが、備えていたものしか役に立たなかった。何とかなるとか、幸運を当てにしても無駄」と備えの大切さを指摘した。

 熊日は熊本地震で輪転機が停止。どうにか印刷した紙面の一部を交通の寸断で配達できない状況となったが、被災者目線の編集方針を貫く。河村邦比児社長は「避難所には新聞の生活情報が切り抜いて貼ってある。私たちは新聞の力をもっと信じていい」と訴えた。

 2部のパネル討論は編集現場のあり方がテーマ。関連死を含め77人が死亡した2年前の土砂災害で、臨時の現地支局に詰めた中国新聞社(広島市)の久保田剛記者は「二次災害の恐れがある中、2人一組で取材に当たった」と振り返り、迅速な状況把握と安全確保を両立させる難しさを語った。

 テレビも含め取材が集中する一方で、報道がされず「忘れられた被災地」と形容される地域が出てしまう問題は、東北でも熊本でもみられた。その結果、「義援金の額に差が出た」と反省点を挙げた河北の武田真一防災・教育室長は、復興の過程を丹念に報じることで信頼回復に努めたとし、「人と人をつなぎ、人々の思いをすくいとるような取材や紙面作りが地方紙の役割」と強調した。

 シンポは日本マス・コミュニケーション学会との共催。全国紙や地方紙、関連業界などの関係者が参加した。

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