身内が法務省に翻した〝反旗〟  元少年院長ら異例の反対声明

By 佐々木央

少年法適用年齢引き下げに反対する声明について記者会見する小田原少年院の八田次郎元院長(中央)ら=東京・霞が関の司法記者クラブ

 少年の犯罪や非行には、大人とは別の手続きが用意されている。それが「少年法」だ。対象は現行法では20歳未満。それを18歳未満に引き下げることを、法務省の法制審議会が検討している。

 これに対して、少年院の元院長有志が反対の声明を発表した。「有志」といっても、87人が名を連ねている。少年院は法務省矯正局の所管。そこで働く院長も法務教官も法務省職員であり、いわば法務省の身内である。OB・OGとはいえ、公務員の世界でこれだけの多くの人が〝反旗を翻す〟のは、異例だろう。

 裁判所サイドでも反対の動きがあった。少年の犯罪や非行を最初に調べるのは多くの場合、警察だが、そこから事件は家裁に送致される。その家裁の元調査官たちが反対声明を出している。こちらは255人の連名、賛同者は37人に上るという。

 家裁調査官は、少年や家族や関係者と面接し、いまの状況や生育歴を調べて、適切な処遇を探る。いわば事件を起こす前後の少年をよく知る人たちだ。一方、少年院は少年たちの「事件後」に深く関わる。

 その両者が少年法適用年齢の引き下げに反対だという。いったい何が問題なのか。

 ことの始まりは2015年に施行された「18歳選挙権」だった。18歳を大人と認めて選挙権を与えるなら、当然、民法や少年法も大人として扱うべきだ。権利を与えるのに、保護を残すなら、少年を甘やかすことになる。そういうバランス論がある。

 民法は先行して改正され、2022年4月から18歳に引き下げられる。携帯電話を契約したり、部屋を借りたり、クレジットカードをつくったりできるようになる。本稿はその是非には踏み込まない。

 では少年法もそれでいいのか。

 「私たちは『買われた』展」が2016年から各地で開催されている。援助交際や風俗産業で糧を得ていた少女たちが、なぜそうしなければならなかったのかを、彼女たち自身の言葉と写真で表現する巡回展だ。遅ればせながら最近、見る機会があった。

 目を背けたくなるような現実が、パネルやノートに次々につづられていた。

 親の暴行・暴言や性的虐待、放置、貧困…。何日も同じ服を着ているのに、何日も風呂に入っていないのに、学校の先生は見て見ぬふりをする。助けを求めても警察や児童相談所は冷たい。居場所や食べものさえも失って夜の街に出る。そこに“優しい男”が近づいてくる。暴行されたり、動画を撮られたり、妊娠させられたり。

 自分が犠牲になることで他の子たちを救っている。そう錯覚していく少女もいる。それがあまりにも悲しい。

 少年法は罪を犯した少年だけでなく、虞犯(ぐはん)少年も保護の対象にしている。「虞犯」とされるのは、保護者の監督に服しないとか、家に寄りつかないとか、不道徳な人と交際したり、いかがわしい場所に出入りしたりしているといった少年少女たち。

 適用年齢が引き下げられたら、この「買われた」展に参加した少女たちのような境遇にあって、18歳・19歳の場合には、保護が及ばなくなる。

 元少年院長に聞いた少女のケースも紹介したい。幼いころに父親と死別、母子家庭で育った。高校を中退し、家計を支えるためホステスをしていたが、客の1人に付きまとわれ、軟禁されて「逆らうと母親を殺す」と脅される。自分が死ぬか、相手を殺すかしかないと思い詰め、包丁で刺殺してしまった。少年審判で少年院送致となる。

 少年院では介護サービスを学んだ。対人関係や生き方について考えを深めた。事件の責任は自分にもあったと内省できるようになった。出院後、特別養護老人ホームに就職したという。事件当時18歳。成人扱いしたら、彼女は救われなかったかもしれない。

 元少年院長たちの反対声明は、年齢引き下げが不当である理由を6項目にわたって詳細に述べるが、ここでは前文の一部を紹介したい。

 「適用年齢が引き下げられますと、少年に早期に犯罪者の烙印(スティグマ)を押すことに繋がり、社会復帰を困難にするのではないかと危惧しております」

 「十分な働き掛けをしないまま非行・犯罪を重ねさせ、周りの人に葛藤を生じさせ被害を及ぼしてしまうのか、保護的措置をし、保護観察や矯正教育を行い、社会の有為な人材とするかは、少年の人生にとって、また社会にとってどちらが有益なのか、自ずと明らかです」

少年法適用年齢引き下げに反対する理由を記者に説明する元家裁調査官の伊藤由紀夫さん(中央)ら=東京・霞が関の司法記者クラブ

 元家裁調査官らの声明は「そもそも、各法律の適用年齢は目的に沿って法律ごとに定められるべきものであり、国法上一律に揃える必要は全くありません」とバランス論を一蹴する。その上で引き下げた場合、保護の対象外になる少年たちの実態に踏み込む。

 「18歳・19歳の非行少年たちの成長・発達の実情・実態に即して考えるなら、高校卒業、進学・就職という人生の転機を迎える年齢でありながら、経済的・社会的には未成熟であり、そのつまずきが少年非行という形で現れるケースもある」

 そのうえで次のように断言する。

 「成長・発達の力(可塑性の高さ)や生活環境の変化等によって、立ち直り、社会適応を遂げる可能性が極めて大きい年齢であることは疑いがありません。(中略)18歳・19歳を少年法の適用年齢から外すことは、本人の更生にとっても、再犯を防止して安全な社会を作るうえでも、百害あって一利なしです」

 どちらの声明も、現行法を維持することが、社会にとって有益であると述べるが、主眼は非行少年自身の立ち直りにあるようだ。さまざまな事情から道を外れかけた少年たちに、長く寄り添ってきた人たちの真情だろう。

 非行とどう向き合うのか。立ち直りへの応援を続けるのか、独力で立ち上がれと突き放すのか。2つの声明の問いは、法制審議会だけでなく、社会全体に投げかけられている。

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