虎最強助っ人から受けた衝撃 “平成の大エース”斎藤雅樹氏「ストライク投げたら…」

通算180勝を誇り“平成の大エース”と言われた斎藤雅樹氏【写真:荒川祐史】

1983年から2001年まで巨人を支えた右腕が回顧「よく打たれたのは立浪」

 プロ生活19年。1989年代後半から1990年代の巨人で先発ローテの柱として活躍した斎藤雅樹氏は、数々の名場面を生み出してきた。1993年から5年連続で開幕投手を務め、沢村賞に3度輝いた名投手。1994年には、後に「10.8決戦」と呼ばれる中日との“優勝決定戦”に2番手として登板し、5回を1失点に抑えて球史に残る名勝負を制した。

 対戦した打者は数限りない。今、当時を振り返ってみると「よく打たれたなと思うのは立浪(和義)ですね」という。立浪氏は現役時代「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた中日のスター選手。1987年ドラフト1位でPL学園から中日に入団すると、高卒ルーキーながら開幕戦に「2番・遊撃」でフル出場し、2009年に引退するまで中心選手であり続けた。通算2480安打、二塁打は日本最多487本という記録を持つ左の好打者は脅威の存在だった。

「やっぱりバットに当てるのが上手かったし、芯で捉えるのも上手かった。彼も1年目からずっと出ていたから、それだけいっぱい対戦したっていうことなんだけど、アイツにはよく打たれたイメージがありますね。まあ、ヒット1本2本打たれても、大事なところで打たれなければいい訳だから(笑)。

 それにしても当時の中日は強かった。落合(博満)さんには痛いところで打たれましたね。いい投手も揃っていて、まさに投手王国。(山本)昌とか今中(慎二)とかいた時ね。その前も小松(辰雄)さん、鈴木孝政さん、郭源治さん……いいピッチャーばかりでした」

王貞治氏の年間本塁打記録に並ぼうとしていたバースに勝負を挑んだところ…

 もう1人、プロ野球選手としてまだ駆け出しだった頃の斎藤氏に、強烈な印象を残した打者がいる。それが阪神で最強助っ人の呼び声が高いランディ・バースだ。1983年に来日した左の強打者は、2年連続3冠王という偉業を成し遂げた男。斎藤氏が肝を冷やしたのは、1985年の最終戦、10月24日に後楽園で行われた一戦だった。

「その年、阪神が優勝したんだけど、最終戦でバースが王(貞治)さんのホームラン記録(55本)に並ぶか並ばないか、あと1本まで迫っていたんです。僕もその日、防御率のタイトルがかかっていて。ただ、先発して8回くらい(8回1/3)をゼロに抑えたら抜く、という厳しい条件ではあったんですよ。

 その試合前に、バッテリーコーチから『王さんの記録を抜かせるわけにはいかないから歩かせろ』って指示が出てね。1打席目はもちろんフォアボール。客席はもう大ブーイングですよ。それでも僕だって自分の監督の記録は抜かれたくないから『しょうがない』と思いながら投げていた。でも、3打席目であまりのブーイングにいい加減頭にきちゃって『もうストライク投げちゃえ』って投げたら、ガツーンとセンター前に打たれてね(笑)。いや、危なかった、危なかった」

 結局、バースに本塁打を許さず、王氏の記録が破られることはなかった。だが、試合には敗れ、斎藤氏も防御率タイトルを逃し、「そんなに上手くはいかないね」と苦笑いで振り返る。バースとの苦い思い出はこの試合だけに限らず、「バースのホームラン2本で0-2で負けた記憶もある」とか。

「あまり対戦はなかったけど、やっぱりバースはすごかったですね」

 名勝負を繰り広げた日々の記憶は、今でも鮮やかに脳裏に甦ってくる。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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