「罰走」「特守」「うさぎ跳び」も… 日本にまだ残る「罰練習」は何故良くないのか

日本の野球では、試合に負けた時などに「罰練習」と呼ばれる“ペナルティー”が課されることがある

スポーツは本来「楽しむもの」、罰は「楽しさ」を奪うことに…

 日本の野球では、試合に負けた時などに「罰走」と呼ばれる“ペナルティー”が課されることがある。アマチュア野球でよくみられるが、プロ野球でも行われることがある。

 高校野球では、試合に負けると、指導者が選手をバスから降ろして球場から学校まで走って帰るように命じるときがある。夏季には熱中症などのリスクがある。「罰走」だけでなく、失敗した選手にうさぎ跳びを課したり、失策した選手に「特守」と称して長時間のノックを課したりすることもある。こうした「罰練習」の問題点について考えてみよう。

 第一に、「負けたこと」「失敗したこと」に対して「罰を与える」ことの問題。

 スポーツは勝敗を争うものだ。勝つことも負けることもある。それに失策や三振など失敗することもある。選手は勝つだけでなく、負けや失敗を経験する中で成長していく。

 負けたこと、失敗したことで立ち止まって考えることで、成長する。負けることも失敗することも十分に意味がある。指導者が「なぜ負けたんだ」「なぜ失敗したんだ」と選手を責めれば、選手は委縮する。こうした指導が続けば選手は「失敗して指導者に叱られないこと」を念頭に入れてプレーするようになる。追い込まれた選手は、失敗を恐れない思い切ったプレーをしなくなる。自分で競技について考えることもしなくなる。スポーツとは本来「楽しむ」ものだが、罰を与えることは「楽しさ」を奪うことでもある。

練習も「適量」を越えれば怪我のリスクが高まる

 第二に、選手個々の「適切な内容、量」を無視して練習させることの問題。

 ランニングにしても、うさぎ跳びにしても、ノックにしても、練習には本来「目的」がある。ランニングは全てのスポーツの基本であり、脚力をつけ、下半身を鍛錬するとともに心肺能力を高めるために必要な練習だとされる。しかし現代のアスリートは、ランニングの効果については「限定的」とする人が多い。ランニングのし過ぎは、足、膝、腰を痛めるリスクが高まるし、走り込みで筋力を高めるのは非効率だともいわれている。

 ウォームアップとして走ることは有効だが、それ以上の効果は期待できないという見方が強い。かつては、野球選手は「走ることが一番重要」と言われた。ベテランの解説者には「今の選手は走らないからダメだ」と言う人もいるが、今は、ランニングに対する評価は限定的だ。うさぎ跳びは、かつては足腰の強化に役立つと言われてきたが、下半身を痛めるとして禁止をする指導者が多い。しかし今も一部の指導者はやらせている場合がある。

 ノックによる守備練習は、守備力を高めるためには必要だが、これも量や時間によりけりだ。長時間ノックを受けると疲労のため、集中力がなくなり、怪我の危険が高まる。また捕球態勢が崩れることもある。長時間ノックで、守備が下手になる恐れもあるのだ。

「罰練習」を課す指導者は「練習はやればやっただけ鍛えられる。罰練習は、練習量が増えるのだから、プラスだ」という考えだ。しかし練習には「適量」があり、それをオーバーすれば健康障害などマイナス面が大きくなる。「苦しい練習に耐えることで精神力が鍛えられる」という指導者もいるが、現代は「どんなことでも黙って辛抱する」人材よりも、「自分で考え、選択する」人材が評価される時代だ。

 端的に言えば「罰練習」は、指導者と選手の上下関係をはっきりさせ、有無を言わさず選手を従わせるための手段だと言ってよい。「罰練習」を課す指導者は「選手を言葉で納得させることができないから、練習を強要している」とみなすことができる。「罰練習」は、日本以外ではあまり見られない。「野球離れ」に歯止めをかけるためにも、見直す必要があるだろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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