2005年ロッテ日本一にあったチームの絆 絶対的守護神が明かす秘話

2005年のロッテを率いたボビー・バレンタイン氏【写真:Getty Images】

守護神・小林雅英さんは今江を「ゴリ」、西岡を「小僧」と呼んだ、その理由は「距離感」

かつてロッテの守護神として活躍し“幕張の防波堤”の異名を取った小林雅英氏。現役時代を語る上で絶対に外せないのが、ボビー・バレンタイン監督の下でシーズン2位からプレーオフ、日本シリーズを勝ち上がり、日本一に輝いた2005年の経験だ。同年に29セーブを挙げてタイトルを獲得した小林氏が、その舞台裏を明かした。

2005年のロッテでは、当時22歳の今江敏晃氏(現楽天2軍育成コーチ)、21歳の西岡剛氏(ロッテ、阪神など)が台頭し“ボビーチルドレン”と呼ばれた。小林氏は今江氏より9歳上、西岡氏より10歳上だが、内野を守る2人とは絶妙の距離感を保っていた。

「僕は今江を『ゴリ』、西岡を『小僧』と呼び、僕のことは『マサさん』と呼ばせていました」と振り返る。そして「あいつらがどこか遠慮して『小林さん』と呼ぶような関係では、お互いやりづらかったと思うのです。先輩・後輩はちゃんとあるのですが、グラウンド内ではほどよい距離感が必要。僕にとって投げていてマイナス、彼らにとっても守っていてマイナスになるような距離感は絶対ダメだと思います」と説明した。

年齢の上下に厳格な、いわゆる体育会系とはちょっと違う、伸び伸びした雰囲気が当時のロッテの魅力であり、チームの底力の源泉でもあった。

そもそもこうした雰囲気は、小林氏よりさらに9歳上の小宮山悟氏(現早大監督)、左腕の高木晃次氏といったベテラン投手が作ったものだったという。

「僕が新人の頃に話しかけることもできなかった小宮山さんと、横浜(現DeNA)に移籍され、米大リーグ・メッツを経て、さらに1年間浪人もされて、2004年にロッテに帰ってきた“コミさん”とはまるで別人でした」と述懐する。「コミさんや高木さんが初回からブルペンに入って、いつでも行ける準備をしながら、僕らが緊張せず、ふざけられるような環境をつくってくれていた」ことがチームの一体感を生んだという。

「当時のパ・リーグは、どの球団もそういう雰囲気が強かった」とも語る。「西武の(松坂)大輔が若い頃に髪を“まっ金金”に染めた時も、年上のデニーさん(友利結氏・現巨人海外スカウト担当)や貴さん(石井貴氏・現楽天2軍投手コーチ)が、許容しながらも、ちゃんとパフォーマンスはするようにコントロールしていた」と指摘した。

現在のロッテについては「当時に比べると、我が弱くておとなしい」と感じているとか。かつてのロッテに近いのが、やんちゃな24歳・森友哉捕手を擁する西武だという。「年上の山川が、森を認めるところは認めながらコントロールしている。さらに野手最年長コンビのおかわり君(中村)と栗山もしっかりしている。そういうチームは強い。年下の選手が伸びますよ」とうなづいた。

日米通算234セーブを挙げた小林雅英氏【写真:編集部】

小林氏が阪神・藤浪をもしもコーチングするとしたら…?

2005年の成功経験は、小林氏が現役引退後にオリックスで3年間、ロッテで4年間投手コーチを歴任し、昨年から日本女子プロ野球リーグのコーチを務めている上で、教訓となっている。最初に「『小林さん』とか『小林コーチ』と呼ばないでくれ。『マサさん』と呼んで。俺も、失礼かもしれないけど、君たちを下の名前かあだ名で覚える」と語りかけたという。

そんな“コーチ目線”で見た場合、いま球界で気になる選手の1人が、阪神の藤浪晋太郎投手だという。ルーキーイヤーから3年連続2桁勝利をマークしながら、以後伸び悩み低迷が続いている。

「コーチという形ではなくても、1度携わってみたいですね。彼がどんな人間で、どんな野球観を持っていて、あれだけのパフォーマンスができていたのに、どうして変わってしまったのか」と興味を示した。

もちろん、仮に藤浪との対面が実現したとしても、コーチングの手順は変わらない。「まずは『マサさん』と呼んでもらえる人間関係をつくる。僕も藤浪君を、下の名前かあだ名で呼ぶ。そういう関係で付き合えるようになってから、いろいろ聞いてみたい」と言う。

昭和さながらの頭ごなしの指導は、間違いなく若い世代には通じなくなってきている。ボビーマジックを経験した小林氏の選手との向き合い方は、有効なヒントになるのではないだろうか。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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