ミツカン「種馬事件」 まさかの敗訴|西牟田靖 2013年、約1年間の交際を経て、中埜大輔さんは、幸せな家庭を築けると信じて聖子さんと結婚する。だが、彼の人生は義父母であり、ミツカンの会長・副会長でもある和英・美和氏によって破壊された――。

ミツカン会長の急死から半年

2023年2月9日、ある裁判の判決が東京地裁407号法廷で言い渡された。

__判決
原告の訴えをいずれも棄却する
訴訟費用は原告の負担
__
原告の名は中埜大輔さん。
1980年、東京都生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業した後、金融業界を歩んだ。大手証券会社に就職した後、2008年に転職し香港に移住。スイスの大手銀行でバンカーとしてのキャリアを重ねていった。

転機となったのは2012年5月。当時、勤務していた銀行の上司から見合いの話を持ち掛けられた。相手はミツカンの創業家出身のオーナー経営者である中埜和英会長の次女、聖子さん(当時、専務)。跡継ぎと目されるだけあって、社内にプロジェクトチームが作られ、探し出した相手が、大輔さんだったのだ。

2013年、約1年間の交際を経て、大輔さんは、幸せな家庭を築けると信じて聖子さんと結婚する。結婚を機会に婿入りし、ミツカンに入社。翌14年6月にロンドンに移住し、8月には男の子が誕生した。

しかし、彼の人生は義父母であり、ミツカンの会長・副会長でもある和英・美和氏によって破壊された。

生後4日目の子どもを義父母の養子に差し出すよう強要されたのに始まり、別居の命令、離婚の強要、親子引き離し(実子誘拐)を目的とした日本への配転、告発報道の取材に応じたことを理由に即日解雇――。

まるで中埜一族に「種馬」のように使われ、放り出された。
大輔さんが起こした裁判が、現在、4つ進行している。

①和英・美和氏に対する損害賠償請求訴訟
②ミツカンに対する解雇無効と損害賠償請求訴訟
③父子の面会交流を求める事件
④財産分与事件

冒頭に記したのは①の裁判の判決だ。中埜和英会長が昨年8月21日に急死してからまもなく半年。
まさかの敗訴だった。

日本が誇る大手食品メーカーに激震!ミツカン「種馬事件」①実子誘拐の地獄|西牟田靖 | Hanadaプラス

養子は中埜家の伝統か?

判決で堀田秀一裁判官は《被告聖子は中埜家に生まれ育ち、中埜家の家風や価値観を大事にする考えを有しており》、《子が生まれた場合、亡和英及び被告美和との間で養子縁組をする可能性があることを説明していた》と指摘したが、判決後、大輔さんはこう反論している。

「生後4日の息子を養子に差し出すことなど、私は一切説明を受けていません。私が聞かされていたのは、息子が20歳前後になってから、税金対策で養子縁組をする可能性があるということだけです。

子が成人であれば〝親子引き離し〟ではなく全く問題はない。

一方、生後4日の息子との養子を強要されることは、親子引き離しの危機であり、大問題です。裁判官はこの重要事実を無視している」

大輔さんの言う通り、堀田裁判官はこの重要事実を無視している。
昨年8月に行われた本人尋問で大輔さんの代理人である河合弘之弁護士は和英氏にこう質問した。

――生後すぐに子どもを養子にするなんて大輔さんは聞いていませんよ。裕子(長女)さんも聖子さんも、養子になったのは19歳と20歳。大人になってからですよね。
「はい。でも、早く養子になれば、次の当主候補として祖父に認めてもらったと、後々、孫の励みになると思ったからです」

――でも、8代目のあなたは、養子にならなかったですよね。
「なっていないです。そのときの当主の考えによっていろいろですから」

――2代目から7代目までで、生後すぐに養子になった人はいるんですか?
「……いません」

――では、養子は〝中埜家の伝統〟ではないじゃないですか!!
「……」

養子縁組を強要した中埜家

長男が生まれて4日後の2014年9月、ロンドンの産後ケア施設にあらわれた和英・美和氏(小島淳常務も同席)。2人は孫の顔を見るのもそこそこに、書類を広げ、大輔さんに迫った。

「産まれてきた子どものことだけど、先ずはこの書類にサインをしろ」

書類は「養子縁組届出書」。養父母の欄には和英氏と美和氏の名前がすでに記されていた。つまり、生後間もない息子を祖父母である和英・美和氏の養子にすることを、大輔さんと聖子さんに強要したのだ。

「お前! 何者だと思ってるんだお前!! この場でサインをしなければ片道切符で日本の配送センターに飛ばす」

何度も和英氏に怒鳴られたが、大輔さんは繰り返しこう伝えた。
「夫婦で話し合う必要があるのでこの場でのサインは勘弁していただきたい」

大輔さんが養子縁組書類にすぐサインしなかったことに関して、美和氏は聖子さんにメールを送っている。

「ダダ(和英)が優しくてよかったね。先代だったらママ(美和)は即座に子供と一緒に家を出されたし、ダダも殴られる位じゃすまされないし、もちろん、跡を継ぐにはママと別れることが絶対条件だと思います。

もちろん西野の家(美和の実家)はそんな家の思想の根本を崩して戻されたような恥さらしは敷居を跨がせないと確信しています。特にママのお父さんは。あの言葉はママに取って子供の将来を決定してしまう言葉でただ背筋が凍る思いでした」

大輔さんの言葉のどこが「背筋が凍る」のか。また、「殴られる位じゃすまされない」を強要と言わず、何を強要というのだろうか。

その日の夜、大輔さんは聖子さんにこう提案している。
「家族3人で幸せに暮らすことが一番大切。義父母に服従したり、ミツカンの仕事に執着したりする必要はないと思う」

だが、聖子さんは泣きながら大輔さんに懇願している。
「両親は大輔さんを家から追い出すつもりはない。私が(両親と大輔さんの)間に入って家族を守る。お願いだから養子縁組の書類を両親に提出してほしい」

2014年12月19日、ロンドンでの密談

少々長いが、重要なポイントなので判決文をそのまま引用する。

《被告聖子は(2014年)12月19日会談以降、両親に対して、離婚意思があると一貫して表明しており、亡和英及び被告美和もこれを前提として、娘である被告聖子を支援する立場から離婚の相談に応じていたものであり、原告と被告聖子が隠れて連絡を取り合っていたことも把握していなかったのであるから、亡和英及び被告美和が、被告聖子に離婚意思がないことを認識しながら、あえて離婚するように強要していたとは認められず、他に亡和英及び被告美和が本件不法行為を行い、被告聖子に離婚意思を表明させて、婚姻関係を破綻させたことを認めるに足りる的確な証拠はない》

2014年12月19日の会談から聖子さんは一貫して離婚意思があったと裁判官は記しているが、この事実認定はおかしい。いくつか理由を記す。

その4日前である12月15日、大輔さんは1人でロンドンから愛知県半田市にあるミツカン本社を訪れた。目的は養子縁組届へのサインを躊躇したことへの謝罪、そしてミツカンの退職を伝え、その代わり、家族だけは守らせてくださいと和英・美和氏に直訴するためだ。だが、逆にこれまでの怒りをまくし立てられて面談は終了した。

その詳細をロンドンに帰って大輔さんが聖子さんに報告したところ、聖子さんは、青ざめてこう提案した。

「『離婚が絶対条件』との脅しに従ったように見せる必要がある。偽装別居(さらに踏み込んで偽装離婚)をするしかない」

それを受けての2014年12月19日なのだ。
大輔さんを除く(大輔さんは後のことを考えて、聖子さんにも内緒でマイクを仕込んでいた)、和英氏、美和氏、小島常務の前で「離婚させていただきたい」と聖子さんが述べたのは、両親をこれ以上、怒らせないためであり、聖子さんの真意であるはずがない。

聖子さんは裁判で離婚を決意した理由についてこう述べている。

《(2014年)9月からいろいろな人の話を聞いたが、シングルマザーとしてやっていく覚悟ができずにいたこと、他者の見る目に耐えられるかいろいろ思って11月末まで迷っていたが、3カ月間の大輔さんの生活スタイルを見て長男を教育する上で弊害になると感じたこと、ミツカンで働き続けていく上で大輔さんが足を引っ張る存在になると感じたこと、大輔さんに主夫ができるかと尋ねたがこれを否定したこと……》

ここで素朴な疑問が生まれる。
《9月から》とは「養子縁組を強要されてから」ではないのか。

12月19日、離婚を切り出すタイミングについて小島常務は聖子さんにこうアドバイスをしている。

「養子の届けをどうするかということをはっきりさせた上で、その後で話をしたほうがいいのではないか」
「一番最初に決めるべきは養子の手続きをするしないということをご判断いただく」

これに対して返答したのは和英氏である。
「うん、すぐする」

聖子さんの離婚意思は〝偽装〟だった

同日、美和氏は聖子さんに対して大輔さんの暴力が心配だから、離婚の話をするより先に別居をしたほうがいいのではないかと助言している。なぜここで突然、暴力という言葉が出てくるのか。

「(大輔は)棚ぼたで美味しい思いをしていたのがまた急になくなる」
「(大輔は)種馬」
「子どもさえ産まれれば仕事は終わり」

この日、発せられた美和氏の言葉こそ大輔さんに対する暴力だろう。

そして2015年2月7日、小島常務は弁護士から聴取した意見として、聖子さんに電話でこう伝えている。

「同居の状態のままで離婚の話を切り出して追い込むのはリスクがある」
「まずは別居の方法を具体化してはどうか。おおきくは『英国内で引っ越し』『会社として日本への異動』」

同年3月18日、聖子さんは大輔さんに離婚を申し入れ、8月20日から別居を開始。裁判でも事実認定されたようにこれは「偽装別居」であり、家族3人は毎日のように夕食を食べ、家族団らんを続けていた。

そう、聖子さんの離婚意思はまさに〝偽装〟なのである。

だが、大輔さんは同年10月、大阪の配送センターへの配転が命じられた。11月7日、大輔さんは妻子をロンドンに残し、後ろ髪を引かれるような思いで日本へ帰国した。

この理不尽な配転に対し、大輔さんはミツカンを相手取って裁判を起こす。翌16年3月、配転無効の仮処分が出てミツカンは敗訴している。

それでも、大輔さんと聖子さん、長男の縁は切れなかった。その証拠に、大輔さんは、2016年1月18日から23日までの間、秘かにロンドンの自宅を訪れて家族3人の時間を過ごしている。

さらに2016年8月19日、大輔さんの誕生日に聖子さんは、「仲良し家族 大好き」というメッセージとともに家族3人の写真を大輔さんに送っている。だが、この投稿を最後に音信不通になった――。

親子引き離しは児童虐待

判決後の会見で河合弁護士は憤った。

「判決では和英・美和の酷い行為がたくさん事実認定してありました。ただ我々は、20数項目にわたって彼らの違法行為を主張しているんですけど、そのうちのひとつ、聖子氏に離婚を強制したということしか、判断の対象にしていない。

今回は単独の裁判官の判決ですので、控訴審では人情の機微がわかった裁判官に合議体で審議してほしい。本人にも確認したんですが、本人は断固、控訴して戦い続けます、と」

大輔氏はショックを隠さずに言った。

「私は4年近く息子と生き別れています。血を分けた可愛い我が子なのに、ミツカンと創業家によって無理やり引き離されて全く会えず、声すら聞くことができていません。

今回の裁判は、聖子氏の離婚意思の有無ぐらいの判断で終わっていて、本当の問題となっている『ミツカンの人事権を濫用して、私と息子を引き離した』ということや、実際にそれに対して『仮処分裁判でミツカンが敗訴している』ということが全く入っていない。そのことは衝撃で正直ものすごくショックを私は受けています。

客観的証拠を踏まえれば、中埜和英・美和氏は、私の個人の尊厳を踏みにじったというふうに言わざるを得ない。なぜならば、親子が愛を育むことは基本的人権で定められていることだからです。
親子引き離しというのは、日本が批准する国際条約である子どもの権利条約第9条、これに明確に禁じられている児童虐待行為なんです。

つまり彼らはミツカンの人事権を使って、人として恥ずべき行為、親子引き離しをした。そのことが客観的証拠によって裏付けられています。改めて強く抗議をさせていただきます」

大輔さんの戦いはまだまだ続く。

ミツカン「種馬事件」②家族破壊工作の全貌|西牟田靖【2022年9月号】ミツカン「種馬事件」③中埜会長の急死と裁判で暴かれた真実|西牟田靖【2022年12月号】

著者略歴

西牟田靖

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