小沢健二 feat. スチャダラパー「今夜はブギーバック」はなぜ今も歌い継がれるのか?  オザケンが思い描いた “平成の「悲しい色やね」”

ロマンチックの頂点をもたらした「今夜はブギー・バック」

2023年にソロデビュー30周年を迎える小沢健二。小沢ウォッチャーとしての私の経歴も30年になると思うと感慨深いが、彼が「今夜はブギー・バック」でお茶の間ブレイクを果たしたのはデビュー翌年の1994年だった。あの春から夏にかけてブギー・バックは全ての聴き手の心に忍び込み、ロマンチックの頂点をもたらし、甘い淡い憂いと欲望を満たしていった。その後オザケンは王子様として君臨することになった。

ーー ブギー・バックは色んな皆に愛されているけれど(中略)、同じ憂いを持っていて同じ渇きを持っていて、それを潤してくれるミルク・アン・ハニーを渇望している人がたくさんいるということかもしれない。(小沢健二・公式Instagram 2022年投稿より引用)

今も人々の心のやらかい場所を突っつき続けるスーパースイートチューン「今夜はブギー・バック」は、数多くのミュージシャンに愛されカバーされてきた。KREVAやTOKYO No. 1 SOUL SET×HALCALI(ハルカリ)、宇多田ヒカルや木村拓哉などの錚々たるメンツに加え、映画『モテキ』のエンドロールバージョンや、BEAMSの40周年記念プロジェクトMVで南佳孝や戸川純ら総勢17組のアーティストがワンフレーズずつカバーしたのも印象深い。

2022年にはtofubeats「水星」とのマッシュアップアレンジがCMで流れて話題を呼び、2023年になってもflexlifeがシングルを発売するなど、後から後から新しいカバーが発表されている。

今夜もスナックでは中高年がカラオケで全パートを歌い上げたり、若者のカバーがTikTokなどの動画シーンを賑わせていることだろう。

ブギー・バックが今もなお歌い継がれている理由

この状況が社会現象に見えるのは私だけだろうか。もはやカバー曲から入った人の方が多いのではないか。そもそもなぜブギー・バックはそれほどまでに人々を惹きつけ、今もなお歌い継がれているのか。

その答えは、パーティーとフォーリンラブのマリアージュが奏でる「終わらない刹那感」にあるんじゃないか、と私は思う。誰もが追い求める永遠の恋と友情、憂いとセンチメンタル。そうした普遍の切なさが満タンに詰まっているからだ。

親友同士であり、同じマンションに住んでいた小沢健二とスチャダラパーが、遊びながら時代の刹那の空気を閉じ込め作り上げた名曲「今夜はブギー・バック」は、レコード会社の垣根を超えたコラボレーションも話題を呼び、日本語ラップ / ヒップホップの先駆としてお茶の間レベルの大ヒットとなった。

小沢健二 featuring スチャダラパー名義によるnice vocalバージョンはオリコンチャートで最高位15位、スチャダラパー featuring 小沢健二名義のsmooth rapバージョンは21位を記録。このヒットで彼らの名前は一躍有名になり、両バージョンを収録したアナログレコードも発売された。現在は高値で取引されているらしい。

発売時の広告用ポスターには、“カラオケで歌えるヒップホップ登場! マジ泣けるッス!”(スチャダラパー)、“「天使たちのシーン」から生まれた溶ろけるようなファンキー・ミュージック!”(小沢健二)のコピーが並んで書かれていた。今読んでも胸がギュッと締め付けられるようである。

この曲が生まれるまでクラブやラップ、ヒップホップはある意味サブカル的なジャンルだったが、その後1994年8月にはラップの認知度を爆上げしたEAST END×YURIの「DA・YO・NE」がリリースされる。また、小沢健二が王子様キャラで大ブレイクするのはダウンタウンの司会による音楽バラエティー『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP!』(フジテレビ系)あたりからだ。番組のスタートは1994年10月。    ダンスフロアーに華やかな光
 僕をそっと包むようなハーモニー
 ブギー・バック
 シェイク・イット・アップ
 神様がくれた甘い甘いミルク&ハニー

突然入った小沢健二&スチャダラパーのコラボシングル情報

自分語りで僭越ながら、25歳だった私はこの曲でスポーンと恋に落ちた。邦楽系編プロで働いていた私は先輩社員の渡辺さん(仮名)と仲が良く、たまに飲みに行っては小沢健二VS小山田圭吾やヒップホップVS英国ロックなどの音楽論を戦わせたりしていた。そんな時突然、小沢健二&スチャダラパーのコラボシングル情報が入ってきた。そのニュースには興奮した。渡辺さんはプロモーション用の白カセットが届くや、私の机にきて仕事を遮り、ヘッドフォンを私の頭にかぶせて(完全に「ラ・ブーム」笑)カセットプレーヤーのスイッチをオンにしたのだった。

熱っぽく潤んだ細い目がこちらを見ていた。私は初めてブギー・バックを聴きながら、彼の顔をうかがった。薄い唇の男は薄情とはよくいうが、私は薄い唇の男に弱かった。そこにKOされたのだろう。心変わりの相手を渡辺さんに決めたのだった。

会社は六本木だったので、 六本木WAVEに一緒にブギー・バックの12インチシングルを買いに行った。西麻布のクラブ、328や青山のマニアック・ラブにもよく行った。クラブやバーの喧騒の中で恋に恋焦がれ恋にのぼせていた。

けれど、結局うまくはいかなかった。

ーー それでもブギー・バックは鳴り続けた。

ブギー・バックを “平成の「悲しい色やね」” にしたい

ーー ファースト『犬は吠えるがキャラバンは進む』に比べて、ブギー・バックが入っている僕のセカンド『LIFE』は明るい。能天気、と思う人もいるだろう。でもその明るさは、ファーストにある憂いとか悲しさを前提としていて、『LIFE』の中のブギー・バックはちょうどファーストとセカンドをつなぐ曲、という気が僕はしている。(小沢健二・公式Instagram 2022年投稿より引用)

ひとつ謎が残る。シングル発売前のインタビューでオザケンはブギー・バックを「“平成の「悲しい色やね」” にしたい」と語った。「悲しい色やね」といえば上田正樹の1982年のヒット曲だが、当時の私はこの言葉が腑に落ちなかった。永遠の刹那感という点で印象が一致しないように思えたのだ。

謎解明のきっかけは2002年のアルバム『eclectic』での「今夜はブギー・バック / あの大きな心」のセルフカバーだった。私はNYに移住した小沢健二にあまり興味がなくなっており、新作を買おうかどうしようかずっと逡巡し、結局ずいぶん経ってから手に入れた。

 クールな僕らが 話をしたのは
 偶然じゃありえない だから
 ブギー・バックそれは
 神様がくれた
 甘い甘いmilk&honey

ーー 艶めかしくジャジーなアレンジに包まれた “平成の「悲しい色やね」” が耳に流れてきた。

あぁそうか、ここか。ここで発言を回収したのか。作風は激変しボーカルスタイルにも乗り切れなかったが、あれから10年近く経って問いの答えを見つけたような気がした。歌詞はいくらか変えられ過去形にされていた。過去の恋とパーティーのときめきは思い出の中で真空パックされ、刹那として妖しいまでの魅力を放っていた。私はきっとその時 “平成の「悲しい色やね」” を理解したのだと思う。

しかし1994年の小沢健二は一体どういう意図であんな発言をしたのだろう。何の意味もなく? 上田正樹へのリスペクトを込めて? それとも確信犯?

ーー 今も答えを知りたいような。いや、知らなくていいか。

昔の恋が終わった理由と同じ。そんなの一生わからなくていいのだ。

カタリベ: 親王塚 リカ

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