ラジオの電リクといえば 文化放送「決定!全日本歌謡選抜」パーソナリティは小川哲哉  唯一無二! 画期的だった大型ラジオ音楽ヒットチャート番組

ラジオと言えば電リク!「決定! 全日本歌謡選抜」

80年代に首都圏のラジオ局で放送されていた音楽ヒットチャート番組のうち、印象に残っているものを紹介するコラムのシリーズ。今回取り上げるのは『決定! 全日本歌謡選抜』です(以下『歌謡選抜』と略記)。まずは番組の諸元から。

・番組名:トヨタ・サンデー・スペシャル 決定! 全日本歌謡選抜
・放送局:文化放送
・放送日時:日曜日 午後1時〜4時30分
・パーソナリティ:小川哲哉、丹羽孝子(1983年時点)

70年代後半〜80年代におけるラジオのベストテンと言えば、この番組が真っ先に思い浮かぶという方も多いでしょう。長時間の生放送、電リク、ランキングを50位まで決定、といった特色を持つ、大型のラジオ音楽ヒットチャート番組です。

パーソナリティは軽快なトークが持ち味、AMラジオ第一人者だった小川哲哉さん。当時とんねるずがよくネタにしていましたし、今でもモノマネされたりするほど皆さんの印象に残っていることと思います。アシスタントの丹羽孝子さんは文化放送の局アナで、明るくハキハキしたアナウンスが魅力的でした。お二人の進行は明るく華やかで大型の歌番組にピッタリでした。

3時間半でも長いと感じさせない構成や進行が見事です。人気曲や注目曲が次々と流され、その中でゲストコーナーや電話出演コーナーが毎週3〜4組あります。3時半からの1時間で、ランキングのベスト50がカウントダウンで発表され、ベスト10にランキングされた曲が流れます。この発表前に番組の中で流れた曲でも、ベスト10に入った曲はもう一度流れます。ひとつの番組の中で同じ曲が2回流れるのはかなり珍しいですが、3時間半もの長丁場ならではの構成だと感じます。

曲は必ずフルコーラスでかかります。通常はイントロでパーソナリティが曲紹介をしますが、ごくまれに、発売前の超速報として新曲が紹介されることがあり、その場合はイントロに曲紹介が入ることなくフルに流れます。筆者が鮮明に記憶しているのは、1983年の田原俊彦の「ピエロ」。発売3週間前くらいに、イントロからアウトロまでトークが入ることなく曲が流れたことを覚えています。

電リクをしたら偶然ゲストと会話

『歌謡選抜』といえばやはり、電話でのリクエスト、いわゆる「電リク」を受け付けていたことが大きな特色です。インターネットが無かった当時、ラジオ番組の多くはリクエストをハガキで受け付けており、リアルタイムに電リクを受け付ける番組は限られていました。

電リクを受け付ける時間は、放送開始前の12時50分頃から3時頃まで。電話が集中するのを避けるため、リクエストする人の電話番号の末尾によって電話できる時間帯を分けていました。最初の時間帯は末尾1の人、次の時間帯は末尾2の人、という要領で、番組の途中で「電話番号の末尾1番の方のリクエストはここで締め切ります。今から末尾2番の方のリクエストを受け付けます」というようにアナウンスしていました。

2時間もの間、電リクを受け付けていた番組が他にあったでしょうか。おそらく、リクエストの件数が最も多いラジオ番組だったと思います。電リクを受けるオペレーターが大勢いるスタジオから放送され、オペレーターがリクエストを受ける声がうっすらとラジオから聞こえてくるのが『歌謡選抜』ならではでした。

イントロに乗せた曲紹介では、リクエストした人の名前が読み上げられるので、名前を呼ばれたリスナーは嬉しかっただろうと思います。ゲストが来ると、ゲスト自身が何人か名前を読み上げたので、ゲストに名前を呼ばれたリスナーは嬉しさひとしおだったでしょう。ごくまれに、ゲストが電話オペレーターをやることもありました。電リクをしたら偶然ゲストと会話できた人は、本当にビックリしたと思います。

トップアイドル、チャートアクションの秘密

さて、肝心のランキングはどのように決定していたのでしょうか。実は『歌謡選抜』は電リクだけのランキングではありません。レコード売り上げや、全国ラジオ局のランキングなども加味される、と番組では説明がありましたが、詳細なランキングの算出方法は説明されなかったと記憶しています。ただ、長時間にわたり電リクを受け付けていますから、ランキングの決定にあたり電リクが大きな比重を占めていたことは間違いないと思います。

例えば、松田聖子や田原俊彦といったトップアイドルのチャートアクションは、以下のようなものでした。ここでは、レコード発売日が第1日曜日と第2日曜日の間にある場合を例にとります。

第1日曜日:18位前後(初登場)
  ↓ この間にレコード発売
第2日曜日:8位前後
  ↓
第3日曜日:1位前後

レコード売り上げがランクインするのは第3日曜日のタイミングなので、それまではレコード売り上げが加味されません。それでも電リクがかなり多いので、レコード発売日の直前や直後でもランキングに登場してくるのです。『ザ・ベストテン』をはじめとするテレビ・ラジオのベストテン番組では、レコード売り上げと同じタイミングでランクインするのが普通ですから、チャートアクションが早いのは『歌謡選抜』の大きな特徴だと言えるでしょう。

決定! 全日本歌謡選抜 復活特番! で発表された年間1位

例年、新年最初の放送で前年の年間順位が発表されていました。年間順位の決め方は、毎週の1位に50点、2位に49点…、50位に1点という点数を付与し、その点数を合計するという単純な算出方法でした。『歌謡選抜』の年間1位の曲は以下のとおりです。

1977年 「あずさ2号」狩人
1978年 「プレイバックPartⅡ」山口百恵
1979年 「魅せられて」ジュディ・オング
1980年 「ダンシング・オールナイト」もんた&ブラザーズ
1981年 「シンデレラサマー」石川優子
1982年 「聖母たちのララバイ」岩崎宏美
1983年 「初恋」村下孝蔵
1984年 「ふたりの愛ランド」石川優子とチャゲ
1985年 「あの娘とスキャンダル」チェッカーズ
1986年 「DESIRE」中森明菜
1987年 「君だけに」少年隊
1988年 「パラダイス銀河」光GENJI
1989年 「太陽がいっぱい」光GENJI
1990年 「おどるポンポコリン」B.B.クイーンズ
(1990年は番組が10月終了につき9月までの集計)

これは、2022年4月に放送された文化放送の番組『決定! 全日本歌謡選抜 復活特番!』で紹介されたものです。

年間1位の顔ぶれを見ると、やや意外な感じを受ける読者もいらっしゃると思います。『ザ・ベストテン』やオリコンの年間順位ではさほど上位でない曲も含まれています。これは上述した年間順位の決め方に起因しています。1位の50点に対して、10位が41点、20位でも31点獲得できますので、このような算出方法では、ランキングの上位を獲るよりも、長期間ランクインする方が年間順位が上位になります。

例えば、1983年の年間1位は 村下孝蔵 の「初恋」。オリコンのレコード売り上げ年間14位、『ザ・ベストテン』年間6位の曲が『歌謡選抜』における年間1位を獲得したのは、長期間ベスト50にランクインしていた結果だったと思います。この年は「めだかの兄妹」「探偵物語」「キャッツ・アイ」などロングヒットが豊作だったので、そんな1983年の年間1位は本当にすごいことでした。

筆者は1983年の年間順位発表をリアルタイムで聴いていましたが、ヒット曲目白押しのこの年に、しかもアイドルが比較的強い『歌謡選抜』において「初恋」が年間1位に輝いたことにたいへん驚きましたし、嬉しくもありました。

パーソナリティ、電リク、番組構成、ランキングがどれを取っても唯一無二

80年代に黄金期を迎えた『歌謡選抜』は1990年に終了しますが、その後は番組名が『SUPER COUNTDOWN』に変わり1994年まで存続し、さらに時間帯を金曜日の夜に移してから2010年代まで継続されました。90年代に入っても電リク番組として圧倒的な存在感があり、ラジオの音楽史という観点でも貴重な番組だったと思います。

『決定! 全日本歌謡選抜』は、パーソナリティ、電リク、番組構成、ランキングがどれを取っても唯一無二で、画期的な大型ラジオ音楽ヒットチャート番組だったと思います。ラジオが見直されている今こそ『歌謡選抜』のような形式の番組で、最新ヒット曲をチェックしてみたい… 改めてそんな思いを抱きました。

カタリベ: 倉重誠

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