みずしま資料交流館 あさがおギャラリー ~ 公害の歴史と記録を残していく、地域の交流の場

倉敷市水島の商店街に、「みずしま資料交流館 あさがおギャラリー」があります。

あさがおギャラリーは、公益財団法人水島地域環境再生財団(通称:みずしま財団)によって運営され、公害に関する資料や当時の写真などを展示し、1960年代に起こった水島地域の公害の歴史を伝えていく場として、2022年10月にオープンしました。

「みずしま資料交流館 あさがおギャラリー」について、みずしま財団の副理事長でありあさがおギャラリー館長の福田憲一ふくた けんいち)さんと、みずしま財団の林美帆はやし みほ)さんに話を聞きました。

みずしま資料交流館 あさがおギャラリーについて

水島に公害の資料館を作ろうという動きは、2000年のみずしま財団設立当初からあったそうです。

1995年に水島の公害患者によって描かれた水島の未来図からも、水島に資料館を作ろうとしているようすがわかります。

水島の未来図の中心に、資料館を作ってほしいという内容のふきだしがあるのです。

この未来図では「平和資料館」と書かれています。

あさがおギャラリー入口の扉には、「倉敷公害患者と家族の会 あさがお会館」の文字。

あさがお会館は、食事会をおこなったり、絵手紙を書いたりする活動を通して、水島地域の公害患者の交流、憩いの場として活用されてきました。

しかし、公害患者の高齢化にともない、あさがお会館が使われることも少なくなりました。

そこで、かつて公害患者の憩いの場として使われてきた場所を、「今度は公害の記録や記憶を伝える場として活用しよう」となったことから、あさがお会館の場所にみずしま資料交流館 あさがおギャラリーができたのです。

また場所が決まっただけでなく、資料の整理や保存、活用についての知識を持つ林美帆(はやし みほ)さんがみずしま財団に来たことも、資料館オープンへの動きを加速する理由となったのです。

「場所、人、モノの三つの条件がそろったので資料館を開くことができた」と、館長の福田さんは話します。

「みずしま資料交流館 あさがおギャラリー」の名前の意味

みずしま資料交流館 あさがおギャラリーという名前には、館にかかわる人の思いが込められています。

あさがおギャラリーは公害資料館ですが、名前を決める際には「公害ということばを使わないでほしい」と地域の人からの声があったそうです。

また、資料館だからといって身構えずに気軽に入って来てほしいという思いから、「交流」ということばを名前に入れました。

あさがおギャラリー、あさがお会館……施設の名前に「あさがお」が入っている理由について、福田さんは以下のように教えてくれました。

地域の人が気軽に立ち寄りやすい、人が群れる場所になってほしいという思いから「みずしま資料交流館 あさがおギャラリー」と名付けられたのです。

とくに、アサガオ(図2)やサトイモ(図3)は、光化学オキシダントの主成分であるオゾンに対して感受性が強く、葉の表面に白色や褐色の斑点として被害を発現し、私たちにオゾンの影響が発生したことを教えてくれます。

みずしま資料交流館 あさがおギャラリーの資料

あさがおギャラリーには、水島地域の公害に関する資料が展示されています。

あさがおギャラリーに入って左側の本棚には、公害裁判の資料や倉敷市公害患者と家族の会が持っていた資料、公害についての書籍がびっしりと並んでいるのです。

また、公害患者が使っていた医療用の吸入器や、みずしま財団で福田さんが中心になっておこなっていた「あさがお調査」の封筒、「水島メモリーズ」なども展示されています。

本棚の向かいの壁には、公害が起こっていたころの水島や、公害患者の写真のパネルがかけられており、実際の地域、公害患者のようすを知ることができます。

本棚は、あさがおギャラリーが「みんなの資料館」となってほしいという願いを込め、工務店の人や地域の人、倉敷古城池高等学校の生徒など、さまざまな立場の人とともに作られました

写真提供:みずしま財団

あさがおギャラリーは、一般的な博物館、資料館に比べると、一目見ただけで内容を理解できる資料は多くありません。

資料と向き合い、じっくりと内容を知ることで、学びを得られる資料館なのです。

また資料のなかでも、写真は整理が難しいと福田さんと林さんは口をそろえて話します。

文章は「いつ、だれが」書いたかが記録されていますが、写真は「いつ、だれが、どこで、だれを」撮影したのかが記録に残っていないことが多いのです。

現代のデジタルデータとは異なり、撮影日時が写真とともに記録されているわけでもありません。

2023年現在、患者会の人や地域の人の記憶に頼りながら、写真に残っている人や場所についての記録を残していっていますが、当時の記憶を持つ人がいなくなってしまうと、写真は記録として使えなくなってしまうのです。

みずしま財団が持っている資料の整理は、みずしま財団スタッフだけではなくみずしま財団が受け入れているインターン生やボランティアの人とおこなっています。

資料の整理に関心がある人がいたら手伝いに来てもらえるとうれしい、と林さんは話しました。

「水島メモリーズ」とのかかわりについて

みずしま財団では、水島地域の歴史を知ることができる「水島メモリーズ」という本を発行しています。

「水島メモリーズ」も、資料館プロジェクトにとっては重要な役割を持つものだそうです。

公害は、加害者と被害者の二つの立場から語られることが多かったようで、福田さんも「林さんがみずしま財団に来るまでは、公害の加害・被害の関係を明らかにしようと活動をおこなっていた」と話します。

しかし公害について、加害者である企業の目線だけ、あるいは被害者である患者の目線だけで伝えられることに対しては反発が大きく、情報を発信しても受け入れてもらえないこともあるそうです。

林さんは、水島メモリーズとあさがおギャラリーのかかわりについて以下のように説明してくれました。

公害について知ろうとするときには、ある一方の視点からではなく、多視点を持って向き合うことが必要です。

それを体現した「水島メモリーズ」は、あさがおギャラリーにとってなくてはならない存在となっています。

みずしま資料交流館 あさがおギャラリーのこれから

あさがおギャラリーの将来について、福田さんと林さんは口をそろえて「おもしろいことをやっていきたい」と話します。

来たい人が自由にやってきて、自由な発想で、自由に使える場所を目指しています。

たとえば、あさがおギャラリーに入ってすぐの場所には、地域の人による企画展示をしてもらえる場を作ろうとしているそうです。

一緒に学び、行動できる仲間を集め、人が群れる場所としてのあさがおギャラリーとなるよう、資料館として成長を続けています。

また、地域の人にふらっと立ち寄ってもらえるようにする取り組みとして、「くらしき互近助パントリープロジェクト」にも参加しているのです。

地域の歴史を自分のこととしてとらえ、対話を行なえる場として、あさがおギャラリーは水島の商店街の入口で多くの人の来館を待っています。

おわりに

公害資料館と聞くと、難しい話をたくさん聞くことになるのではないかと感じるかもしれません。

しかし、あさがおギャラリーでは、対話を通してさまざまな視点から公害について考えられます。

地域の人とともに、水島地域の歴史を編み、未来をつくっていくためにあさがおギャラリーがあります。

水島地域について知るための「入口」として、みずしま資料交流館 あさがおギャラリーに一度訪れてみてください。

© 一般社団法人はれとこ