盗んだバイクは的外れ!尾崎豊の本質に近づくために注目したい歌詞ベストテン!  合掌 4月25日は尾崎豊の命日です(1992年没・享年26)

尾崎豊の本質により近づくために注目したい歌詞ベストテン

盗んだバイクで走り出す――
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった――

これらは、尾崎豊の代表曲、「15の夜」と「卒業」の歌詞であり、多くの人が耳にしたことがあるフレーズだと思います。しかし、彼が亡くなり30年以上が経つ今でも、この2つの歌詞が彼を象徴するかのような扱われ方をしているのが残念でなりません。ちなみに、同じ80年代にユニコーンの「自転車泥棒」という曲がありましたが、同じ窃盗犯でも、こちらは曲調がほのぼのしているせいか、全くやり玉に上がったことがないです(笑)。

そこで、今回はこうした本質からズレた歌詞ではなく、逆に、尾崎豊の本質により近づくために注目したい歌詞ベストテンを、私の独断と偏見に基づいて発表したいと思います。

松本隆の歌詞のようなナイーブさ、従来のロックシンガーになかった感覚

第10位:群衆の中の猫
上手に笑っても
君の瞳に僕が映らないから

―― まるで松本隆の歌詞に出てくる女の子のようなナイーブさが、彼のラブソングの魅力のひとつだと感じています。これは、松田聖子の「何故 あなたが時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になるの」(赤いスイートピー)に匹敵するナイーブさだと思います。こうした感覚は、従来のロックシンガーには無かった感覚でした。

第9位:シェリー
シェリー 見知らぬところで
人に出会ったらどうすりゃいいかい

―― 1985年当時、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という心理学的概念はまだありませんでした。これは、“非常に感受性が強く敏感な気質をもった人” とされる概念ですが、おそらく尾崎豊はHSPに該当する面があったのだろうと思います。ロックというと何かと虚勢を張りがちですが、私には尾崎のこうした“弱さ” の部分が深く刺さりました。

第8位:Bow!
あいつは言っていたね
サラリーマンにはなりたかねえ

―― この歌詞に、佐野元春の「つまらない大人にはなりたくない」(ガラスのジェネレーション)との共通性を、子ども心に感じていた私でした。これらの2曲は “サラリーマン=つまらない大人” という先入観を、思春期の私に植え付けました。しかし、その10年後に私自身もサラリーマンになってしまいます。社会人になりたての頃“否が応でも社会に飲み込まれてしまうものさ” と自分で自分に言い聞かせていたのが、つい昨日のことのように思い出されます(笑)。

自身の心の居場所を失っていった晩年の尾崎豊

第7位:卒業
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた

――“計算高くなること” や “要領よく立ち振る舞うこと” は尊くないことだ、という強烈な刷り込みを思春期の私に与えた歌詞でした。私が初めて「卒業」を聴いてから途方もなく長い年月が流れましたが、あの頃のピュアな気持ちを今でも自分は持ち続けているだろうか…? と自問自答すると、その答えは “No” なのかもしれません。あぁ、大人って何だろう…。

第6位:闇の告白
微笑みも戸惑いも意味を失くしてゆく
心の中の言葉など 光さえ奪われる

―― 彼の遺作アルバム『放熱への証』に収録された「闇の告白」の一節です。人は永遠にピュアな少年ではいられない。そんな彼の悲しみ、絶望、悟りがこの歌詞で表現されている気がします。誰もが大人になり、徐々に心を亡くしていく(りっしんべんに亡くす… で忙しい)状況に陥る中で、晩年の尾崎豊は自身の心の居場所を失っていったのかもしれません。

第5位:傷つけた人々へ
あの日見つけたはずの真実とは
まるで逆へと歩いてしまう

―― 尾崎豊の一連の作品の歌詞を改めて読み返すと、彼の26年の短い生涯は “愛とは何か、真実とは何か” という、答の出ない答を追い求め続けた生涯だったような気がします。17歳の時点で「あの日見つけたはずの真実」などと歌いあげた彼は、なんと早熟な少年だったのでしょう。そして、その時彼が見つけた真実とは、いったいどんな真実だったのでしょうか。

第4位:ドーナツショップ
コンクリートの街並が
さみしいんだよって うつむいた

―― 渋谷の旧東邦生命ビル前のテラスには尾崎豊の記念碑があり、彼は青山学院高等部に在学中、この場所から西側の空を眺めていたのだそうです。私は、尾崎豊の歌詞の一片に「東京には空がない」で知られる、智恵子抄(高村光太郎の詩集)に通じる何かを感じることがあります。曲の終盤の「本当は 何もかも違うんだ」というつぶやきは、彼の孤独感の深さを一層浮き彫りにしていると思います。

等身大の尾崎豊を投影した「存在」

第3位:誰かのクラクション
ピアノの指先の様な 街の明りの中
ほら 街に生まれよう

―― 尾崎豊は「街の風景」の歌詞で、街を「のしかかる虚像」と表現していました。彼の26年間は、この大きな虚像との闘いでもあり、その虚像と自分自身をどうにかして適合させようと、あがき続けた時間だったのかもしれません。この「誰かのクラクション」はアルバム『壊れた扉から』のラスト曲。ここではソウルフルなリズムに合わせ、まるで尾崎自身が街に同化していくかのような、彼の違った一面を見ることができます。

第2位:失くした1/2
いつまでも見つからぬもの
捜すことも必要だけれど
ひとつひとつを暖めながら
解ってゆくことが大切さ

―― 尾崎豊の歌詞の中では、苦悩がある種の “答え” に到達している珍しい歌詞だと思います。なので、私自身も悩める思春期の頃、この部分の歌詞を尾崎からの前向きなメッセージと受け止め、とても大切な気持ちで聴いていました。この後に続く「安らかな君の愛に 真実はやがて訪れる」という歌詞に、とても励まされました。

第1位:存在
受けとめよう 自分らしさに
うちのめされても

―― 第1位に私が選んだのは「存在」です。「卒業」と同じ、セカンドアルバムの『回帰線』に収録されています。窓ガラスのくだりが拾われがちな「卒業」よりも、この「存在」の方が等身大の尾崎豊が投影されているように思います。「受けとめよう 自分らしさに うちのめされても」――尾崎豊のロックの本質は、この歌詞にこそ集約されていると私は思っています。

以上、私が選んだ “尾崎豊の本質に近づくために注目したい歌詞” ベストテンでした。これをきっかけに「盗んだバイク」「窓ガラス割り」という的外れな論争から人々が”卒業”することを、尾崎豊のいちファンとして願ってやみません。

2021年11月29日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 古木秀典

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