失われた時代を予言? たま「さよなら人類」から伝わってくる絶望と希望  “失われた時代” を予言する名曲「さよなら人類」

大石昌良が熱く語る “たま” の素晴らしさとは?

少し前のこと、シンガーソングライターの大石昌良へのインタビューで、今まででいちばん多く聴いた曲を訪ねた時、彼が熱く語り出したのが、“たま” の素晴らしさについて… だった。

大石昌良が生まれたのは1980年、たまが活動開始したのが1984年、テレビ番組『三宅祐司のいかすバンド天国(イカ天)』で脚光を浴びたのが1989年のことだから、彼は小学生の時にたまと出会ったことになる。

しかも、彼はたまのコミカルな側面ではなく、アコースティックサウンドによる表現の可能性を追求していった音楽性の高さとオリジナリティに強い魅力を感じていたと言う。さすが大石昌良、タダモノではないとその時思った。

5週勝ち抜き! イカ天で見せた “たま” のインパクトとメンバーの存在感

たまの『イカ天』5週勝ち抜きのインパクトは強烈だった。1週目で「らんちう」、2週目が「さよなら人類」、3週目に「オゾンのダンス」、4週目は「ロシヤのパン」、そしてグランドイカ天キングを賭けた週目に「まちあわせ」と、すべてタイプの違う、しかもどの出演バンドとも違うオリジナリティをもった楽曲で勝ち抜いてみせたのだから。

たまの『イカ天』出演は、インディーズから発売される彼らのアルバム『しおしお』の宣伝という意図もあったという。ちなみに、彼らが演奏した5曲のうち「らんちう」「オゾンのダンス」「ロシヤのパン」が『しおしお』に収められている。

たまが注目を集めたのは、テレビで映し出された彼らのビジュアルインパクトも大きかったと思う。玉ねぎ頭のホビットを思わせるヴォーカルとギターの知久寿焼、裸の大将を思わせる茫洋とした風情のパーカッショニスト石川浩司、ひょうひょうとしているようで実は知久に負けない狂気を感じさせるヴォーカルとキーボード柳原陽一郎。この3人がただ並んでいるだけでも “圧” を伴った “異様” な存在感にあふれている。

しかも、3人の醸し出す雰囲気も個性もあきらかにバラバラなのに、その演奏にはトータリティがある。それぞれが奔放に自己を主張しながらも、深いところで繋がっている感覚がある。遠心力と求心力とか絶妙なバランスを保ちながら曲が展開していくのだ。だから、たまの演奏はアコースティック・セッションなのにダイナミックな躍動感が伝わってくるのだろう。

ベースの滝本晃司の存在感もたまにとって重要だ。知久、石川、そして柳原ほどの派手さは感じない。しかし、3人の傑出した個性をその安定感あるベースが違和感なく結びつけている。たまの奔放さを作品として成立させるための重要な存在だという気がする。

「さよなら人類 / らんちう」でメジャーデビュー

『イカ天』の反響もあり、たまは1990年5月にシングル「さよなら人類 / らんちう」でメジャーデビューを果たす。そして「さよなら人類」はチャート1位を獲得する大ヒット曲となり、まさにたまの代表曲としてのイメージが定着することとなった。

「さよなら人類」は、日本のポップミュージック史上でも特筆すべき曲だと思う。けれど、この曲がヒットしたのは、必ずしもたまというアーティストの音楽性が評価されたというだけでなく、珍妙なスタイルのバンドによる笑える曲、という印象で受け取られた側面も大きかったのではないか、という気もする。

たまが人気者となったのは、バンドとしての絶妙なバランスや高度な音楽性よりも、いわゆるバンドのイメージからはかけ離れた奇妙なビジュアルや、コミカルにも見える過剰なパフォーマンスを売り物にした “イロモノ” バンドと受け取られた側面も少なくはなかった。

事実、『イカ天』でも “危ない連中” として扱われていたし、彼らのパフォーマンスへの講評ももっぱらその異色さに言及するものだった。

他の “イロモノバンド” と決定的に違っていた理由とは?

この時期にはパフォーマンスのインパクトに重きを置いた “異色バンド” が輩出していたが、たまが他の “イロモノバンド” と決定的に違っていたのは、異色であってもそのパフォーマンスがけっして “狙い” ではなく、楽曲の世界観と完全に一体化していたということだ。

だから、彼らの曲に難解さを感じても、それが聴き手のエモーショナルな感情を引き出す作品として成立していることは認めざるを得なかった。イロモノだと思って入ったとしても、その音楽性に引きこまれてしまう。たまの異色さ、オリジナリティには、まさにそんな “沼性” があったのだと思う。

たまの楽曲はメンバーそれぞれが作詞・作曲をおこなっており、その曲をつくった人が曲のイニシアティブをとり、ヴォーカルも担当するというスタイルをとっていた。『イカ天』で披露された5曲も、「らんちう」と「ロシヤのパン」が知久寿焼、「さよなら人類」と「オゾンのダンス」が柳原幼一郎、「まちあわせ」が石川浩司の手によるものだった。

「さよなら人類」に感じる広々とした世界に抜け出していくような風通しの良さ

改めて、デビュー曲となった「さよなら人類」を聴き直すと、きわめて大きなテーマを持ったこの曲があれほど親しまれたのは、アンダーグラウンドの色濃い匂いがありながらも、日常の閉塞感から逃れてどこか広々とした世界に抜け出していくような風通しの良さをリスナーが感じていたからなのかもしれないとも思う。

すでに現在の地球温暖化の問題を先取りしているような「二酸化炭素を吐きだして」で始まる歌い出しも印象的だ。確かに、環境問題が最初にクローズアップされたのは1970年代のことだけれど、この時代にはまだ温室効果ガスがまだ現在のようにシリアスな問題とは捉えられていなかった。

それだけでなく、このブロックはさり気ない日常の風景を描いているようだけれど、野犬がたむろしているなど、かなり不穏な空気も漂っている。それがサビの、

 今日人類がはじめて
 木星についたよ

―― で、初めてこれが今の話ではないことがわかる。木星はガス惑星だから実際に降り立つことはできないと言われ、有人宇宙船がその近くに到達できるのもかなり未来になるとされている。

「さよなら人類」はそんなはるか未来の1日のことを歌っている。だから設定としてはSFなのだけれど、聴いているとどこか“日常”を感じてしまうのだ。

この感覚はアニメの “セカイ系” と似ているかもしれない。舞台背景として壮大なSF的シチュエーションがありながら、物語はきわめて日常的なドラマとして進んでいく “セカイ系” に通じる感覚が「さよなら人類」にはあるという気がする。

日本のポップス史上もっとも壮大な時間軸をもった曲

「さよなら人類」はまさに先行人類であるピテカントロプスからホモ・サピエンスの人類史をさらに未来に飛ばして、新たな人類(『ガンダム』で言う “ニュータイプ” を連想させる)の誕生まで予感させる壮大な世界観をもった歌だ。そんな悠久の人類史の中の未来のとある日を描いたこの曲は、おそらく日本のポップス史上もっとも壮大な時間軸をもった曲と言っていいだろう。

「さよなら人類」を聴いていると、人類が滅ぼうとしている未来を予感する歌と思えるような虚無感を覚える。けれど同時に、未来になにかの可能性を見出そうとする前向きな意思も感じられるのだ。

そんな絶望と希望が混じり合った空気感が「さよなら人類」の、他に例のない不思議な魅力となっているのだと思う。

バブル崩壊以降の “失われた時代” を予言する「さよなら人類」

もうひとつ「さよなら人類」があの時代に脚光を浴びた理由のひとつが、まさに1990年という時代の空気にあったのかもしれないという気もする。

1990年の日本は、まさにバブルの絶頂期だった。しかし、空前の好景気に浮かれながらも「なにかおかしい」「これがいつまでも続くハズはない」と感じていた人たちもけっして少なくは無かっただろう。

そうした時代の先行きに対する不安感の広がりが、「さよなら人類」から伝わる滅びの予感と無意識のうちに共鳴したのかもしれない。

その意味で「さよなら人類」は、バブル崩壊以降の“失われた時代”を予言する曲でもあったとも言えるのではないだろうか。

カタリベ: 前田祥丈

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