広島県史跡「伝清盛塚」の参拝橋大破、再建の見通し立たず 呉市の音戸瀬戸、建設図面もなく

大破して一部が海中に沈んだままになっている清盛塚の参拝橋。奥が清盛塚

 広島県呉市の音戸瀬戸にある県史跡「伝清盛塚」の参拝橋(音戸町鰯浜1丁目)に貨物船が衝突し、参拝橋が大破してから3カ月が過ぎたが、再建の見通しが全く立っていない。損害調査に時間がかかる上、建設時の図面が残っていないからだ。今月28日に6年ぶりに開かれる伝統行事「音戸清盛祭」でも使っていた地域のシンボルとも言える場所だけに、地元からは先行きへ不安の声が出ている。

 2月1日午後5時ごろ、音戸瀬戸を通過しようとした貨物船が参拝橋に衝突した。コンクリート製の橋は陸側が根元から折れ、橋桁が海中に沈んでいる。橋脚も曲がり、一部は欠けて中の骨組みがのぞいた無残な状態のままだ。住民からは「いつになったら片付けるのか」「元通りに直してもらえるのだろうか」など心配の声が上がっている。

 橋は旧音戸町によって1970年ごろに造られたとみられる。合併後は市が管理していて、現在、損害調査の手続きをしている段階だ。

 今後、保険会社が損害を調べるが、海底にある土台まで調べるためには、明るい時間帯に大きく潮が引く時期を待つ必要などから、調査は夏ごろまで掛かる見込み。市文化振興課は「調査結果が出ないと、撤去や修復に掛かる費用や時間が分からない」と説明。一方、建設図面が残っておらず、強度も基準を満たしていない状態だったという。

 参拝橋は、平清盛の供養塔と伝わる清盛塚を間近で見学できる。音戸大橋と塚を写真に収めようと、観光客が利用していた。

 約400人の大名行列が練り歩く音戸清盛祭でも、地域に伝わる「太鼓基」と呼ばれる太鼓とやぐらを設置する場として使っていた。28日の祭りでは近くのおんど観光文化会館うずしおの敷地内に設置場所を変更する。音戸地区自治会連合会の崎本賢次会長(76)は「音戸町のシンボルでもある場所なので再建してほしい」と願う。

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