【ファクトチェック最前線「特別編」】共同親権の核心を〝報道しない自由〟|新田哲史 虚偽事実にしろ、偏向報道にしろ、オモテに出ている〝ファクト〟は検証しやすい。しかし世の中には、メディアが存在をひた隠しにするファクトも。ネットでは「報道しない自由」と揶揄するが、最近筆者がその対象になっていると感じるのが共同親権の問題だ。

メディアが存在をひた隠しにするファクト

2021年1月号で始まった連載「ファクトチェック最前線」を30回近く書いてきた。

本誌編集部と筆者の間で企画が持ち上がった2020年秋の頃は、コロナ禍で怪しげな言説がネット上で広がるなどフェイクニュースが問題視されていた。ただし、この連載を単に事実の正誤判定にするだけではやりがいは薄かった。

筆者は偽善が大嫌いだ。リベラル系のメディアやジャーナリストが〝ネット上の風紀委員〟とばかりに〝ファクトチェック〟と称し、自分たちの気に食わない保守政治家やメディアの攻撃材料に使っているように見受けていたので、連載を通じ、メディア空間にカウンターを繰り出したい思いがあった。

それでも虚偽事実にしろ、偏向報道にしろ、オモテに出ている〝ファクト〟は検証しやすい。しかし世の中には、メディアが存在をひた隠しにするファクトも。ネットでは「報道しない自由」と揶揄するが、最近筆者がその対象になっていると感じるのが共同親権の問題だ。

日本では離婚すると、父母のどちらかしか親権を持てない単独親権を採用している。これに対し、夫婦が離婚した後も互いに子どもの親権を持って養育するのが共同親権だ。

欧米ではこの数十年、父母それぞれと血の繋がる子どもが親子関係を安定的に継続することを重視する考えが広がり、親権制度が進化した。しかし日本では旧態依然として単独親権を継続している。左派勢力が、DV(家庭内暴力)の問題を抱えるケースを持ち出し猛反対していることも一因に挙げられる。DVなどの問題がある場合は欧米でも親権を認めないが、日本の親権制度の議論はガラパゴス化している。

なぜ左派は抵抗するのか。「攘夷」運動を思わせる彼らの詳細な事情は、池田良子氏らのリポートに譲るが、世界の動きが十分報道されなかったことも世論形成にマイナスの影響を与えてきたと筆者は見立てている。

熱心に取り上げる媒体を問答無用で訴訟

撮影:SAKISIRU編集部 ※一部加工済み

かつて北朝鮮による日本人拉致問題を産経新聞など一部メディアしか長らく取り上げなかったのに似ている。拉致も親権も人権に関わることで本来は党派性を抜きに解決を直視すべきはずだが、親権問題については、本誌やSAKISIRUなど熱心に取り上げる媒体を問答無用で訴訟を提起するなど、攘夷派が言論封殺に執念を見せる特徴がある。

結局、言論封殺の積み重ねによって報道関係者の間に面倒ごとに関わりたくないという印象が拡大しているという負の連鎖に陥っている。それでもメディア上で〝存在しない〟ことになっていた当事者のボルテージはここにきて最高潮に達しようとしている。

こどもの日の5月5日、東京・渋谷で、離婚後の共同親権導入を求める別居親らによるデモ行進「オレンジパレード」が行われた。夏日を思わせる陽射しの下、「子どもの人権を守ろう!」「共同親権を進めよう!」などとシュプレヒコールを上げながら、渋谷や表参道、原宿で連休の行楽日和を楽しむ大勢の人たちにアピールした。

デモは2019年に始まり、今回が6回目。過去最多となる約350人が参加する盛り上がりだった。しかしこれまでと同様、大手新聞やテレビがデモを取り上げることはなかった。直後に報じたのはSAKISIRUと東スポだけ。しかも東スポは、デモを視察に訪れた政治家女子48党の大津綾香氏をクローズアップし、同党の内紛に絡めた形での取り上げ方で参加者の胸中は複雑だ。

それでもデモの関係者が「これまでにない手応え」と語るのは、法務省が共同親権の導入を前提に制度見直しを進め、現実味を帯びつつあるからだ。

「開国」への扉がこじ開けられたら、マスコミは手のひら返しで「報道の自由」を行使し、親権問題を大々的に報道するのだろうか。

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新田哲史

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