小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=14

「しっかり作らないと駄目ですよ、お父ちゃん。どうして夜ギイギイと寝床を鳴らすんだろう、と子供たちに言われますよ」
「それは、かなわんですな」
 田倉は汗を拭きながら苦笑した。
「この国の農業で一人前になるのは大変ですな。飛んで火に入る夏の虫、といった心境ですわ」
「艱難汝を玉にす、と、気長にやることですよ。わしら北海道で苦労してきましたが、それでもこちらの仕事は大変でした。お陰で今年の十二月には義務農年から解放されますが」
「どちらへか移りやはりますの」
「裏の植民地です。岡野太一という義兄がコーヒー植え付けの仕事をやっているので」

 昭和七年頃は、一般にカフェーと呼ばれる喫茶店が繁盛していて、《女給商売さらりと辞めて、可愛い坊やと二人で暮らす》などという流行歌が巷に流れていた。律子もうろ覚えで知っていたが、この歌を聴くと嫌な思い出が蘇ってくる。
 田倉の放蕩ぐせは母のはぎからよく聞かされていたが、その夜もカフェーか料亭に遊んだ田倉は、店のマダム風情の女を連れて帰り、その女に酒代を精算するようにとはぎに言った。恩給の金を当てにしていたようだが、
「あのお金は、私たちの生活費でしょう。払えませんわ」
 はぎは田倉の言葉に従わなかった。夫が店の女を連れてきたせいもあって、その日のはぎは、一歩も譲らなかった。半時間近くも埒あかぬ口争いが続いたのち、
「お前のような勝気な女は撃ち殺してやる」
 と、田倉はすごんだ。彼は実際に猟銃を持っていた。奥の部屋で口論を聞いていた律子は、素早く壁に掛けてある猟銃をはずすと、裏口から飛び出し、道向こうの母屋の伯父に鉄砲を隠してくれるよう頼んだ。こういうことには、すごく機敏な律子だった。
 ラジオで満州建国のニュースを聴いていた伯父は、北側の障子を開けて、
「何しとるんや、いいかげんにしろ」
 と、すでに夫婦喧嘩を察していたらしく、落着いた、しかし威厳のある声で叫んだ。日露戦争の折に砲兵として活躍した伯父は、力持ちで、村一番の篤農家としても知られていた。
「なんやと」
 田倉は裸足で家を飛び出し、細道を横切って本家の座敷へ障子越しに飛び込んだ。囲いの障子が音を立てて倒れた。
「酒を飲んでも、女を買ってもええわ。けど女房や子供を泣かすようなことをしたらあかん」

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