【杭州アジア大会柔道男子81キロ級代表】 老野祐平(おいの ゆうへい) 成長の理由や本番に向けた意気込みとは

パリ五輪に向けても「とにかく今後の試合を全部勝たないといけない」と意気込む老野(帝京平成大)=諫早市、長崎日大高N・アリーナ

 9月に中国・杭州で行われるアジア大会の柔道男子81キロ級の日本代表に、長崎日大高出身の老野祐平(帝京平成大)が選ばれた。4月の全日本選抜体重別選手権で初優勝した22歳。「とにかく強くなりたい」というハングリー精神で頭角を現して代表入りを果たした。今月5日まで教育実習のため長崎の母校に帰ってきていた新鋭に、成長の理由や本番に向けた意気込みを聞いた。

 -体重別選手権では、年上選手を果敢に攻め立てる姿が印象的だった。
 「全員ぶち投げにいく」という作戦だった。指導3で勝ち上がるとかは嫌で、とにかく全部投げにいくことだけを考えた。1週間前くらい前に「本当に勝てるのか」と怖くなった時もあったけれど、そこからしっかり準備して、あとはやるだけという状態で臨めた。
 -高校時代は3年時のインターハイ2位が最高成績だった。大学で飛躍した要因は。
 筑波大の小野卓志先生が帝京平成大に移ってくるタイミングで入学した。81キロ級の大先輩である永瀬貴規さん(東京五輪金メダリスト、長崎日大高出身)など、多くの選手を育てた指導者。世界で戦ってきた人なので、技術面のアドバイスはすごい。まずは日本一になることを目標にやってきた。内股や足技、世界でも通用する組み手を教わっている。

 -帝京平成大の創部の年に入学。かなりの決断力が必要だったのでは。しかも、1年時からずっと主将を任されている。
 最初は先輩がいない不安があったし、今も不安はある。ただ、それがあるから緊張感を保てているのかなとも思う。長崎日大時代に松本太一先生(柔道部監督)から、強くなるとはどういうことなのかを教わった。とにかく考えろと言われてきたし、柔道だけしていても強くならないと知った。私生活、学校生活、授業をしっかり受けてテストで点数を取ること。それがなぜ強さにつながるかと聞かれたら説明できないけれど、そういった部分をちゃんとやっていれば、まず周りの方々に応援してもらえる。「頑張って」とか「おめでとう」と声をかけてもらうと励みになる。大学生になって自由度は増したけれど、高校時代の経験があるから流されることはなかった。

 -教育実習で母校に帰ってきた。教員を志望する理由は。
 4歳で柔道を始めて小学生のころは強かったけれど、中学では昔勝っていた相手に負けたり、本当に弱くて悩んだ。そんな時に当時の担任の先生が精神的に支えてくれた経験が大きい。自分もそうありたいと思った。すぐすぐというわけではなく、現役のキャリアが落ち着いたら、と考えている。
 実家がある福岡ではなく、長崎日大で教育実習を受けたのは、太一先生の下なら得るものしかないと思ったから。日大の生徒はすごく楽しそうに授業を受けている。授業の組み立て方の工夫など勉強になった。現役選手なので、後輩たちが練習相手になってくれたことはこちらとしても助かった。

 -これから世界に目を向けて戦う。アジア大会での目標は。
 絶対に勝ちたい。五輪代表選考の対象外ということだが、選ぶ人の印象もあるだろうし、そんなことをいろいろ抜きにしても、ただ勝ちたい。

 -勝算は。
 海外の選手は右組みとか左組みとかの概念がない選手が多い。力づくで抱きかかえようと来る。自分は釣り手、引き手の二つを持たないと勝負にならないので、一つずつしっかり押さえて投げに持っていけるように練習している。韓国人選手に関して言えば、日本人に近いイメージ。

 -パリ五輪に出たいと宣言している。
 もう来年が本番なので、とにかく今後の試合を全部勝たないといけない。グランドスラム東京など主要大会で優勝して、五輪で優勝するのが今の最大目標。そこは絶対に達成したい。

 -81キロ級で五輪代表になるには、永瀬という大きな壁がある。
 永瀬さんが先輩だからとかは関係ない。藤原崇太郎さん(旭化成)も小原拳哉さん(パーク24)もいるけれど、関係ない。とにかく強くなりたいし勝ちたい。それだけ。できるのであれば、彼らとたくさん練習もしたいくらい。それでまた強くなれるのならありがたい。

 ◎プロフィール
 おいの・ゆうへい 北九州市出身。2人の兄の影響で4歳から柔道を始め、親元を離れて長崎日大高へ進学。3年時の南部九州インターハイ個人81キロ級で準優勝した。帝京平成大進学後、2年時に全日本ジュニアを制し、自身初の国際大会となったグランプリ・ポルトガル大会で銅メダルを獲得。3年時は全日本学生体重別選手権で大学日本一となり、今季は4月の全日本選抜体重別選手権を初制覇した。得意技は内股と小外刈り。身長176センチ。

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