バクチク現象とは何だ? 80年代インディーズシーンに燦然と輝くキャッチフレーズ  今こそ注目! 80年代インディーズ「バクチク」

非難GO-GOはBUCK-TICKで東京進出。そして巻き起こす「バクチク現象」

「バクチク現象」という言葉をご存知か。

メジャーデビュー以来36年を超え、今も高い動員力と独特の音楽性をもって根強いファンを獲得しているロックバンドBUCK-TICKを示すキャッチフレーズである。

だが、この「バクチク現象」のフレーズが最初に世に現れたのは今から36年前のこと。インディーズからのファーストアルバム発売記念のライブを東京・池袋の豊島公会堂で開催した際のタイトルである。

BUCK-TICKは櫻井敦司(Vo.)、今井寿(G.)、星野英彦(Key.)、樋口豊(B.)、ヤガミトール(Dr.)の5人組。当初ザ・スターリンのカヴァーバンドで、ハードコアパンクを標榜しており、その音楽性はラブ&ロケッツやバウハウスなどイギリスのポストパンクからの影響が大きかった。群馬県出身、出自がパンクとあって初期はBOØWYとの接点がよく語られていた。次第に櫻井の音楽性が投影されはじめ、デカダンスを前面に押し出した独自の個性を放つようになるのはメジャーデビュー以降しばらく経ってから、具体的には90年の『惡の華』以降のことである。

そのBUCK-TICKがまだパンクに強く傾倒していた時代が、メジャーデビュー前のインディーズ時代である。もともと “非難GO-GO” というバンド名で、1984年の春からオリジナル曲を中心に活動していたが、同年夏にバンド名をBUCK-TICKに変え、東京に進出しライブ活動を行っていた。

太陽レコードからファーストEP「TO-SEARCH」リリース!

この時期、彼らは音楽誌の新人紹介コーナーに掲載されたことでライブの動員力が増え、自主制作でレコードを作る案が浮上する。メンバーのヤガミの伝手を利用し、1986年5月、ヤマハの日吉センタースタジオでレコーディングがスタート。この時点ではもちろん、リリース予定が無いままの見切り発車であった。そこに声をかけてきたのが太陽レコードを主宰するサワキカスミ(沢木一三)であった。

サワキはもともと、憂国系のパンクバンド「火の宮(ひのきゅう)」で活動しており、自身のバンドの作品を発表するために火の宮音楽出版を立ち上げていた。その後85年に太陽レコードを設立。GEIL、幻覚マイム、恐悪狂人団など独特のバッドテイストな作品群をリリースしていたが、彼がBUCK-TICKと出会ったのは太陽レコード発足2年目のことである。また、同社にはBUCK-TICKと同じくのちにメジャーデビューするソフトバレエやTHE STREET BEATSなども在籍することになり、当時あちこちで勃興してきた80年代のインディーズメーカーの中でも、サワキの個性が反映された独自のカラーを持つレーベルであった。

サワキにより見出された彼らは、86年10月21日にBUCK-TICKのファーストEP「TO-SEARCH」を発表。その後アルバムのためのレコーディングが再度開始され、2週間で約100時間の間に13曲を録音するというハードスケジュールを敢行、翌87年4月1日に12インチとCDで『HURRY UP MODE(殺シノ調ベ)』がリリースされた。今井の凝りまくったメロディーラインの特徴がすでに現れている「FLY HIGH」や、スカのリズムを用いた「FOR DANGEROUS KIDS」、シンバルの逆回転を入れた「ROMANESQUE」など、のちのデカダン路線に通じる退廃美と、パンクバンドとしてのビート感、荒いが勢いのある演奏が重なり合った、常にサウンド面を進化させていくBUCK-TICKの第一歩が明確に音として残されている。

豊島公会堂で敢行されたライブイベント。そしてビクターからメジャーデビュー

このアルバム発売を記念して、リリース日に豊島公会堂でのライブイベントを開催することが決定。当初は太陽レコードの所属アーティストによるライブで、メインをBUCK-TICKに予定していたものの、名もなきインディーズバンドに同所のキャパである1,200人の集客が疑問視され、他のバンドは次々に出演を辞退。この状況を打破するため、サワキの提案で「BUCK-TICK現象 4月1日 豊島公会堂」と黒地に白抜き文字で書かれたステッカーが渋谷、原宿など若者が集まるスポットを中心に、街中の至る所にゲリラ的に貼られていった。

当時、東京で遊んでいた若者であるなら、都心の電柱やら地下通路などあらゆる場所でこのステッカーを見かけたはずである。それほど目に付く、インパクトのあるキャッチであった。

結果的に当日券が400枚も捌け、満員とはならなかったものの800人の動員に成功。まさにBUCK-TICK現象を巻き起こした彼らは、音楽関係者に衝撃を与え、同ライブを観にきていたメジャーのレコード会社各社からスカウトが殺到、ビクター音楽産業からのメジャーデビューが決定した。

「バクチク現象」のキャッチフレーズは、メジャーデビューの際のライブビデオにもその名が刻まれている。彼らはCDよりも先に、ビデオでメジャーデビューを果たしたのだが、そのビデオは6月16日に渋谷LIVE INNで行われたステージの模様を収録したもの。

このビデオ『バクチク現象 at LIVE INN』が正式なメジャーデビュー作である。「バクチク現象」はその後も89年12月の東京ドームでのライブや、彼らのドキュメンタリー映画のタイトルなど、随所で使用されているが、最初のバクチク現象のインパクトは今も色褪せず、80年代インディーズシーンに燦然と輝いている。

カタリベ: 馬飼野元宏

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