【一周忌を終えて】安倍元総理の精神は政治家の鑑|和田政宗 7月8日、芝・増上寺において安倍晋三元総理の一周忌法要が執り行われた。その後の集会で昭恵夫人のスピーチを聞き、改めて昨年7月8日の衝撃が私の身体にもよみがえり、涙が流れた――。今回は安倍元総理のお人柄とエピソードを皆様にお伝えしたい。

「LGBTの友人に会ってくれ」と昭恵夫人

7月8日、芝・増上寺において安倍晋三元総理の一周忌法要が執り行われた。私も焼香させていただき、その後開かれた「安倍晋三元首相の志を継承する集い」に参加した。昭恵夫人は増上寺でも集会でもずっと泣いておられて、いたたまれない気持ちになった。

集いでの挨拶で昭恵夫人は、「去年の今日のことを思い出すと、本当に朝から涙が止まらなくなって、申し訳ございません」と述べられ、改めて昨年7月8日の衝撃が私の身体にもよみがえり、涙が流れた。

この集いでの昭恵夫人のお話は、安倍元総理のお人柄がよくわかる内容だった。ぜひ皆様も全文をご一読いただければと思うし、そのお話を紐解きながら、今回は安倍元総理のお人柄とエピソードを皆様にお伝えしたい。

【スピーチ全文】昭恵夫人「LGBTの友人に会って議論重ねた」

昭恵夫人は、「最後に私が主人に頼んだのがLGBTの友人に会ってくれということでした」とお話になった。昭恵夫人にはLGBTの友人が多くいるとのことで、様々な意見が直接寄せられていたことから、直接会って話を聞いてもらえないかと安倍元総理にお話ししたとのこと。

そうしたところ、安倍元総理は、「いいよ」と言ってお会いになった。その時の様子を昭恵夫人はこう述べられた。

「食事をしながら、飲みながら、彼らの話を熱心に聞いて、一つ一つの課題に対して、法律にしなくても、これはこういう解決方法があるんだと。日本は昔から差別をするような国ではないんだと、議論を重ねて彼らは大変喜んで納得をしていました」

このように安倍元総理は、総理時代から、昭恵夫人を通じて様々な方の意見をお聞きになっていた。安倍政権に批判的な方にも昭恵さんは果敢に会っており、そうした方々の意見を安倍総理に伝えていた。そして、なかなか総理時代には会うのは難しかった方々でも、総理退任後は昭恵夫人を通じお会いしていた。

みんな安倍総理が大好きだった

こんなエピソードがある。

まだ総理在任期間中に、私はある青年を昭恵夫人から紹介された。まだ大学生で起業したばかりの青年だった。真面目で意欲のある青年だったので私も気にかけ折々に連絡していたが、ある時、その青年が「そういえば先日、総理のご自宅に伺ってご夫妻とご飯食べてきました」と写真を見せたのである。

私は驚いたが、総理も夫人も笑顔で、とても楽しい会だったのだなとわかる写真だった。話は弾んで学生生活から世界のことまで多岐にわたり、2時間以上に及んだとのこと。このように、たとえ大学生であっても安倍総理は機会があれば親しく話を聞いた。なお、この青年は、社会起業家としてその発想と実力で今は順調に会社を成長させ、社会に貢献している。

今回の昭恵さんの話では、LGBTの友人の方々は安倍元総理と議論の後、「大変喜んで納得をして」帰ったとのことだが、会って意見が変わらなかったとしても一度お会いした方々は、安倍元総理や昭恵さんのことを好きになっていった。

東日本大震災の被災地でも安倍総理は常に大歓迎された。その優しさは触れ合えば皆が感じることであり、仮設住宅や復興住宅には様々な考えの方もいたが、安倍総理に嫌な顔をする方は一人もいなかった。

なお、昭恵さんは、安倍元総理がLGBTの方々への理解促進について、「一つ一つの課題に対して、法律にしなくても、これはこういう解決方法があるんだ」と述べていたことを明らかにした。やはり安倍元総理の考えはそうであって、私も安倍元総理から「法案で推進する」ということは一度も聞いたことはない。

なお、昭恵さんのこのスピーチの際には、法案を推進した党幹部たちも着席して話を聞いていた。

「この国のために」という不屈の精神

そして、安倍元総理の不屈の精神についても昭恵夫人からお話があった。平成24(2012)年の自民党総裁選再立候補の際の夫妻の会話である。

「もし落選したらどうするのと聞いたところ、今回もし一生懸命頑張ってだめだったら、命を奪われるわけではないので、また次再チャレンジすると、その次ダメでもまた再チャレンジすればいい。自分の経験を生かし何度でも挑戦して、この国のために働きたい」

安倍元総理はひたすら「国のために」ということを考え、そのことのみに不屈の精神で邁進していた。

さらに、1回失敗しても「再チャレンジ」できる社会を目指し政策を打った。意欲があれば何度でも挑戦できる機会が得られるようにする。「もうどうやっても無理だ」という閉塞感がある社会ではなく、あきらめずに挑戦し続けた人が報われる社会を目指した。

実は、この「再チャレンジ」は、安倍元総理が大学卒業後に就職した神戸製鋼での失敗も元になっている。安倍元総理から直接この経験について伺ったが、新人時代に様々な寸法のパイプを大量に発注する際、寸法を間違って発注してしまったとのこと。

クビ覚悟で上司に申告したところ、「勉強だと思って次に活かしなさい」と上司は言い、奮起して仕事に一層精を出したとのことである。このように安倍元総理は実業の世界において、働くことの大変さや1円を稼ぐことの大変さを学んできた。だからこそ、雇用の安定や、働く人が将来に希望が持てる経済にすること、「再チャレンジ」もできる社会を目指した。

安倍元総理は、常に国民が豊かで平和に暮らせているかを考えていた。世の中や経済の動向をいつも気にしており、総理になられても庶民感覚のある方だったし、ご自身でネット検索もするなど、ちまたの事を良くご存じであった。私が、世間の声などをお伝えすると、「へえ、今そういう意見が強いんだね」と世の中のことや意見を敏感に捉えようとしていた。

昭恵夫人は、「志を受け継ぐ集い」でのお話を最後にこう締めくくった。

「これから皆さま方、主人がいなくなって悲しいという思いは持たれていると思います。私も本当に悲しいですけども、怒りの感情を持つのではなく、恨みの感情を持つのではなく、どうか主人が亡くなったことで奮起をしていただき、この日本の国のために皆さんの力を合わせていただくことが主人に対する供養だと思います」

ひたすら国のために尽くされた安倍晋三元総理の精神は我々政治家の鑑である。そして、我が国の未来永劫の発展のために今を生きる我々は力を合わせて尽くしていかなくてはならない。政治家としても常に安倍元総理の精神と向き合い、しっかり行動していきたい。

著者略歴

和田政宗

© 株式会社飛鳥新社