「あの坂へいそげ」紙芝居で北海道南西沖地震の体験伝える被災者

北海道南西沖地震で被災した自らの体験を紙芝居で後世に語り継ぐ活動をしている男性がいます。地震から30年経ったいま何を思うのか、取材しました。

(紙芝居上演)「夜の10時17分。まさにその時です。突然ドドーンという大きな地鳴りがして家の電気が消え辺りは真っ暗になりました。ぐるぐる回る洗濯機の中にでもいるような大きな揺れです」

三浦浩さん、45歳。青森県で生まれ、奥尻町で育ちました。現在は南西沖地震の語り部として活動しています。三浦さんは震災当時、高校1年生。奥尻島で最大の被災地となった青苗地区に祖父母と住んでいました。

(三浦さん)「僕は揺れてる最中にもう「津波」という言葉が頭にあったんです。じいさんおんぶして、ばあちゃんが近所の人と話してたんで『何やってんだ、行くぞ』ってこの一言で近所の人々もばあちゃんも一緒に逃げた。ばあちゃんの手引っ張って、懐中電灯照らしながら、じいさんおんぶして格好は裸足で。トランクス1枚で60メートル先の灯台を目指して。地震が収まってから数えると3分台で自分のところまで波しぶきが来ていました。あと一歩後ろにいたらこの命はないんですよ」

その後、「人の役に立つ仕事がしたい」と奥尻島で消防士として勤務。その傍ら防災教室などで地震の体験を伝えていた三浦さんに転機が訪れます。地元の青森に戻った際、昭和三陸津波の体験を紙芝居で語り継ぐ活動をしていた田畑ヨシさんと出会い、ある言葉をかけられたといいます。

(三浦さん)「田畑さんからは『あんたが情熱的に喋ったって誰にも伝わらない。でも物語は、あんたがいなくなってもずっと伝わっていく、残っていくもんだよ』って言われた。亡くなるときは何も持っていけない。でも残せるものはあると言ってくれたことがずっと心に残っています」

2016年に伝承活動に専念するため消防士を辞め、栗山町に移住。手作りの紙芝居を使って全国を回りながら命の大切さを語り継いでいます。

講演を聞いた人に感想を聞くと…「被災体験をこんなに明るく元気に喋る人初めてだった」「自分の命、まわりの命をつなぐためには、いろいろ準備するものあったよなって再確認している」

地震から30年経ったいま三浦さんが改めて思うことは。

(三浦さん)「早い段階で高いところに行けば助かるんですよ。頭ではわかる、でも行動ができないってことです。だから皆がアクションできるようになるまで僕は何回も何回もこれを伝えなければならないと思ってるんです」

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