ISSBの開示基準は日本企業にとって投資家との新たな対話の始まり――ESG投資の専門家、有識者会議委員の小野塚氏に聞く

ISSBによる最初の開示基準が発表された6月26日のIFRS会議の様子は、動画でも世界に発信された(IFRSのニュースリリースより)

非財務情報開示における世界共通の物差しとなる国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)による最初の開示基準が先月末、公表された。企業が短期、中期、長期にわたって直面するサステナビリティ課題のリスクと機会の開示における全体的指針(IFRS S1)と、 気候変動関連の開示に特化した指針(IFRS S2)からなり、投資家が企業を理解する上でのグローバル・ベースラインとなるものだ。持続可能な社会に向けて世界でサステナブルファイナンスの流れが加速するなか、新しくISSBの開示基準が示されたことは日本企業にとってどのような意味を持つのか。外資系金融機関などで投資家として20年以上の経験を持ち、金融庁や経産省、内閣府等の有識者会議の委員も務める小野塚惠美氏=エミネントグループCEO=に聞いた。(廣末智子)

ISSBによると、新開示基準は気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の勧告を完全に取り入れ、 S1と S2の両指針を併用するように設計。企業が財務諸表と並行してサステナビリティ関連情報を同じ報告パッケージで提供できるよう、あらゆる会計要件と組み合わせて使用できるように開発されている。具体的には温室効果ガスの排出を巡ってスコープ1、2に加えてスコープ3の開示を求めるほか、気候変動リスクの影響を受けやすい資産の規模や、気候変動対策の資金調達額や投資額などの開示も必要としているのが特徴だ。2024年度から適用可能で、具体的にいつから開示を義務付けるかは各国が決める。

“ESGの時代”の到達点と同時に出発点でもある

ISSBによる新基準の意義について語る小野塚氏(東京・港区の事務所)

今回、ISSBによる開示基準が示された背景と意義を、小野塚氏は冒頭から次のように語る。

「前提として大事なのは企業のサステナビリティやESGへの対応が潮目を迎え、いま、明らかに、世界でサステナブルファイナンスを活用することが不可欠な時代になっているということ。いわゆる“アルファベット・スープ”と称される、サステナビリティ情報を巡るさまざまな開示基準を集約して統一し、読み手である投資者のニーズを満たす形で世に出たことの意義はすごく大きい。世界の金融にとって“ESGの時代“の到達点であると同時にスタート地点であるとも言える。企業にとっては投資家と主体的にエンゲージメントを進める上での転換点だ」

これまでの経緯を総括すると、2000年以降、企業は倫理的観点から事業活動を通じて社会に貢献する“CSRの時代”を経て、世界的には2010年ごろから環境、社会、ガバナンスへの取り組みを重視する“ESGの時代”に入った。そして、小野塚氏の言葉を借りると、「企業が何か物をつくって売って稼いでという、実業の部分と、社会課題を解決しながら持続的に利益を上げていこうとする部分に投資家がマネーを振り向ける流れとが一体化した」のが、世界の金融に組み込まれた『サステナブルファイナンス』の大きな流れだ。

小野塚氏によると、サステナブルファイナンスとは、分かりやすく言えば、「企業や社会の持続可能性を実現するために、資金の流れを変化させることを意識した金融」を指す。企業にとっては今まさに、「利益を上げながら社会課題の解決を目指すサステナブル経営と、サステナブルファイナンスとを接続させる時にきている」という。

ISSBは、2021年11月に英グラスゴーで開かれたCOP26で設立が発表された。そこから2年足らずで今回の開示基準が発表されたのは「異例の速さ」であり、それだけサステナブルファイナンスを取り巻く世界の要請が強まっていることが読み取れる。

アセットオーナーがESG重視に目覚めるに至った危機感とは

小野塚氏自身は東京で米ゴールドマン・サックスの資産運用部に在籍していた2013年ごろ、英国チームの要請で日本企業のESG課題への対応を調査する役回りを引き受けたのがきっかけで、この分野に深く関わるようになった。当時は欧州を中心に投資運用会社がESGを投資のプロセスに取り込むようになったばかりで、日本ではまだ一般的ではなかったが、例えば、環境に関するポリシーはあるか、データを開示しているかなど、EとS、Gに関わるそれぞれ20ほどのチェックリストの点数によって投資の判断がなされ、「何点以下であれば、まさに今で言う、エンゲージメントをしようということが行われていた」と振り返る。

そのように投資会社がESGを投資のプロセスに取り込み始めた背景には「機関投資家のうちアセットオーナーと呼ばれる大学基金や年金基金が、『企業は中長期的な価値創造のために、迅速な意思決定のもと、環境社会の外部性と関係性を理解し、説明しなければならない』とする考えから、ESGへの取り組みを重視する方向性に目覚めたこと」が大きい。そしてその前提には2つの危機感があったと小野塚氏は力説する。

「一つには、企業がこれまでのように環境や人権問題に対応をせずに事業を行っていくことはおそらく不可能であることへの危機感。例えば炭素税がかかってくる、コストが安いからといって新疆ウイグル自治区で原材料を調達していれば企業の信用に関わるだけでなく、輸出もできなくなる。そうしたリスクが明らかになってきた。そして、そのような、従来の事業環境を前提として操業している企業には投資をしてもリターンが上がらない、そんな世の中が来るという、投資家側にとっての危機感がもう一つ。つまり、『責任当事者』が企業と機関投資家に広がり、PRI(責任投資原則)への署名機関も一気に増えた。流れが加速していった」

欧州から4年遅れで日本にも「有識者会議」

そうして、国連によってSDGsが採択された翌年、2016年には欧州でサステナブルファイナンスが経済政策として推し進められるようになる。4年遅れの2020年12月には日本にも経産省に「サステナブルファイナンス有識者会議」が、2021年には「非財務情報の開示指針研究会」が設置され、小野塚氏もそれらの一員として国内外の情勢や日本独自の課題を巡って議論を進めてきた。

例えば、今回の新基準では、温室効果ガス排出量を巡り、上場企業がサプライチェーン全体の「スコープ3」を含めた情報開示を求められる見通しとなったことが特に注目されている。これについて小野塚氏は、日本からは「非財務情報の開示指針研究会」を通じてISSBの大本であるIFRS財団に対し、「スコープ3を開示基準とすること自体には賛成する一方で、データの入手可能性や算定手法等における課題を指摘していた」こと=「IFRS S1号及びS2号の(最終版)の規定について」参照=を挙げ、「こうした日本の意見も加味された結果、スコープ3の開示はスコープ1、2に比べて難しいため、1年間の猶予期間付きとなった」と解説する。

日本企業はアセットオーナーとして主体的な発信を

つまり、「日本企業の現状を知らないところで決まった基準ではないからこそ、日本企業には開示のための開示ではなく、このフレームワークに沿ってどこまできちんと内容を見せ、人を張って、デジタライゼーションをするのかということを考えてほしい」という思いが、資金の出し手である投資家としては強くある。サステナブルファイナンスのなかでも、企業が人的資本や財務資本を使って価値を創造し、そこから生まれる商品やサービスの直接的な成果とその先にある社会的なインパクトまでを考慮する「インパクト投資」に注目が集まる今、ISSBの基準を切り口に、小野塚氏が日本企業に期待するのは「アセットクリエーターとしての主体的な発信」だ。

「新基準の最大のポイントは、資金を提供する投資家と共通言語で話をしましょう、ということ。これまでは投資家からエンゲージメントを受ける立場だった企業に、これからは自社の価値創造を自ら発信し、銀行や証券会社との対話をドライブしていってほしい。今回の開示基準によって、サステナブル経営とサステナブルファイナンスを初めて接続させることができるのではないか」

新基準は、SASB(米国サステナビリティ会計基準審議会)のフレームワークをもとにしており、現状では米国ベースであることが課題だが、産業セクターや業種ごとに細かく振り分けられたサステナビリティ課題は投資家や会計士、事業会社などのステークホルダーの75%以上の賛同を得られた項目に絞られている。日本ではこれに沿い、金融庁が立ち上げた、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)が、2023年度中に国内基準を制定する予定だ。

小野塚氏は、「例えば有価証券報告書への記載が義務付けられるかどうかなどはまだ分からない」とした上で、「業種も規模もステージも違う企業が、それぞれに合った形で、この考え方を取り入れることが大事だ」と強調。「大きな会社はもちろん、非上場の会社にとっても意味がある」と続ける。ESGのスペシャリストによるそうした“読み”を参考に、ISSBと向き合っていくことが今、日本企業に求められているのではないか。

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