<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(2)地上戦の劣勢から空爆を多用する国軍

2022年5月、KNLAとPDFの混成部隊の攻撃で、国軍のテーボーボー基地が陥落。国軍側の兵士7人が死亡、11人がタイ側に逃走、7人が捕虜になった。(2022年5月、コブラ縦隊/KIC提供)

<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(1)タイ国境の街から解放区内へ

国軍と少数民族武装勢力「カレン民族解放軍」(KNLA)との戦闘が続くミャンマー南東部のカレン解放区。クーデター後の2年間で、約8000回の戦闘が起き、7000人近い国軍兵士が死亡した。KNLA側の捕虜になった者も少なくない。地上戦で劣勢状態にある国軍は、空爆による攻撃を強めている。解放区の内側で生きる人びとの姿を伝える。(赤津陽治)

◆捕虜となった国軍軍人たち

捕虜となった国軍兵士たちが暮らしているという場所を訪れると、およそ15人が川沿いの土地で暮らしていた。全員、手錠や足枷をつけられることもなく、豚やアヒルを飼い、インゲン豆やパパイヤなどの野菜を栽培しながら共同生活を送っていた。

昨年5月に捕虜となったティントゥン軍曹。33年間勤務した国軍について、「家族のような存在にはならなかった。囚人のような人生だった」と語った。(2023年2月、ミャンマー・カレン解放区、赤津陽治撮影)

昨年5月にタイ国境近くのテーボーボー基地で捕虜になったティントゥン軍曹(55)は、国軍第32歩兵大隊に所属し、基地の守備に当たっていた。

5月19日、KNLAと人民防衛軍(PDF)の合同部隊であるコブラ縦隊の攻撃を受け、基地は陥落。副大隊長を含む7人が死亡、11人がタイ側へ逃げ込み、7人が拘束されて捕虜になった。

ティントゥン軍曹はマンダレー管区出身。幼くして両親を亡くし、親戚の元で育った。自分の居場所がないという感覚を常に抱いていた。そうした疎外感から、33年前、自ら国軍の扉を叩き、入隊した。

クーデターが起きたとき、タイ国境パヤートンズーに近い、別の基地にいた。その後、大隊本部に戻ったとき、「選挙で不正があったため、軍が全権を“確保”した」と聞き、クーデターがあったことを初めて知った。

2020年11月の選挙のときは前線にいたため、自身では投票しなかった。所属する大隊本部の大尉から「代わりに投票しておいた」と聞かされた。大尉は全隊員の給料を扱うため、個人情報を把握している。その情報を元に本人に代わって投票したという。

「投票の不正があったと軍は非難しているが、実際に不正を働いたのは、軍の方だった」

33年間国軍の中で生きてきた彼が、自嘲気味にそう話した。

川から汲んできた水を畑に撒く国軍捕虜たち。テキパキと働く姿が印象的だった。(2023年2月、ミャンマー・カレン解放区、赤津陽治撮影)

◆国軍軍人の生活

国軍第275歩兵大隊のソーパイン伍長(49)は、2021年12月にカレン解放区内のレイケーコーで拘束された。

レイケーコーは、難民が帰還して再定住していけるよう、2016年から日本の援助(約64億円)で造成された新しい町だった。日本財団が建設した住居には、クーデター後、多くの政治家や活動家が拘束の危険から避難して身を寄せていた。KNLA第6旅団地域内にあり、国軍側が自由に手出しできない場所だった。

しかし、2021年12月に国軍部隊が侵入し、国民民主連盟(NLD)議員らを拘束して連行した。

それをきっかけにKNLA第6旅団と国軍との間で戦闘が勃発。12月15日と16日の戦闘で、国軍側は18人が死亡し、8人が拘束された。

ソーパイン伍長は、国軍兵士の遺体回収の命令を受け、町に一般車で入ろうとしたところをKNLAに止められ、捕虜となった。

大隊では、おもに給料の支給を担当していた。兵士の給料は、軍曹で23万チャット(現在の実勢レートで約1万800円)、伍長で21万3000チャット(約1万円)、兵卒で16万チャット(約7500円)。他に米や油、塩などが現物支給される。

一方で、軍人の福利厚生という名目で、国軍系企業「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス・リミテッド」(MEHL)への出資金が天引きされる。独身の場合は月2万チャット(約940円)、既婚の場合は月1万チャット(約470円)が自動的に引かれる。

他にも、MEHLの系列会社が製造した服を購入させられる。軍の新聞を強制的に購読させられる。軍管理下の銀行に預金させられる。別の国軍系企業であるミャンマー経済公社(MEC)傘下の保険会社の生命保険に加入させられる。

自由に使える金は少なく、スマートフォンでインターネットも使わないという。捕虜たちは、口々に「外出することも許されず、基地の外のことは何も知らなかった」と言った。

そして、「国軍にはもう戻らない」と口を揃えた。武器弾薬が尽きる前に捕虜になった者は、禁錮15年の刑に処されるからだという。

KNLA第6旅団第18大隊のサンティン副大隊長。「地上戦ならば、我々に勝算がある」と話した。(2023年2月、ミャンマー・カレン解放区、赤津陽治撮影)

◆空爆に頼る国軍

「国軍側は、地上戦のほとんどで我々に負けている。そのため、彼らは空爆に頼るしかない状況になっている。空爆がなければ、我々に十分勝算がある」

KNLA第6旅団第18大隊のサンティン副大隊長は、そう断言する。

地上戦で劣勢の国軍は、空爆を多用するようになっている。滞在中も、同じ第6旅団地域で、国軍が2発の爆弾を投下、教会が破壊された。2023年1月から3月までで、KNU支配地域に対する空爆は116回あり、住民15人が死亡、20人が負傷した。(2023年2月10日、カレン州ミャワディ南部ティーカパレー村、KNDO/KIC提供)

カレン民族同盟(KNU)側の発表では、クーデター以降、2023年1月までの集計で、国軍とKNLAとの間で8038回の戦闘が起きた。国軍側の兵士は6876人が死亡し、5519人が負傷した一方、KNLA側の兵士は219人が死亡し、605人が負傷した。

こうした地上戦での劣勢から、国軍側は空爆を多用するようになっている。

2023年1月から3月までで、KNU支配地域に対する国軍の空爆は116回あり、住民15人が死亡、20人が負傷した。

◆空爆の爪痕

空爆跡地のひとつ、サンジャウン訓練キャンプを訪れた。

2022年11月に空爆を受けたサンジャウン基地。空爆前は、軍事強化訓練の場所だった。ミャンマーの民間シンクタンクの集計では、クーデターからことし4月までで、全国で1427回の空爆があり、民間人634人が死亡した。カレン州は最多の322回の空爆を受けた。(2023年2月、ミャンマー・カレン解放区、赤津陽治撮影)

山上の開けた平坦地には、破壊されて骨組みだけが残った木造の建物が3棟あった。近づいてよく見ると、柱には爆弾の破片による傷跡が残されていた。周辺には、直径約5メートル、深さ約1メートルの大きな窪みがふたつできていた。昨年11月の空爆直前まで、PDFの軍事強化訓練が行なわれていた場所だったという。

空爆を経験した兵士によると、空爆の爆弾が爆発すると、鼓膜が破れてしまうほどの大きな音が響き渡るという。振動による衝撃も凄まじく、胸の下に拳を入れて、地面から心臓が離れるように伏せなければならない。

投下される爆弾は、500ポンド(227キロ)級や250ポンド(113キロ)級などで、広範囲に破片が飛散し、人間を殺傷する。500ポンド爆弾の場合、半径120メートルに爆弾の破片が飛び交うといわれる。( 続く)

※提供を受けた写真以外はすべて、2023年2月にミャンマー・カレン解放区で赤津陽治撮影。

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