<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(1)タイ国境の街から解放区内へ

タイ・ミャンマー国境の第2友好橋・検問所。クーデター前、アジア最後のフロンティアとして経済発展が期待されていたミャンマー。両国の物流増加を見込んで、2019年から第2の友好橋が開通していた。

2月中旬、国軍との戦闘が続く少数民族武装組織「カレン民族同盟」(KNU)の実効支配地域(カレン解放区)に入った。国連の発表では、2021年2月のクーデター以降、移動を余儀なくされた国内避難民は、ミャンマー全体で150万人にのぼる。国軍は空爆による攻撃を強めており、カレン解放区では新たに十数万人が国内避難民となっている。内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区で生きる人びとの姿を伝える。(赤津陽治

◆ミャンマーとの国境の街タイ・メーソット

カレン解放区への入口は、国境の街タイ・メーソットにあった。

12年ぶりに訪れたメーソットは、大きく変貌していた。ミャンマーにつながるアジアハイウェイは片側4車線になり、国境には両国を結ぶ第2の友好橋が開通していた。街にはバンコクなどでよく目にするショッピングモールが立ち並び、街全体が巨大化していた。

以前と変わらないのは、ほとんどの場所でビルマ語が通じることだ。街には多くのミャンマー人が暮らし、飲食店や小売店、工場など、さまざまな仕事に就いている。

コロナ禍で陸路での出入国は制限されていたが、ことし1月、およそ3年ぶりに解除され、国境の橋を渡ってメーソットを訪れるミャンマー人も増え始めていた。

カレン州地図 作成:赤津陽治

◆クーデター後に逃れてきたミャンマー人たち

メーソットには、軍事独裁体制下から逃れてきたミャンマー人も多く暮らす。

ことし1月に来たトゥーゾーさん(31)もそのひとりだ。

首都ネーピードーの本省に勤務していた彼は、クーデター直後から、CDM(市民的不服従運動)への参加を呼びかけた。CDMとは、公務員らが軍事政権下で職務に就くことを拒否し、政府機能の麻痺をねらった抗議手法だ。

「選挙で国民が選んだ政府ではなく、クーデターで権力を握った政府のためには働きたくなかったのです」

彼の勤務する省からは、全国で約800人がCDMに参加した。医療従事者や教職員、警官などを中心に、ミャンマー全体で約25万人の公務員がCDMに参加したといわれる。

参加した公務員の多くは免職され、軍事政権側のブラックリストに載せられた。彼とともにCDMに参加し、免職された同僚の女性(31)は昨年4月、ヤンゴン空港から出国しようとして拘束され、旅券を没収された。その後、解放されたものの、空路による出国の道が断たれていることを知った。

メーソットには、約7000人のCDMに参加した公務員が逃れてきているという。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、難民として登録を受け付けたミャンマー人のため、市内にあるホテル数軒を借り上げ、第三国に向かうまでの滞在先として提供している。しかし、希望者が殺到し、登録にさえたどり着けず、自力で生活する者も少なくない。

トゥーゾーさんは現在、国内で抵抗運動を続ける組織に資金を送り届ける役割を担っている。正式な滞在許可もなく、タイの警察や入管に捕まるおそれがあり、外出もままならない。それでも、近い将来の祖国の民主化を信じ、第三国に向かうつもりはない。

「この1年で決着がつくと信じています。それまで、ここに留まって抵抗運動を続けるつもりです」

タイ国境近くの国内避難民キャンプ。カレン民族同盟(KNU)は実効支配地域全体で約50万人の国内避難民がいるとしている。2022年末時点では約36万人で、ことしに入って急増している。

◆国境を越えて解放区へ

私がカレン民族同盟(KNU)の解放区に入るのは20年ぶりだ。2003年に訪問したときは、メーソットから車で半日、ボートで半日、徒歩で丸1日かけて、KNUの第5旅団地域の中心地デボノに到着した。その後の域内の移動はすべて徒歩だった。

今回訪問した第6旅団地域へは、メーソットから車で1時間ほど移動し、河の対岸にボートで渡っただけだった。域内は四輪駆動車で移動ができ、一部舗装された道路もあった。

こうした状況は、平地が多いという地形的理由もあるが、解放区を実効支配するKNUが2010年代に停戦していたことが大きい。1949年に武装蜂起して以来、カレン民族の自治権を求めて戦ってきたKNUは、2012年に初めて停戦を受け入れたのち、解放区内のインフラ整備を進めた。

KNUは、独自の行政・司法機構を有し、カレン州、モン州、バゴー管区、タニンダーイ管区内の一定地域を実効支配する。カレン民族解放軍(KNLA)という独自の軍隊を持ち、第1から第7旅団の各旅団管轄地域がそのまま行政区分になっている。第6旅団地域はドゥプラヤー県とも呼ばれ、南北に延びるカレン州の南部に位置する。

タイ国境から護衛として同行してくれたカレン民族解放軍の兵士。カレン民族同盟(KNU)の軍隊で7旅団あり、各旅団の管轄地域が『県』という行政単位になる。独自の行政・司法機構を持つ。

◆士気の高いPDFと低い国軍

国境を越え、ドーナ山脈を四輪駆動車で登り続けると、時折り、道沿いに朽ち果てた車や竹とビニールシートで作られた小屋を見かけた。人民防衛軍(PDF)の哨戒拠点だという。

PDFとは、武装闘争を決意して都市からやって来た若者たちの義勇軍だ。

2021年2月の国軍によるクーデター後、多くの市民が街頭に出て平和的に抗議デモを行なった。軍政側の鎮圧は次第に激しさを増し、発砲による死傷者が日々増加していった。

多くの若者たちが、少数民族武装勢力の解放区に向かい、軍事訓練を受け、武器を持って闘う道を選んだ。そうした武装組織はPDFと呼ばれ、全国各地に数多く生まれた。

クーデター後、都市でデモに参加した若者は、弾圧が強まるにつれ、KNUの解放区に逃れた。山中には、そうした若者たちの軍隊であるPDF(人民防衛軍)の哨戒拠点があった。

軍事政権に対抗する並行政権として2021年4月に樹立された国民統一政府(NUG)は、国防省を設置し、各地のPDFの統合を図ってきた。これまでに約300の部隊がNUGのPDF大隊として編成されている。NUGは、一大隊が約200人としており、推定兵力は約6万5000人とされる。

KNLA第6旅団地域では、PDFは基本的にKNLAの指揮下に組み込まれている。ドーナ縦隊、コブラ縦隊、白虎縦隊、紅竜縦隊、白竜縦隊、黒豹縦隊など9つの縦隊があり、KNLAとPDFの混成部隊のかたちをとる。通常、各縦隊の指揮官はKNLA側の軍人が務め、副指揮官をPDF側の軍人が務める。

カレン民族解放軍第6旅団第27大隊長のヤンナイン大佐。クーデター前は、日本の援助で建設されたレイケーコーのプロジェクトに関わり、来日経験もある。

「PDFの若者たちの能力は高く、非常に士気が高い。国軍側は、地上戦のほとんどで我々に負けている」

KNLA第6旅団第27大隊長のヤンナイン大佐(55)は、そう話す。

そして、多くの国軍兵士が捕虜になっていることを明かした。

「以前ならば、考えられなかったことだが、今は地位の高い将校までが次々と捕虜になっている。士気が低く、兵士としての資質も十分に備えていない者が多い。ほとんどの大隊は、100人程度の人員しかいない。全国で戦線が拡がっているため、休暇もない状態で激務を強いられ、疲弊している」。(続く)

※写真はすべて、2023年2月にミャンマー・カレン解放区で赤津陽治撮影。

<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(2)地上戦の劣勢から空爆を多用する国軍
<ミャンマー現地報告>内戦が深刻化するミャンマー・カレン解放区(3)都市から逃れてきた人びと

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