あの日、教師も児童も犠牲に 奈良県「五條空襲」から78年、地元寺院で平和を祈る鐘

五條空襲から78年目の平和の鐘をつく廣岡住職(左から3人目)ら=8日午前8時半、五條市五條4の明西寺

 太平洋戦中の「五條空襲」から78年目となった8日、奈良県五條市内の協力寺院が空襲の時間に合わせてそれぞれの境内の鐘を突き、犠牲になった市民らを慰霊した。通りがかった市民らも静かに手を合わせた。

 1945(昭和20)年8月8日、開戦の日にちなんで毎月8日に勝利を祈る「大詔奉戴日」の朝だった。米軍機1機が吉野川にかかる大川橋や旧国鉄北宇智駅に入る列車、北宇智国民学校に機銃掃射を浴びせた。

 橋のたもとの理髪店で赤ちゃんを抱いた母親が亡くなり、全校児童が近くの神社にはだし参りをしたあとの学校で女性教員2人と児童1人が亡くなった。診療所に多くのけが人が運び込まれた。足を切断する大けがを負った教員らは「戦争を憎め」と語り継いだ。

 同市五條4丁目の明西寺では午前8時半、廣岡祐渉住職(72)と総代の山本健彦さん(83)らがそろって鐘を突いた。お寺に空襲の被害はなかったが、「これはいよいよ危ない」と門徒の青年らが集まって本堂下に防空壕(ごう)を掘り、2日後の8月10日に本尊や諸仏を納めた記録が残る。

 廣岡住職の孫で中学1年の軍地智樹さん(12)は「僕たちは戦争を知らないが過去の戦争や世界の紛争について学ぶ機会はある。当時の人たちは本当に怖かっただろうと思う。平和が続いてほしい」と話した。

 総代の山本さんは「若い世代の方と一緒に平和の鐘をつけてよかった」と平和に感謝した。

© 株式会社奈良新聞社