志位委員長が誤魔化す優生思想に染まった日本共産党暗黒の歴史|松崎いたる 誤りを一切認めない独善的体質は党史『日本共産党の百年』の編纂でもいかんなく発揮された!志位委員長による歴史の偽造を元党員で『日本共産党 暗黒の百年史』の著者・松崎いたる氏が指弾する。ここが変だよ日本共産党第7弾!

新たな党員勧誘

日本共産党が党史『日本共産党の百年』(以下『百年』史)を発表した。同党の創立百周年は昨年2022年7月15日とされているので、『百年』史はほぼ1年かけて編纂されたことになる。

志位和夫委員長は7月25日の発表記者会見で「わが党は、2003年に『日本共産党の八十年』を発表しており、20年ぶりの党史の発表となります。『百年』史は『八十年』史の叙述が土台になっていますが、それは『八十年』史に、最近の20年の歴史を、ただつけくわえたというものではありません」と説明し、「党創立百年の地点で、わが党が到達した政治的・理論的・組織的到達点を踏まえて、百年の党史の全体を振り返り、叙述するものとなっています」と胸を張って見せた。

だが、共産党自身が共産党の歴史を語ったところで、自分たちに都合のいい材料をつなぎ合わせただけの「物語」にしかならないだろう。共産党にとっての党史とは、過去の事実の検証や反省が目的なのではなく、現在行われている政治闘争を優位に進めるための手段にすぎないからだ。もっと具体的にいえば、共産党は物語化された党史で新たな党員を誘い込もうとしている。

『日本共産党の百年』編纂でも独善的な体質

2023.7.25の記者会見より(YouTube)

共産党編纂の党史は、美談や英雄譚ばかりで、党外の者からすれば、自画自賛の宣伝文書にしか見えない。そうした批判を見越して、志位氏は『百年』史発表の会見では次のように強調している。

「わが党の歴史のなかには、さまざまな誤り、時には重大な誤りがあります。さらに歴史的な制約もあります。わが党の歴史は、それらに事実と道理にもとづいて誠実に向き合い、科学的社会主義を土台としてつねに自己改革を続けてきた歴史であります。『百年』史は、そうした自己改革の足跡を、可能な限り率直に明記するものとなっています。すなわち『百年』史では、わが党の過去の欠陥と歴史的制約について、何ものも恐れることのない科学的精神にもとづいて、国民の前に明らかにしています。わが党に対して「無謬(むびゅう)主義の党」――誤りを一切認めない党という非難がありますが、それがいかに事実に反するものであるかは、『百年』史をご一読いただければお分かりいただけると思います」。

だが「重大な誤り」を強調すればするほど、過去の誤りを誤りとして素直に反省するのではなく、誤りについての自分たちの責任を認めずに、「歴史的制約」などといって、他者に責任を押し付ける共産党の独善的な体質だ。自己の責任を認めないという点では依然として「無謬主義の党」なのだ。

志位氏は議事録が読めないのか

志位氏は、『百年』史において「過去の欠陥や歴史的制約についてメスを入れている」と強調し、その典型例として旧・優生保護法に対する共産党の態度の問題を取上げている。

「この法律は、1948年から96年にわたって存在したもので、強制不妊手術など憲法上の権利を違法に侵害する許しがたい立法でありました。これに日本共産党がどうかかわったか、今回検証の作業を突っ込んで行いました」(7月25日の記者会見)と述べたうえで、「実を言いますと、48年の立法当初について、当時の国会議事録をだいぶ精査したんですが、党議員団の態度が明瞭には判定がつかないのです。ただ、その後、1952年に旧『優生保護法』が改定されて、『優生手術』の範囲が拡大された。精神疾患をお持ちの方にも拡大された。重大な改悪です。その時、党議員団は賛成し、全会一致で成立させたという重大な誤りが明瞭になりました。この誤りについて、『百年』史には明記しております」などと舞台裏の〝苦労話〟を披瀝している。

この結果、『百年』史には「一九五二年の旧『優生保護法』の改定で、『優生手術』の適用範囲が拡大されたさい、党も賛成して全会一致で成立させるという重大な誤りをおかしました」と記述されることになった。

旧優生保護法については、法成立の当初から共産党が積極的に推進してきた事実を、私は昨年出版した『日本共産党 暗黒の百年史』(飛鳥新社)の中で詳述させていただいた。

これまでの共産党編纂の党史では、優生保護法や優性思想に触れたことはなかったので、『百年』史で初めてこの問題を取り上げたのは、私の『暗黒の百年史』での指摘を、共産党が無視できなくなった結果ともいえる。

しかし共産党が一年かけて国会議事録を精査したにもかかわらず「党議員団の態度が明瞭には判定がつかない」という志位氏の話が本当だとすれば、共産党による議事録精査はかなりずさんなものだといえる。なぜなら、私が一人で議事録を調べてみても、議事録には1948年の立法当初から共産党が優生保護法に賛成していた事実がきちんと記録されているからである。

志位氏は議事録の読み方を知らないのか。 それとも、優生保護法に賛成した年を1948年から1952年に遅らせて、いくらかでも優生思想に染まっていた暗黒の歴史を誤魔化そうと意図したのだろうか。

1948年の当初から優生保護法に賛成していた

優生保護法は1948(昭和23)年6月29日の衆議院本会議で、他の8本の法案と共に一括採決が行われた。一括されたのは議会運営委員会で共産党も含めて各会派間で賛否が分かれていないことが確認されていたからにほかならない。

共産党は最近まで、同法による強制不妊(断種)手術の被害者団体などから、この議事録を示され謝罪を要求されて際にも「採決時には共産党は退席していた可能性もある」などという言い訳をしていたともいわれている。しかし、9本もの議案すべての採決に共産党が退席することはあり得ない。もし優生保護法に共産党が「退席」を考えていたのなら、9議案一括の採決方法にはならなかった。

『百年』史が「誤り」として記載した1952年の法改定時の議事録には参院厚生委員会において、同改定案について共産党と日本社会党の2党が賛成討論を行い、のちの参院本会議で全会一致で可決成立したことが明記されている。1948年と1952年の議事録中の表記の違いは賛成した党の党名が明記されているか否かだが、党名がなくても議事録をよく読めば、1948年にも共産党が賛成していることはわかるはずだ。

「病弱者の妊娠中絶を」――優生思想普及の決議で賛成討論

しかも、共産党は優生保護法やその元になった優生思想を〝黙認〟という消極的姿勢ではなく、積極的に賛成、推進する立場だった。

優生保護法成立の翌年1949年5月12日の衆議院本会議において、「人口問題に関する決議」が全会一致で採択された。この決議は「健全な受胎調節思想の普及に努力すること」を掲げ、その具体的方法として「優生思想及び優生保護法の普及を図ること」が明記されていた。優生保護法推進のための国会決議である。

この決議への賛成討論を行ったのも日本社会党と共産党の2党だけである。全会一致となることが分かっている決議案に野党でありながら、わざわざ賛成討論を行うところに共産党の並々ならぬ積極性が見て取れる。

共産党を代表して討論を行った砂間一良議員は「病弱者の妊娠中絶をはかりまして適当に人口の自然増加を抑制することは、現在の状態のもとにおきましては必要にしてやむを得ない手段と考えるのであります」などと述べている。共産党にとって「病弱者」は淘汰すべき対象と考えられていたのである。

女性議員によるあからさまな優生思想の表明

1952年の優生保護法改定時の賛成討論を行ったのは、苅田アサノ参院議員だった。苅田は「これは単に悪質の遺伝を残さない、あるいは暴行等の不幸な災害から婦人の妊娠を拒絶する権利を守るということだけではありませんで、これは明らかに経済的な理由に基づいておるものであります」と述べたうえで、「根本的にいえば、まず第一番にこういう(再軍備を肯定する)政府を倒して、自主的に平和産業を拡大し、積極的につくることにあるのであります。しかし、それまでの過渡的な方法といたしまして、私たちは優生保護法によるこういう産児制限とか受胎調整に対しては、やむを得ないこととしてこれを承認するわけであります」と優生保護法に賛成したことを合理化した。精神疾患 や「悪質な遺伝」を持つ人の断種は当然であり、「経済的な理由」がある人=貧困者の産児制限も、共産党が政権を獲得するまでは「やむを得ない」とするあからさまな優生思想の表明であった。

宮本顕治の妻・宮本百合子の優生思想

宮本百合子氏(『昭和文学全集8巻』より)

こうした共産党内の優生思想は、宮本百合子にまでさかのぼることができる。百合子はのちに宮本顕治と結婚する作家である。 戦前から左翼の女流作家として有名だった百合子は、苅田アサノら、女性共産党議員にも大きな影響力があった。

百合子はソ連旅行の見聞記である「ソヴェト・ロシアの素顔」(1931年)の中で、「優生学、ユーゼニックスは非常に社会的問題として注意深く扱われている。第一ソヴェトは昔から肺病の率が非常に多い。それから性病患者も勿論あって、そういうものに対して優生学から子供を、次の時代を改善して行くということは非常に熱心にやっている」と書いている。

また百合子は「私は、変質者、中毒患者、悪疾な病人等の断種は、実際から見て、この世の悲劇を減らす役に立つと信じる一人である」(「花のたより」1935年)とも宣言するほど優生思想に染まっていた。

いまでこそ共産党は「優生思想はナチスから始まった」と喧伝しているが、これも大間違いだ。優生思想や優生学は元々、イギリス社会主義と進化論を結びつけた社会ダーウィニズムが端緒で、これがアメリカに渡った後、世界中に急速に広がった。ドイツでもナチス政権以前にすでに広がっており、ナチスはこれを利用したということになる。そして百合子の評論にもあるとおりソ連においても優生学が大いに推進された。断種による人類改造の思想は全体主義や社会主義との親和性があったのだ。

宮本百合子を絶賛する志位氏

志位氏は百合子について「戦争非協力を貫き検挙、投獄、執筆禁止など絶えず迫害を受けながら日本共産党に所属する人民的作家として苦闘した」(2022年9月17日「党創立100周年記念講演会」)などと今でも大絶賛し、現代の共産党員たちの精神的支柱にしようとさえしている。しかし現実をみれば、優生思想を社会をおおもとから変える最新の「科学」として取り入れ、共産党内に広げたのは百合子によるところが大きい。

『百年』史は、こうした歴史的経緯をまったく無視したまま「重大な誤りをおかしました」とだけ書いたが、これでは何の反省にもならない。

『日本共産党の百年』は、今年(2023年)10月に単行本として書籍化されるそうだ。議事録を読み間違えたまま本にすれば、恥の上塗りになるだけだ。それだけではない。歴史の事実を塗りつぶした党史を出版すれば、党そのものが消滅した後も、日本の政治史の汚点として永久に残されることになる。

松崎いたる

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