【関東大震災100年】「東京が燃えていた」100年前、群馬で被災した池田さん 横浜でおば探したが

10歳の時、群馬県で関東大震災を経験した池田さん。「震災のことを家族に話すことはあまりなかった」という=6月、横浜市緑区(木村 陽香写す)

 「夜になると、赤く燃えているのが見えた」。横浜市緑区の池田久雄さん(110)は100年前に見た光景が目に焼き付いている。関東大震災が起きたのは10歳の時。当時住んでいた群馬・渋川で経験した。丸2日近くも続いた東京の大火は、北関東からも見えるほどだった。
  
 1923(大正12)年9月1日午前11時58分。神奈川県西部を震源とするマグニチュード(M)7.9の巨大地震で、神奈川や千葉を中心とした関東の各地を激しい揺れが襲った。

 池田さんにとっても、「経験したことのない大きな揺れ」。何度も繰り返し、竹やぶへ逃げ込んだ。

 建て替えて間もない自宅に大きな被害はなく、家族も無事だったが、夜になって裏山へ上がると南東方向の空が赤く染まっていた。「東京が燃えていると母親が教えてくれた。昼間でも明るかった」ことを覚えている。

 専門家の調査などによると、当時の東京市では本震の直後から火災が発生。134カ所に上った出火地点のうち、57カ所はすぐに消し止められたが、77カ所は強風で燃え広がった。火災旋風も相次ぎ、9月3日午前10時に鎮火するまで46時間にわたって燃え続けたという。市域の4割を超える34.7平方キロが焼失し、6万5902人が火災で犠牲になった。

 池田さんの父は震災後、横浜で被災したおばを探しに向かった。「山下町から野毛の方に逃げた」と聞かされていたが、安否を確かめることはできず「3、4日後に帰宅した」という。横浜もまた、大火で焦土と化し、2万4646人が火災が原因で犠牲になったとされている。

 戦時中は横浜の軍需工場で働いていたという池田さんは、45年5月の横浜大空襲も経験した。戦災からの復興など苦難の時代を生き抜いた経験がこう言わしめる。「今になって震災だ、震災だと言うけど、当時はそんなことはなく、大きな地震があったな、という感じだね」。震災のことを家族に話すことは「あまりなかった」という。

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