【読書亡羊】1200万人のアメリカ人が「トカゲ人間」を信じている マーク・カランスキー『大きな嘘とだまされたい人たち』(あすなろ書房) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!

トカゲ人間から米大統選不正選挙まで

「トカゲ人間陰謀論からイラク大量破壊兵器の嘘、アポロ計画やらせ映像論から米大統領選陰謀論まで、古今東西の陰謀論を俎上に載せる、情報リテラシーの教科書が発売された!」

こう紹介すると、どれかの説の信奉者の中には「あんな荒唐無稽なものと一緒にしないでくれ」と怒る向きもあるかもしれない。しかし根拠なき陰謀論という意味では、トカゲ人間陰謀論も、米大統領選陰謀論もほとんど変わらない。むしろ、同じ俎上に載せたことにこそ意味がある。

それが今回ご紹介する、マーク・カランスキー著、橋本恵訳『大きな嘘とだまされたい人たち』(あすなろ書房)だ。

ジャーナリスト出身でベストセラー作家でもあり、子供向けの教養書も手掛けてきたというカランスキー。本書もヤングアダルト向けの本で、大判で平易な言葉で書かれている(訳もとても読みやすい)。
だからこそ、十代の青少年はもちろん、陰謀論に知らず知らずのうちに取り込まれている(可能性のある)大人たちも、我が身を振り返るために読むことをお勧めしたい。「え、これも陰謀論、政府がついた嘘だったのか」と驚く記述に行き当たるかもしれない。

特にトランプ前大統領についての記述は多い。トランプごひいき筋からすれば、大統領選再出馬をアナウンスしている今、こうした本が出版され、広く読まれることを面白くは思わないだろう。「おなじみリベラル派の、トランプ批判のフェイクニュースだろう」と。

だが在任中の4年間でトランプがついた嘘が3万573件、と具体的な数値を挙げられると、そうも言っていられなくなる。しかもそのうち503件は、再選を目指した2020年の大統領選の投票日前日についたものだという。

大統領退任以降のウソはおそらく誰もカウントしていないが、こうも具体的な数字をあげられれば、「フェイクニュースだ」とも言っていられない。トランプに関しては、むしろ「正しいことを言った数」を数える方が楽な状態であるというありさまだ。

陰謀論が我が子殺しに発展

冒頭に挙げた「トカゲ人間陰謀論」について、知らない人は全く知らないと思うが、いわゆる陰謀論業界ではかなり知られた話でもある。

トカゲ人間は爬虫類型宇宙人とか、レプティリアンとしても知られるが、アメリカで「トカゲ型宇宙人が人間に化けて社会に紛れ込んでいる」と信じている人は、本書によればなんと1200万人(人口の4%)も存在するという。

その判断基準は目の色や耳の形、肌の質感など「違和感」なのだが、つまるところ「支配層にいる、トカゲっぽい質感の人物」はトカゲ人間だと見なされやすい。

あまりに荒唐無稽だと思われるだろうが、単なる笑い話と思うなかれ。2021年には、陰謀論を信じ込んだうえ「妻がトカゲ人間で、自分の子供たちはその血を受け継いだトカゲと人間の混血児である」という妄想に駆られたQアノン信者が、自分の子供2人を殺害する事件まで起きている。
https://forbesjapan.com/articles/detail/42820

トカゲ人間だけではない。さすがの本書でも指摘はなかったが、日本でもゴムマスク人間説はひそかに広まっている。ゴムマスク人間説とは、「今表に出ているのはある人物のゴムマスクを被った別人で、既に本人は死亡しているか幽閉されている」というものだ。

見かけた中で筆者(梶原)が最も驚いたのは「首脳会談に出席しているのは、バイデンのゴムマスクをかぶったトランプである」という説である。半ば本気でこうした説を信じている人が、日本社会に相当数存在するようなのだ。

ちなみにバイデン大統領はトカゲ人間説、ゴムマスク人間説、ペドフィリア説のすべてに名前が挙がっており、陰謀論の交通渋滞状態にある。

「嘘」はとても魅力的

こうした「あまりにもバカげた陰謀論」だけでなく、政治思想の左右を問わず、アメリカ、ソ連双方の「政府の嘘」に切り込んでいるのも本書の魅力だ。

しかも、歴史作家としての能力と、ジャーナリストとしての視点を持ち合わせているために、「嘘」の素材として取り上げられるテーマも歴史から現代的なものまで目配りが聞いている。

18世紀後半、啓蒙思想を受け入れがたく、むしろ敵視する人々が陰謀論やデマゴーグを使ってでもそれを否定してきた、という歴史から始まり、魔女狩りやピエロ恐怖症など、社会現象を取り上げつつ、アメリカ政府が国民を騙した壮大な事例であるイラン・コントラ事件の解説を交えるなど、時代もテーマも縦横に行き来する。

それでも取っ散らかった感じがしないのは、本書が「嘘」を軸に展開される人類史でもあるからだろう。

一見、バカバカしい都市伝説までも交えることで、人類にとって「嘘」がいかに魅力的であり、しかしずっと以前から我々の認知にゆさぶりをかけてきたかが分かるのだ。

そして書籍、新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネットと言った「嘘発信源」の変化も抑え、テクノロジーと嘘の共犯関係も見えてくる。

何より本書が良心的なのは、陰謀論者やそれを信じてしまう人たちを頭から「バカ」と決めつけ、嫌悪感丸出しで遠ざけるような書き方をしていないことだ。

あくまで淡々と、しかし時折くすりと笑ってしまうような表現で、(仮に自分が信奉している陰謀論を嘘と断じる項目に行き当たったとしても)余計な感情を刺激されずに記述と向き合うことができる。

批判対象を悪しざまに罵り、バカだ無知だと決めつける文章に飽き飽きしている人には、実に心地よく響くに違いない。

「一体何が真実なのか」

カランスキーは、前書きにあたる「読者への切なる願い」という最初の章で、こう語っている。

この本には、いろいろな考えや事実や意見が書いてある。ただ読んで、そういうものかと信じるのは簡単だ。
でもそうではなく、読みながら自分の頭で考え、何を信じるか、ぜひ自分で決めてもらいたい。
科学的方法――データを集め、データに基づいて仮説を立て、その仮説を事実で検証する研究法――の先駆者であるイギリスの哲学者フランシス・ベーコン(1561~1626)は、1612年にこう書いている――「読書とは、否定して反論するためでなく、頭から信じるためでもなく、話題のためにするものでもない。じっくりと考えるためにするものだ」(中略)
この本を読む時も、人生を歩む時も、一体何が真実なのかと、自分につねに問いかけてほしい。

読者を脅迫するような言いぶりで判断を迫ったり、「俺を信じるか、あいつを信じるか」と踏み絵を踏ませるような物言いが横行する現代社会において、こうした一文を読むだけでも、出版人の良心を感じられるというものだろう。

本欄では情報戦や陰謀論批判などを取り扱った本を何冊もご紹介してきた。良書の刊行が続いているのは、それだけ偽情報やフェイクニュースの蔓延が国際的に問題になっているからで、各国とも対応に頭を悩ませていることの表れでもある。ましてやメディア自身が、偽情報の発信源になってはならない。

全メディア人は本書を漏れなく読むべきだが、リテラシー教育の参考書として日本中のすべての高校の図書館に一冊は備えてほしい。これからますます熾烈を極めるであろう情報戦においても、混迷を極める情報社会を生き抜くにしても、有力な武器であり、防御の要になってくれるはずだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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