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2023年9月2日に公開された動画ではゲストに立憲民主党衆院議員の岡田克也氏をお招きし、党の若返りや幹事長の仕事について語っていただきました。
幹事長を4回、与党でも野党でも経験した岡田氏が語る「幹事長のつらさ」とは?
【このトピックのポイント】
・党の若返りについて岡田氏「もっと若い政治家を育てる努力をしなければならなかった」
・党内マネジメントで代表を支えるのが幹事長の仕事。今後は地方組織の刷新にも意欲
・2010年の幹事長就任時はもっと外務大臣をやりたかった
岡田氏のプロフィールは以下の通りです。
「公のために生きたい」という思いをもって、大学卒業後は通産省(現経産省)に入省した岡田氏。やりがいはあったものの、より幅広い分野で決定権のある仕事をしたいと考えるようになり政治家の道に進んだとのことです。
今回は以下の質問からいくつかピックアップして岡田氏に回答していただきました。
若手政治家の増加 支持者の高齢化
統一地方選挙では、若手の地方議員が増えた立憲民主党。しかし、国政は民主党時代からの国会議員が今も党の中心となっている印象があります。
党の若返りについて問うと、岡田氏は選挙のたびに一定の世代交代がなされている点に言及しつつ「もっと若い政治家を育てる努力をしなければならなかった。今幹事長としてそのことに尽力しているつもりですけれども」とコメントしました。
支持者の高齢化については「我が党最大の課題」と岡田氏。「我々の主張が(若い人に)届いていないということだと思います」と続けました。
さらに、立憲の政策について「多様性を重んじ、弱い人に寄り添って未来に責任を持つ」と岡田氏は説明し、若い世代のためのものであることを訴えていくことが必要であると語りました。
ここでMC宮原健太は4月の衆院選千葉5区補選に言及。自民党に逆風が吹く中、若年層からも支持を集めた英利アルフィヤ氏が競り勝ったことに触れ、選挙に勝つためには若く魅力ある候補者を揃えることが重要なのでは、と提起しました。
それに対し選挙戦が野党乱立の構図になったことを挙げ、「そういう意味で我が党の候補者はかなり大善戦した」と岡田氏。「次の総選挙は違う結果になると思っている」とコメントしました。
幹事長ってつらい?
現在、4回目の幹事長を務める岡田氏は「とにかく代表を支えるのが幹事長の仕事」とコメント。外に向かって発信することの多い代表を支えつつ内側を固める番頭のようなもの、と語りました。
直近では党職員の人事にも取り組んだとのことです。党が分裂したり合流したりで体制が整っていなかったこともあり、90名近い職員一人一人にヒアリングを実施し組織の改編や女性の登用などを実施。
岡田氏は「これからは地方組織を作り直すことにも取り組みたい」とコメントしました。
また、選挙も幹事長の重要な仕事です。他党との交渉や候補者の擁立など、選対委員長と相談しながら対応するとのことです。
「幹事長のつらさ」と関連して、相次いだ松原仁氏と徳永久志氏の離党について問うと岡田氏は「おふたりが離党されたことはとても残念でした」とコメント。
一方で、長く幹事長を務める中でこのようなことは少なくなく、民主党時代には7人ほどからまとめて離党届を受け取ったこともある、と岡田氏。説得するものの、覆すことができたケースは稀とのことです。
さらに、岡田氏は与党で幹事長を務めた時のことに言及。当時は党内部が揉めており、内側を固めることが仕事である幹事長として「本当に大変でした」としみじみと振り返りました。
たびたび幹事長に起用されてきた経緯について、岡田氏は2002年と2009年は「代表選で戦って(中略)負けて幹事長に登用された」と説明。その時の仕事ぶりが評価されたことがその後の起用につながっているのではないか、とコメントしました。
2010年は参院選敗北後に菅直人氏と故仙谷由人氏に「お前しかいない」と言われ幹事長に就任します。岡田氏は苦笑気味に「外務大臣もっとやりたかったんだけど」と当時を振り返りました。
党内は不安定で、国会もねじれが起きている状態の中での幹事長は苦労も多かったようで「いい勉強になりましたけど厳しかった」とのこと。
最後に「今は割り切ってやっています。次の選挙で議席を増やす、なんとしても。それが目標です」と締めくくりました。
動画本編はこちら!
幹事長ってどんな仕事?4回経験してつらかったのはいつ?
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