【読書亡羊】前代未聞! 北朝鮮アニメの全貌が明らかになるまさかの一冊 大江・留・丈二『北朝鮮アニメ大全――朝鮮民主主義人民共和国漫画映画史』(合同会社パブリブ) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!

独自の進化を遂げた「共アニ」

北朝鮮アニメ、と言われて想像するのは、多くが「将軍様がお助けくださった」とか「米帝野郎をやっつけた」というような、プロパガンダと子供への刷り込みを目的としたいかにもな作品ではないだろうか。

確かにそうしたアニメもあった。だが大江・留・丈二『北朝鮮アニメ大全――朝鮮民主主義人民共和国漫画映画史』(合同会社パブリブ)を読んで驚いたのは、歴史ものや、数は少ないもののロボットが出てくる作品があったり、海外との共同制作作品があったりと意外なほどに多様な作品が作られていることだ。

本書は「閉ざされた国家」で「世界で最も自由のない国」でもある北朝鮮で制作・放映されてきたアニメを紹介する、まさにデータブック。あらすじや展開はもちろん、声優陣を含む制作過程や、トップからの指導方針の変遷なども詳細に解説されており、北朝鮮の芸術政策史を知ることもできる。

単に国民(特に子供)に思想を刷り込もうという目的だけでなく、外貨獲得の一手段でもあったために、政治が制作にコミットし続けた結果、政策方針が国家の方針とぴったり一致することになった北朝鮮アニメ。まさに独自の進化を遂げたガラパゴス文化と言えるだろう。

筆者の大江氏はこうした北朝鮮アニメの独自の進化を「世界最強のポリコレアニメ(ただし政治的正しさの基準は北朝鮮)」と述べる。

本書はそんな「共アニ(共和国アニメ)」を余すところなくオールカラーで取り上げる、類書の刊行不可能な、とんでもない一冊だ。

少年が米軍の軍用犬と素手で…

北朝鮮の「アニメ」には、セル画だけでなく、紙切(紙人形を動かして撮影するもの)や人形劇も含まれる。本書はそうした製作法ごとに、年代に沿って共アニを紹介。

1960年代は抗日・反米がテーマの作品も作られたが、1972年に金正日が「アニメで抗日闘争や朝鮮戦争を扱わないように」と現地指導したことで、作品の方向性が変わっていったという。

方向性が変わる前の1966年に作成された反米アニメ「時限爆弾」はyoutubeでも視聴可能だというが、「朝鮮戦争で親を失った少年が米軍の軍用犬と素手で格闘」という驚きの展開だ。米兵を「米軍野郎(ミグンノム)」と罵り子供が立ち向かうという筋書きは、まさに多くの人が想像する「北朝鮮アニメ」だろう。

人形劇アニメでも「日帝野郎と勇敢に戦った児童団員」が主人公の作品があったり、紙切アニメでも子供たちが凶悪な日帝野郎を打倒すべくビラをまいたりする作品が紹介されているが、今やレアな作風になったということになる。

個別の作品紹介の面白さは上げたらきりがないので、ぜひ本書を読んでほしい。アニメ制作の裏側を解説するコラムなど充実の内容で、ついつい読みふけってしまう。

北朝鮮のアニメが刷り込むナラティブ

ではその後の北朝鮮アニメは何を題材にしているかというと、「北朝鮮版三国志」のような歴史ものに加え、地主を批判するもの(悪者は溺死のパターンが散見される)や、一種の教訓を教えるようなもの、食料問題の啓発のために作られたアニメもある。

一冊を通じて眺めていると、過去の作品は(初めて見たはずなのに)どこか懐かしさを覚えるのも確かである。

日本でもかつては教育テレビ(現在はEテレ)で人形劇が放送されていたし、悪人が因果応報でひどい目に遭うような教訓を教えるものには「まんが日本昔ばなし」があった。

今でもネット上には「日本昔ばなし トラウマエピソード」として、子供に見せるには辛辣すぎる、恐怖のストーリーが紹介されている。「やっぱり欲のままに行動してはいけないんだ」「人を呪わば穴二つ、とはこのことか」など、見れば子供ながらに人の世の常を知ることとなる。

こうした作品が好きであるか否かに限らず、「多くの人が子供の頃に見ていた」作品は、ある意味で、どの国であっても国民に一つのナラティブ(物語)を形成するツールになる。社会に対する価値観や、国民性を形成する一面があるのだ。

その点では共アニも変わらない。ただしそれが民話など自然に人々の間で語り継がれてきたものではなく、強烈な政治統制を受けている点で全く異なるのだが、これはまさに「ナラティブ」の両面性、つまり個人個人の間の共感性や共通認識を作ることに資する一方、政治が国民に押し付けたい価値観を刷り込む道具にもなり得ることを示している。

韓流ドラマというソフトパワー

「韓国ドラマを見たら銃殺刑」

2020年に北朝鮮で制定された「反動思想文化排撃法」にはそう定められているという。北朝鮮に不時着してしまった韓国の財閥令嬢と、北朝鮮の軍人が恋に落ちる『愛の不時着』は日本でも人気を博したが、もちろん北朝鮮では禁止。まさに命がけの視聴となる。

だがそれでも韓国ドラマは北朝鮮国内の富裕層を中心に、闇市などを通じてひそかに広まっている。まさに「ソフトパワー」というべきで、これが北朝鮮の独裁体制を打破するツールになり得るのだという。

一方で本書でも紹介されているように、2023年には「え、これは韓国ドラマでは?」と思うような演出の実写パートがある北朝鮮歴史ファンタジーアニメ(『好童王子と楽浪王女』)も制作・放映された。

CGアニメにしても驚きの進化を遂げており、一見しただけでは「おや、ピクサー・アニメスタジオ制作かな?」と見まがうようなポップなキャラクターが活躍する作品もある。

共和国スタイルを捨てる日は来るか

国を閉ざし、北朝鮮的ポリコレを徹底するとは言っても、隣国から流入してくるエンタメの影響を完全に排除するのは至難の業なのだろう。「韓国よりも優れた作品を」「外貨獲得の一手段」という北朝鮮の方針に基づいて、今後は〝共アニ〟だけでなく、朝流ドラマ(共流? 北韓流?)や、N‐POPが登場するかもしれない。

かねて北朝鮮の美女を集めたモランボン楽団は日本でも注目を集めてきたが、よりグローバルに「売れる」展開を見せる可能性はないか。

本書の表紙イラストを眺めていると、今は貫禄第一といった様子の金正恩総書記も「共和国スタイル」を捨て、痩せて前髪を下ろし、化粧を施す「韓流アイドル路線」を取る未来さえ夢想してしまうのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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