【MLB】 オリオールズを笑い者から強豪に変えた ブランドン・ハイド監督の手腕

写真:優勝を祝うハイド監督

日本時間29日、ボルティモア・オリオールズが9年ぶりの地区優勝を飾った。

最後のプレーオフ進出からの6年間のブランクで、地区最下位が4回、100敗以上を喫したシーズンが3回。長い低迷の間、有望な選手をドラフトで獲得&育成し、自軍のマイナーで育て上げた若手軍団で優勝を手にしたサクセスストーリーも脚光を浴びることとなった。

その中で注目を浴びているのが、2019年から監督を務めるブランドン・ハイドだ。

MLBでは今回のオリオールズや、2017年世界一のアストロズのように、大規模な再建が行われることは珍しくない(ときに“タンキング”と揶揄されることも)。さらに、その低迷期には繋ぎの監督を起用し、勝負できそうになったら経験あるベテラン監督に交代することも珍しいことではない。

しかし、ハイド監督は再建脱出の兆しを見せた昨年の後であっても留任することになった。それは、ハイド監督がオリオールズの再建脱出に大きな役割を担ったキーマンとして信頼を集めているためだろう。『USA Today』がハイド監督について特集している。

2018年のオフシーズン、当時カブスのベンチコーチだったハイドはオリオールズの監督職の面接を受けることになった。それまでエンゼルス、レンジャーズ、ブルージェイズ、ツインズの監督職の面接を受けて全てに落選していたハイドだったが、オリオールズからいざ監督のオファーを受けると、それを受諾するかどうか真剣に悩んでいた。

それもそのはずで、オリオールズは前シーズン限りで編成トップのダン・デュケットと監督のバック・ショーウォルターを解雇済み。チームのスターのマニー・マチャドを放出して年俸総額をメジャー最低レベルに引き下げ、メジャーワーストの115敗を記録していた。

監督を受けても、負け続きの日々になることは明白な状況だった。

悩むハイドの背中を押したのは当時のカブス監督ジョー・マッドンだった。「(オリオールズは)完璧な場所でもある。ただ忍耐強くあればいい。状況はいずれ変わる。自分のスタイル、やり方を実践するチャンスがある」

その言葉の通り、ハイドは忍耐強くあらねばならなかった。就任最初の3年間で2度の100敗シーズンを記録し、勝率は.341。ハイドは当時を振り返って「痛みはあった。どうすればいいのか分からない夜がたくさんあった。自分のやり方には満足していたけど、これだけ負けると自分のせいだと受け止めてしまうんだ」

そして状況は変わっていった。2022年にはアドリー・ラッチマンがデビューを飾り、就任後初めての勝率5割超え。さらに今年の躍進はご存知の通りだろう。

2018年オフにGMに就任し、ハイドを監督に任命したマーク・イライアスは、定石通り“勝てる監督”にスイッチするのではなく、ハイドに固執し続けた。

前職はアストロズのGM補佐として大規模な再建を目の当たりにしたイライアスは、再建の途上でフロントと現場の間に緊張が流れないように気を使っていたという。そしてハイド監督がいかにして辛い再建を乗り切ったかを高く評価している。

ベンチコーチとしてハイドに仕えるフレディ・ゴンザレスはハイドがいかにしてオリオールズの”カルチャー”を作り上げたかをこう証言する。「ハイドは選手たちに信じろと言い続けた。希望を失うなと言い続けた。『我々は近づいている』と言い続けたんだ」

オリオールズの再建は、イライアスGMがドラフトしたラッチマンやガナー・ヘンダーソンらの有望株に注目が集まりがちだ。しかし、実際にはハイド監督と共に2回の100敗シーズンを経験した主力(セドリック・マリンズ、ジョン・ミーンズ、アンソニー・サンタンデールら)も多く躍進に貢献している。無名だった彼らを主力へと成長させたその陰には、ハイド監督の存在もあったことだろう。

多数のスター候補を擁し、これが黄金期の始まりかとも言われているオリオールズ。再建期を乗り越えたハイド監督は、この後もチームを導くことができるだろうか。

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