元アイドル「岡村有希子さん」 わずか1字違いの芸名だった同期との忘れられない思い出

アイドル黄金期の1980年代半ばに「岡村有希子」の名でデビューした渡辺かえさん(56)は現在、山口県下関市を拠点にコミュニティ放送局「COME ON!(カモン)FM」や「J:COM下関」の司会、パーソナリティとして幅広く活躍している。来年でデビュー40周年。1字違いだった「岡田有希子」さんとの思い出や現在も続く華麗なる同期との交流を聞いた。

なんてたって元アイドルだ。パッチリとした目元は当時のまま。地元の放送局「COME ON!FM」では23年間、パーソナリティを務めており、下関周辺で知らない人はいないほどだ。

「たくさんの番組を持たせてもらってますし、ディレクターのようなこともやってるんですよ」

もちろん、歌手活動も続けており、2007年にデュエット曲「下関ハーバーライト」、11年にはもともと好きだった演歌の「夢神楽」をリリースした。その一方で97年からカラオケ教室も主宰している。

そんな渡辺かえさんが広く知られているのは「岡村有希子」の名で84年1月25日に「哀しみのレイン・トリー」で歌手デビューしているからだ。

「フレンチポップスという珍しい路線で売り出そうとのことで、発表会は当時、シャンソンのライブをしていた赤坂のシャンピアホテルという、こだわりようでした。その後、テレビでご一緒させてもらったタモリさんから憧れだった松任谷由実さんにちなんで”ユーリン”と名づけてもらったりもしたんですよ」

まさに世はアイドル全盛期。同期デビューは堀越芸能コースの同級生だけでも南野陽子、長山洋子、荻野目洋子、本田美奈子らそうそうたる顔ぶれ。他に宮崎ますみ、倉沢淳美、高部知子、森奈みはる、田中久美らがおり、さらに運命のいたずらか、1字違いで37年前に亡くなったあの「岡田有希子」さんもいた。

「芸能コースは全学年同じ教室で出入り自由。1つ上に松本伊代さんとか堀ちえみさんがいました。わたしたち同級生はみんな仲が良く、特に岡田有希子さんとは住んでいる場所も同じ成城。本名もかえとかよと似ていて、手紙のやりとりなんかもしていました」

その岡田有希子さんは84年4月21日に「ファースト・デイト」で鳴り物入りでデビューすると新人賞のタイトルを総なめにする。しかし、どうやら有希子の芸名は岡村が先だったようだ。

「実は83年にデビュー予定でした。当初、わたしは演歌歌手になりたかったのですが、演歌は早いと言われて、アイドル歌手に。そのときからすでに有希子だったので岡村の方が先かなと思いますが、わずか1字違いですからファンの人にはよく間違われました。岡田と思ったら岡村だったり、その逆も。ある日のライブなんかで”違う”なんてあからさまに言われたときはショックでしたよ」

もちろん、あの日の悲しい出来事は覚えている。1986年4月8日の昼下がり。渡辺さんは「テレビで笑っていいとも!を観ていたらテロップが流れて。大の仲良しだった松本友里さん(故人)に慌てて電話しました。3月に高校を卒業し、1人暮らしを始めてすぐ。まじめで素直な性格だったからでしょうか」としんみりと振り返った。

一方、岡村有希子の方も早々と激動期を迎える。所属のレコード会社が3枚目のシングルを出したところで倒産。その後、コロムビアに移籍し、アニメソングなどを歌ったり、ライブハウスでオールディーズを歌ったりしたが、23歳になった90年に結婚を機に引退。24歳で生まれ故郷の下関にUターンした。

「その頃は結婚式の司会が主な仕事でした。土地柄、ときに安倍首相のパーティーの司会もやらせていただきました」

そもそもデビューしたきっかけはというと、小学4年生の時、福岡のテレビ局が開催したのど自慢大会で優勝したこと。さらに小学5年生の時から通い始めた「平尾昌晃ミュージックスクール福岡校」で、その才能を見いだされたことだった。

「その教室ではデビュー前の松田聖子さんとお話をしたことがありますし、桑田靖子ちゃんはずっと一緒にレッスン。のちに森口博子さんやスザンヌさんも通っていたそうです」

わずか6年。短かったアイドル生活を振り返ってもらうと「事務所の力関係もあったかもしれません。でも、幸せな時間でしたし、賞レースに加われなかったけれど、当時の欲のない、あっけらかんとした性格が影響したのかも。ただ、おニャンコ以前の、1人でデビューするのが難しい時代にデビューしたのは誇り」と話した渡辺さん。プライベートでは出産、離婚を経て再婚し、穏やかな生活を送っている。

長男は大阪で大学生活。元タレントでミス福岡にも選ばれた長女は楽天イーグルスの岡島豪郎選手と結婚しており、現在の楽しみは義理の息子の応援と、同期とのふれあいだ。

「堀越の同級生だった片岡孝太郎くんの歌舞伎を観たり、長山洋子ちゃんのコンサートに足を運んだり。行くとめちゃくちゃ元気をもらえます。そうそう、倉沢淳美さんに会いにドバイへ行ったこともあるんですよ。そのとき、娘のケイナさんにも会いました」

今後は力まず、気負わず、譲れるものは後進に譲りつつ、現在の活動を続けていくことが目標だ。

「いまも芸能界にいたら来年40周年になります。当時のアイドルでいまも活動している人はそう多くいないので、こうやってFMラジオなどでしゃべることで、みなさんに喜んでもらって人と人をつなげられたらと思います。1字違いで混同されることもありましたが、いまでも岡田有希子さんのファンだった方に応援してもらったり、懐かしがってもらったりもして、つながりを感じます。何らかの形で同期で集まれればいいですね」

そう言って、優しく笑った。

(よろず~ニュース特約・チコ山本)

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