ネイチャーポジティブな経営へ 〜TNFD最終提言をどう活用するか〜

出典:TNFDの最終提言(1.0版)

生物多様性の情報開示のための枠組の決定版ができました。9月18日にニューヨーク証券取引所でTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の最終提言(1.0版)がいよいよ発表されたのです。ガバナンスや戦略など14項目に関して、企業はバリューチェーン全体にわたって事業と自然の関係を分析しネイチャーポジティブな行動を起こすことが求められてきます。この最終提言を今後どのように活用していったらよいのか、また開示を進める上で注意しておきたい重要な事項などを考えてみたいと思います。

生物多様性についての情報開示の流れ

TNFDが正式にこの提言の策定作業を開始したのは2021年10月、つまりまだ2年も経っていませんが、この間に4回ベータ版を公開し、ページビューは合計75万を超えたそうです。そして、200を超える機関がパイロットテストを実施し、3400件ものフィードバックがあったと言います。最終提言が出る前からここまで関心が高い開示枠組はこれまでなかったのではないでしょうか。

これだけ関心が高まった理由として、ビジネスと生物多様性(自然)についての情報開示を求める機運が高まるタイミングとうまく重なったことがまず挙げられるでしょう。昨年12月の生物多様性条約COP15で約200カ国が合意した世界生物多様性枠組(GBF)は、企業がバリューチェーン全体で生物多様性に与える影響等を開示することを締約国に求めています(行動目標15)。EUはそれに先行する形で準備を進めており、来年からは企業サステナビリティ報告指令(CSRD)によって大企業には開示義務が発生します。そのための開示基準である欧州サステナビリティ報告基準(ESRS)も7月末に公開されています。

民間では、CDPは既に企業に生物多様性に関する質問を開始していますし、GRIは生物多様性の報告基準の策定を正式にスタートし、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)も気候の次は生物多様性だと明言しています。これを見るだけでも、生物多様性に関する情報開示は逆らうことのできない流れであることがよく分かりますが、それではどの基準を優先したら良いのか、迷う方もいるかもしれません。しかし、そこは安心していただいて構いません。なぜなら、TNFDこそがその中心となり、これら一連の開示基準と一貫性を保つように設計されているからです。逆に言えば、これら一連の開示に対応するためにも、TNFDにしっかり取り組む必要があるのです。

14項目にわたるTNFDの開示項目

さて、肝心の中味ですが、TNFDには合計14の推奨開示項目があります。それらの項目を開示するために、事業と自然の関係をバリューチェーン全体にわたって分析し、リスクと機会を把握し、それに対して目標や計画を考えることが必要になります。

TNFD最終提言(1.0版)の表紙

14項目の内訳としては、「ガバナンス」が3項目、「戦略」に関するものが4項目、「リスクとインパクトの管理」で4項目、そして「指標と目標」が3項目です。お気づきの方もいるかもしれませんが、TCFDとかなり似ています。それもそのはず、TNFDはTCFDを生かせる部分はなるべく踏襲し、生物多様性に固有の部分を拡張する形で作られているのです。だからこそ、2年間という非常に短い期間で完成度の高い枠組が完成できたのです。
TNFDに固有のこととしては、まず自社の事業だけでなく、バリューチェーン全体で考え、行動を求められることが大きなポイントです。TCFDでもスコープ3は含まれていますが、TNFDではバリューチェーンで何が起きているかを把握・管理し、その上で開示することが必要です。また、それとも関連しますが、先住民や地域コミュニティなど、バリューチェーン上で自社と同じ自然に接点がある方々を把握し、その人権に実際に配慮する(エンゲージする)ことが必要になります。

このことからも分かるようにTNFDの場合には、バリューチェーン、特に上流側のサプライチェーンが重要になります。なぜなら、一般にサプライチェーンにおける影響の方がより大きく、生物多様性への影響は”場所固有”だからです。そして、このことがTNFDの準備作業を非常に難しく、また手間がかかるものにしています。TCFDでも十分大変だったと思われている方もいるかもしれませんが、それ以上の大変さを覚悟する必要があるのです。

この問題に対処するため、TNFDでは「LEAPアプローチ」と呼ばれる手順を準備しています。使うことが義務ではありませんが、非常によくできた方法論であり、これに従うことで自然に準備が進みます。特別な理由がない限りは、これに従った形で開示の準備を進めるのが良いでしょう。

TNFDでは場所が重要

14の推奨開示項目やLEAPアプローチの詳細は本稿の範囲を超えますので省きます。特に注意をすべき点について、以下に大事な点を述べておきたいと思います。

まずLEAPアプローチの最初のステップの「Locate」です。自社の事業と生物多様性の接点がどこにあるかを「発見する」プロセスです。対象範囲はバリューチェーン全体ですので、バリューチェーンがどこまで広がるかを把握した上で、その一つひとつの場所で依存と影響を分析することが必要になります。したがって、ここがまず1つ大きなチャレンジになるでしょう。生物多様性は気候の場合と異なり、場所が非常に大きな要因になるのです。温室効果ガス(GHG)ならどこで排出しても、さらには物質としては異なっても効果は換算して統一的に考えることができます。けれども生物多様性の場合には、似たような生態系、まったく同種の生物だとしても、場所ごとに意味が異なります。したがって、事業活動の影響を考える際にも、場所ごとに分けて考える必要があり、総量で考えるわけにはいかないのです。

そして、そうした事業と関わる場所のうち、事業と生物多様性の関係上、あるいは生物多様性にとって重要である場所を「優先地域」として特定し、開示することも求められています。

こうした分析をするためには、事業と関係する世界中の場所に関するデータが必要になり、ここでつまずいてしまう企業も少なくないでしょう。けれどもこの問題については、TNFDに対応すべく130を超えるデータプロバイダーが支援の準備を進めていますので、そうした外部の専門機関の手を借りるのも手でしょう。

TNFDの本当の目的を意識し事業リスクを把握する

もう一つTNFDにおいて重要なことは、そもそもなんのためにTNFDに取り組むのかということです。とにかくこの流れに遅れないようにと考えていると、情報開示そのものが目的になってしまいがちです。しかしもちろん開示することが目的なのではありません。さらに言えば、情報を開示して投資家の投資判断を容易にすることも、真の目的ではないのです。そうではなく、情報開示に至るプロセスの中で、自分たちの事業が生物多様性にどれほど依存しているのか、また影響を与えているかに気づき、今のままの事業の仕方を続ければどのような事業リスクがあるのか、逆にこれからどのように行動すればどのぐらいの新たなビジネスチャンスがあるのか。企業にそうした気づきをもたらすことがTNFDの重要な目的なのです。そして、企業がそのリスクを克服するために、自然に悪影響を与えない、むしろ自然を守ったり増やしたりする、つまりネイチャーポジティブな方向に行動を促すことなのです。そのことはもちろん、企業や投資家を守ることにもなるのです。

こうした行動をするためには、もちろん経営が関与し、判断し、行動をリードする必要があります。だからこそTNFDは経営の関与を重視しており、関与の具合を開示推奨項目にも含めているのです。

今回TNFD最終提言が発表となり、ネイチャーポジティブを目指す経営を始めるための準備は整いました。これから最終提言を読み込んで情報開示に向けて本格的な準備を始めるという企業も多いと思いますが、その際にはTNFDの本当の目的と意図を理解した上で進めていただきたいと思います。そして当然ですが、経営層を巻き込んで、経営課題の中心に据えて取り組んでいくことが重要です。

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足立 直樹 (あだち・なおき)
サステナブル・ブランド ジャパン サステナビリティ・プロデューサー
株式会社レスポンスアビリティ 代表取締役 / サステナブルビジネス・プロデューサー

東京大学理学部、同大学院で生態学を専攻、博士(理学)。国立環境研究所とマレーシア森林研究所(FRIM)で熱帯林の研究に従事した後、コンサルタントとして独立。株式会社レスポンスアビリティ代表取締役、一般社団法人 企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB) 理事・事務局長。CSR調達を中心に、社会と会社を持続可能にするサステナビリティ経営を指導。さらにはそれをブランディングに結びつける総合的なコンサルティングを数多くの企業に対して行っている。環境省をはじめとする省庁の検討委員等も多数歴任。

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