フィッシュマンズの「いかれたBaby」が愛され続ける理由とは? 茂木欣一のインタビューで明かされる名曲誕生の裏側

BSフジでは、10月21日に「アワー・フェイバリット・ソング Vol.6~私が『いかれたBaby』を愛する理由~」(深夜1:00)を放送。30年経っても愛され続けている、フィッシュマンズの名曲「いかれたBaby」の魅力を、1時間たっぷりと伝えていく。

「アワー・フェイバリット・ソング」は、レコード、カセット、CD、サブスクリプションと、時代の変化とともに音楽の視聴環境が移り変わっていく中、変わらず愛され続ける楽曲を特集する特別番組。楽曲が生まれた理由、時代のバックボーン、楽曲を愛する人の個人的なエピソードを織り込みながら、1曲について深掘りしていく。これまで、キリンジの「エイリアンズ」(2000年)、Original Loveの「接吻」(1993年)、フラワーカンパニーズの「深夜高速」(04年)、森高千里の「私がオバさんになっても」(92年)、大江千里の「Rain」(88年)を取り上げ、幅広い世代から反響が寄せられた。

今回の「いかれたBaby」は、フィッシュマンズが93年にリリースして以来、多くのミュージシャンがカバーし、アーティストに愛される名曲として歌い継がれている。フィッシュマンズのワンマンライブにゲスト出演したことのある、chelmicoのラッパー・Mamikoは、chelmicoの「Love Is Over」のリリックに「いかれたBaby」を引用。楽曲への思いや、時代を超えてフィッシュマンズを知ったきっかけを語る。

フィッシュマンズのメンバーと親交の深い、TOKYO No.1 SOUL SET・川辺ヒロシは、「フィッシュマンズの楽曲は従来のロックバンドとは大きく異なるものだった」と述べ、当時の「いかれたBaby」の印象を振り返る。また、活動初期からフィッシュマンズを見守るライター・北沢夏音氏は、「いかれたBaby」のリリース当時のカルチャーや現在に至るまでのフィッシュマンズの活動などを話し、今後も新たな世代にフィッシュマンズの楽曲を知ってもらうための機会をつくることが重要だとコメント。

さらに、フィッシュマンズのドキュメンタリー映画にコメントを寄稿している、踊ってばかりの国のボーカル&ギター・下津光史が、「いかれたBaby」を弾き語りでカバー。加えて、この曲が30年経つ現在も人々に影響を与え続けている理由などにも触れる。

そして、フィッシュマンズのメンバーで、東京スカパラダイスオーケストラのドラマーでもある茂木欣一にも、ミュージックビデオ撮影をした思い出の地である東京・代々木公園でインタビュー。リリース当時のフィッシュマンズのエピソードや、この楽曲生まれた背景も明かす。

「僕らがとにかく届けたい音楽や、やりたい音楽をやっていこうと決めた1993年。その時にできたフィッシュマンズの決意表明でもある曲」と告白する茂木が、「いかれたBaby」に込めた思いとは?

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