ラグビーW杯 フランス代表の「アレ!」|山口昌子 ラグビーワールドカップ2023フランス大会は、南アフリカの4度目の優勝で幕を閉じた。開催国フランスの初優勝はならなかったが、フランス国民は挙国一致でチームを応援。日本人とは異なる、フランス人の熱狂ぶりはいったいどこからくるのか。その歴史を紐解く。

選手を鼓舞するフランス国歌

ラグビーのワールドカップ(W杯)では、開催国のフランスは、例によって国民が挙国一致でチームを応援した。選手に優勝を意識させずに「アレ」と隠語を使った阪神タイガースの岡田彰布監督と異なり、フランス人は「アレ(仏語で行け)!」の大声援、大合唱だった。

このフランス人の熱狂ぶりは、いったいどこからくるのか。ラテン民族で元来、ネアカで楽観的な国民ではあるが、それにしても「好戦的」とも言える態度をみていると、我々日本人との国家観の相違を思わずにはいられない。

この「アレ(Allez、動詞aller=行くの命令形)!」の大合唱は、「レ・ブルー(Bleu)!」と続く。「ブル」(青)はフランスの国旗「三色旗」の青白赤の一色だ。よってW杯や五輪など国際競技における仏代表選手の代名詞は「Bleu」(ブル)だ。

さらに試合中は、ここぞという時に、スタンドからフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の大合唱が起きる。7番まである国歌の1番の歌詞の冒頭は、〝行こう、祖国の子供たちよ 栄光の日は来たれり!〟。特にリフレインの〝武器を取れ!〟のところでは拳を握って腕を突き出し、戦闘気分を盛り上げる。

日本の国歌「君が代」や英国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」、米国歌「星条旗よ永遠なれ!」に比べると、威勢の良いメロディーと相まって、選手を鼓舞するのには極めて効果的な国歌だ。だから「ラ・マルセイエーズ」を応援歌だと勘違いしている外国人もいるほどだ。

「あまりにも好戦的」との批判も

「君が代」に関しては「天皇制反対者」らからの批判があるらしいが、少なくとも好戦的ではない。試合前の国歌斉唱によって心を静めたり、決意を新たにしたりするには最適かもしれないが。英米の両国歌も大国の国歌らしく荘重だが、応援歌としては盛り上がりに欠ける。

「ラ・マルセイエーズ」が威勢が良く、好戦的なのは当然だ。フランス革命中に、外敵から祖国を防衛するための軍歌として誕生したからだ。ただ、応援歌にはピッタリだが、国歌としては「あまりにも好戦的」との批判が定期的に起きる。

1番の歌詞は次のように続く。

〝我らに向かって圧政の血塗られし軍旗は掲げられたり、聞こえるか、戦場で、あの獰猛な兵士どもが唸るのを。奴らは我らの腕のなかにまで、我らの息子を、妻を、殺しに来る〟

リフレインのところは、〝武器を取れ!〟に続いて、〝市民諸君! 隊伍を整えよ、進もう! 進もう! 不浄な血が我らの田畑に吸われんことを!〟と叫ぶ。

ウクライナ戦争勃発時に即刻、多数ではないがフランス人が義勇兵として、獰猛ロシアに対して果敢に立ち上がってウクライナ救済のために駆けつけたのもむべなるかな。フランスでは米国と異なり、ピストルなどの銃器の販売は禁止されているが、猟銃は身分証明書の提示など簡単な条件で購入できるので、カラシニコフ代わりに猟銃担いでの参戦だ。

フランス国家としても、NATO加盟国のウクライナの隣国ルーマニアに即刻、NATOの一員として500人を派兵した。いざ、開戦に備えてである。

2番以下の歌詞は、さらに好戦的だ。

〝フランス人よ ああ! 何という屈辱か! 溢れるばかりの激情をき立てることか! 外国の軍勢が我らの故郷で我が物顔に振舞うとは! 手を鎖でつながれ、くび木を付けられし我らの首が屈するとは! 卑劣な暴君どもが 我らの運命の支配者になりおおせるのだ! 我らの旗の下、勝利の女神がわが身の雄々しい歌声を聴き、駆けつけんことを! 瀕死の敵どもが、我らの勝利と我らの栄光を見んことを!〟

フランス国内で、歌詞変更の論議が定期的に活発に交わされるのも当然だ。ところが毎回、いつの間にか立ち消えになる。そして相変わらず、〝武器を取れ!〟〝進め! 進め!〟と叫んでいる。

「フランス共和国」の「存在理由」

「ラ・マルセイエーズ」が簡単に否定されないのは、「フランス共和国」の「存在理由」(レゾン・デートル)と無関係ではないからだ。

フランスは現在、第五共和制(1958年発足)だが、「憲法」の前文には「フランス国民は(第2次世界大戦後の)1946年(第四共和制発足)の憲法の前文によって確認され、かつ、補完された1789年の宣言によって定義されるような人の権利及び国民主権の原則への、その愛着を厳粛に宣言する」と明記されている。

つまり、フランス共和国がフランス革命に端を発することを強調している。

第1章「主権」の「共和国」の定義では「フランスは、不可分の非宗教、民主的かつ社会的な共和国である」と指摘。第1章第2条では「国家の象徴は青、白、赤の三色旗である」と「国旗」を定義。「国歌はラ・マルセイエーズである」と高らかに謳っている。そして「共和国の標語は『自由、平等、博愛』である」と、かの有名なスローガンも明記している。

つまり、「ラ・マルセイエーズ」はフランス共和国の歴史と理念に密接に結びついており、切っても切り離せない関係にあるというわけだ。

一方、第2次世界大戦後に誕生した日本国憲法には、前文も含めて「国旗・日章旗」や「国歌・君が代」への言及もなければ定義もない。学校教育でもこの2点に関しては冷淡なので、かつては「君が代」を「大相撲の歌」と勘違いしていた日本人がいたとか。千秋楽で必ず斉唱され、その厳粛なメロディーが日本古来の国技に似合っていたからだ。

「ラ・マルセイエーズ」のメロディーに関しては、ドリールがモーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調に影響を受けたという説があるが、「楽曲として変調をうまく使うなど極めて優れている」(作曲家・吉田進)と評価が高い。

「ラ・マルセイエーズ」の誕生の歴史は劇的だ。フランス革命の真っ最中の1792年4月に対オーストリアへの宣戦布告に際し、国境の町、仏東部ストラスブール駐屯のルジェ・ドリール大尉が軍歌として作詞・作曲した。

ドリールは、この対オーストリアへの宣戦布告にある「フランス国民は自由の擁護と独立のためにのみ武器を取る」 「この戦争は不正や侵略に対する自由な国民の正当防衛だ」という「自由」と「防衛」を強調した文章に感激し、一晩で書き上げたという。だから歌詞が一見、野蛮で残忍でも、本質的には「侵略戦争を鼓舞する軍歌」ではなく、「自由」を掲げる祖国フランスの「防衛」の歌というわけだ。

なぜマルセイユが題名になったのか

では、ストラスブールで生まれたのに、なぜ南仏のフランス最大の港町であるマルセイユが題名になったのか。マルセイユは現在、地中海の向こう側のアフリカ大陸や中東などからやってくる移民が多く住む都市としても知られている。この1、2年は麻薬がらみの殺傷事件が相次ぐなど治安悪化が問題となっているが、パリに次ぐ第2の大都市だ。

革命当時もパリから革命の波が早々に押し寄せ、制度上の改革も進んでいた。王の正規軍は革命勃発の直後までは、マルセイユ港に築かれた砦に設置された大砲の砲口を外国艦隊の襲撃に備えて外側に向けていた。しかし、これを市内側に方角転換。これに対して市民が反発し、自然に結成された市民軍が砦を占領して抵抗した。パリの革命派とも連絡が密で、義勇軍の結成も早かった。

マルセイユでは革命派の集会も盛んに行われ、ストラスブールで作詞・作曲されたこの歌も集会で披露、出席者が熱狂して歌ったという。そこで、集会を取材していた新聞記者が早速、歌詞を地元新聞に掲載した結果、集会の開始と終了時にこの歌を歌うのが慣習となった。愛国心と好戦的精神を高揚させ、勇気を奮い立たせ、陶酔感に浸れる効果が十分にあったからだ。

歌詞が町中に配布され、マルセイユの市民軍の音楽隊が歌うようになり、義勇兵もパリへの行軍中に歌った。マルセイユからパリまでの距離は約800キロ。歌声高らかな義勇兵は各地で熱狂的な歓迎を受けた。義勇兵は行く先々の各地で歌詞を配布したので、たちまち全国に波及した。行軍がマルセイユから開始されたので、題名も「ラ・マルセイエーズ」となったという次第だ。

フランス革命に傾倒してパリに移住した熱血漢のドイツの詩人ハイネは、パリ市民がデモを展開中に「ラ・マルセイエーズ」を絶え間なく絶唱するのに悩まされ、祖国の新聞への寄稿文で「ガリア人(フランスの先住民族でフランス人の始祖)の悪魔の歌」のために悩まされていると告白している。

ところが、この歌の持つ不思議な魔力について、「あなた方ドイツ人もこの魅惑的な歌の威力を感じるでしょう」とも書き送っている。

ちなみに、フランス人の好戦性を示す象徴には、記章の「雄鶏」(コック)もある。「ガリア人」を指す「ガルス」と発音が全く同じであるため、「雄鶏」はガリア人の時代から国の記章として使われてきた。ドイツの「鷲」や英国イングランドの「レオパード」(ライオン)の記章に比較すると弱弱しく見えるが、実は侮り難い好戦性と勇気がある。

カエサルの『ガリア戦記』には、賛嘆と同時に驚異を込めて、こう記されている。
「ガリアの戦士がまるで雄鶏が雛を守るがごとく血気に溢れ、激昂して戦う」

2002年に断行した「国歌愛着運動」

フランス国家の国旗は王制時代の百合の花から共和制の象徴の三色旗に代わったが、「雄鶏」の記章は王制、革命(共和制)、帝政、王制復古、そしてまた共和制と目まぐるしく変わった体制を生き抜いて現在に至る。ラグビーやサッカーのW杯や五輪でも、仏代表のユニフォームの胸には必ず「雄鶏」の記章がある。

「ラ・マルセイエーズ」は、大統領選や国民議会選挙の候補者の集会では、党派の左右と関係なく、候補者と出席者が最後に絶唱し、「共和国万歳! フランス万歳!」で締めくくるのが慣習だ。

国家元首の大統領が重大事件発生時に、エリゼ宮(大統領府)から「国民に告ぐ」といった感じで、重々しくラジオ・テレビ演説を行う時も、三色旗と欧州旗を背後に「ラ・マルセイエーズ」の伴奏とともに登場する。最後は「共和国万歳! フランス万歳!」だ。

ところが、21世紀を迎えた頃から、この伝統ある国歌を歌えない仏国民が増えた。「国歌」を学び、歌う機会が多かった徴兵制度が1996年に廃止になったうえ、移民2世などの増加が加わったからだ。

徴兵制度はフランス革命中に「国民皆兵」の理念の下に誕生したので、これまたフランス共和国の象徴だった。だから、フランス人には日本の自衛隊論争が理解できない。なぜ、国防の要の軍隊が否定されるのか――。

国歌が歌えない国民が増えたのを慨嘆した時の文化相ジャック・ラングが2002年に断行したのが、「国歌愛着運動」だ。国歌の成り立ちから種々の編曲など、詳細に記述したパンフレットやCDを全国の小、中学に配布した。ちなみに、ラングは極右の政治家でも保守派の政治家でもなく、社会党の重鎮である。

約60ページの冊子の冒頭には、「生徒たちに、この祖国愛に溢れ、且つ市民的な国歌への愛着を願う」とのラングの声明文が記載され、誕生の詳細な歴史をはじめ歌詞や楽譜はもとより、多数ある編曲を漏れなく収録したCDも添えられた。

編曲のなかでは、国家行事などで最も演奏されるベルリオーズの荘重なメロディーからチャイコフスキーやシューマン、ドビュッシーに加え、1975年に人気ミュージシャン、セルジュ・ゲンスブールが発表して大スキャンダルになったレゲエ・バージョンも収録されている。

ラングは「『ラ・マルセイエーズ』の運命は独特だ。軍歌であり革命歌であり、共和国の象徴だ」と総括している。つまり、「ラ・マルセイエーズ」はフランス人の好戦的な性格の具現化であり、フランス人にとっては永遠なり、というわけだ。

サッカー日本代表とラグビー日本代表の差

さて、前述したとおり、ラグビーに限らず、サッカーのW杯でも五輪でも、フランス代表選手が着用するユニフォームは、必ず国旗の「青、白、赤」の3色を基調にしている。「青」が主体になることが多いので、仏代表選手の代名詞が「青」(ブル)なのだ。ラグビーのW杯でも、青のジャージに白のパンツ、靴下が赤だった。

フランスに限らず、大半の国の代表選手のユニフォームの色も、国旗の色や模様を基調にしている。サッカーの至宝リオネル・メッシは、W杯では常にアルゼンチンの国旗の色、空と海を表す白と空色を基調に独立戦争の象徴である金色の「5月の太陽」をあしらったユニフォームを着ている。

アルゼンチンのユニフォームのデザインが大幅に変わることはない。ラグビーでも五輪でも、いかなる国際競技に出場しても、だからアルゼンチンの選手は一目瞭然である。ウクライナの国旗が黄色と青であることは、いまや国際的に有名だ。ウクライナの代表選手が敵国ロシアの国旗の色、青や赤、白を配色したユニフォームを着るなど想像できない。

ラグビーのW杯では、日本代表は前回も今回も日本の国旗「白地に赤く」の日章旗の赤と白の2色だけを見事に使った素晴らしいデザインのユニフォームを着用していた。このユニフォームをデザインしたのは誰なのだろう。発表があったのかもしれないが、心から拍手喝采をしたい。

翻って、いつも気になるのが、サッカーのW杯や五輪での日本選手のユニフォームだ。デザイナーの名前なども麗々しく発表されることが多いが、どこの国の選手なのかと国籍不明のユニフォームが多い。

「赤」も「白」も見当たらないどころか、時にはフランスの代表選手のユニフォームにそっくりの「青」を基調にしていることもあった。おまけに「サムライ・ブルー」と呼ばれているので、余計に紛らわしい。

この呼び名の根拠を仏人記者に問われて、返答に窮したことがある。
「日章旗は『赤』と『白』の2色と単純な色なので、デザインが難しい」 「赤と白が入った国旗の国が多いから日本色を出すのは難しい」などの指摘があるが、ラグビーの日本代表のユニフォームのように、デザイン次第ではなかろうか。また、毎回変える必要もないのではないか。

ユニフォームの売上が伸び悩む、と危惧する業者がいそうだが、勝手に悩むがいい。もっとも、第2次世界大戦への反省から生まれたと言われる日本国憲法に「国旗」や「国歌」への言及がないのは、憲法の平和主義の精神を具現しているからだろう。その意味では、五輪などの日本代表選手のユニフォームは極めて憲法の精神に忠実といえるのかもしれない……。

来年は「パリ五輪」だ。フランス人の熱狂的な「アレ!」も外国人にとってはウンザリ、興ざめだが、日本選手のようにまったく国旗の色とは無関係の唯我独尊的なユニフォームだと、やはり応援する気が多少、失せる。日本人としては「赤と白」の旗幟鮮明なユニフォームで同胞に頑張ってもらいたい、と密かに思っている。

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山口昌子

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