松任谷由実の冬アルバム【悲しいほどお天気】徹底解説!ライブの定番「DESTINY」も収録  アルバムコンセプトは「私小説」ユーミンの傑作アルバム「悲しいほどお天気」

アルバムコンセプトは「私小説」、驚異的な多作期にリリースされた「悲しいほどお天気」

松任谷由実の8枚目のオリジナルアルバム『悲しいほどお天気』がリリースされたのは、1979年12月1日。

この時期のユーミンは、驚異的な多作期にあった。松任谷名義での最初のアルバム『紅雀』に始まり、実に年2枚ペースで新作アルバムを発表していたのである。

ことに、本作は前作『OLIVE』からわずか4ヶ月強でのリリースだが、本人にとっても思うところがあったようで、『OLIVE』に「冷たい雨」など他のシンガーへの提供曲のセルフカバーを入れたことから「あまりハイペースで作るからネタ切れになったのでは?」という周囲の言葉に対し、思い切り反発して出来たのが本作であった。収録の全10曲、全て新曲である。

このアルバムのコンセプトは「私小説」。フランソワーズ・サガンの小説にありそうな題名だが、実際に全10曲を通して聴くと、一編の私小説を読んでいるかのようである。アルバムジャケットもシンプルなユーミンのポートレートで、帯にもキャッチが付けられていない。

全体にラブソング的な観点で詞が書かれていないのも大きな特徴。恋のときめきや失恋の心情はさりげなく挿入されるに留まり、個々の楽曲の主役は「風景」である。作詞面のみならず、メロディーや曲のテンポ、サウンドでも季節感や空気、湿度、天候などを描き出し、情景と心象が合致して1つの曲を織りなしているのだ。ユーミン自身は、「一刻一刻うつろう水と風とか、光とかをパッと止めちゃう」印象派の絵画のようなアルバムだと、のちに語っている。

さらにミックスがこの時期の他のアルバムと違い、ユーミンのヴォーカルが前に出るようになっている。これも「私小説」のコンセプトに則ったものであろう。

寂寥感に満ちたエンディング、「ジャコビニ彗星の日」

冒頭を飾る「ジャコビニ彗星の日」はエレピのチャイムで始まり、チャイムで終わる。だが、このチャイム音、よく聴くとイントロは8小節とも同じメロディーに違うコードが付けられており、逆にエンディングはワンコードのまま。彗星の訪れる予感に満ちたイントロと、結局流星群は訪れなかったことを示唆する寂寥感に満ちたエンディングという使い分けが見事だ。

作詞面では流星群の訪れを期待する心情と、恋人からの電話が少なくなり、交際が自然消滅する予感が並行して語られている。また、2番の途中で「いつか手を引かれて河原で見た花火」という回想が、ごく自然に挿入されているが、映画で言うところのカット・バック手法を用いているのである。

このスタイルは次のアルバム『時のないホテル』で一層顕著になる。ストーリーテラー的な詞作の必然として、このカット・バック手法や、複数のカメラを用いた「多方向からの視点」が用いられ、それに付随してメロディーの構成も凝ったものに変化していった。

シティポップの観点から再注目、JUJUもカバーした「影になって」

続く「影になって」との間は、無音部分がない。ゆえに2曲は続きの物語で、主人公の女性は同一人物に思える。こちらは恋人に電話したものの呼び出し音が鳴るばかり。どんよりした思いを振り切るように、真夜中の街へ出ていく。深夜の世田谷・成城周辺の空気や湿度感が音で表現され、ブルーアイド・ソウル風のアレンジが、クールな印象を与えている。この曲は、現在、シティポップの観点から再注目され、JUJUがカバーしたほか、11月29日に発売されるコラボアルバム『ユーミン乾杯!!』にも、岡村靖幸とのコラボで収録されている。

タイトル曲「悲しいほどお天気」は、歌詞の1番が美大生時代の思い出、2番が同級生から個展の案内が届き現在の自分を見つめる、という物語構成が絶妙。1番、2番とも同じメロディーの上に、鮮やかな青春のワンシーンと、静かに過去を噛み締める現在という対比が生まれている。この曲が最もコンセプトとしての私小説に近い。

「気ままな朝帰り」は、アレンジの松任谷正隆が、口笛の挿入も含めギルバート・オサリヴァン「クレア」からヒントを得たと思しい、ほのぼのした曲調。口笛は「気まま」な主人公の気分だが、真ん中に1回だけ出てくるサビの前後で、主人公の気持ちが大きく変化しており、同じメロディーながら前半部は少女時代の恋、後半部は大人になった現在から見た回想になっている。

ライブの定番曲としても知られる「DESTINY」

ストーリーテリングの高い楽曲の中では、「DESTINY」がその白眉だろう。ライブの定番曲としても知られるが、有名な「安いサンダル」のオチは、ギリギリのところでの自虐であると同時に、その後、頻繁に登場する負けず嫌いな女性像でもある。また、「緑のクウペ」というワードにも注目したい。緑色のクーペ(2ドア車)に乗っている男性とはどんな人物なのか…この一言で遊び人風のキャラクターが浮かんでくる。静かな曲が中心のアルバムの中で、この曲だけは当時最先端のTOTO、エアプレイ系サウンドを取り入れた派手な音作りである。

パーカッシヴなラテン・ディスコ風のアレンジと、歌の世界観が突出して異色な「78」は、タロットカード占いがテーマ。”78” とはカードの枚数だそうで、84年の『NO SIDE』収録の「破れた恋の繕し方教えます」と並ぶ、ユーミン・オカルティック路線の最高峰。エンディングで、渋いシャウトを利かせているのは上田正樹。

「丘の上の光」ではプログレ・フュージョン的なサウンドを構築する。各楽器がグルーヴしながらフェイドアウトしていくエンディングは、まるで映画『未知との遭遇』の宇宙船降臨シーンを思わせ、登場人物が風景の中に溶け込んでいく様が、壮大なサウンドともに表現され、めくるめく映像美が展開されている。

「MORIOKA」のアナウンスがロシア語みたい?「緑の町に舞い降りて」

絵画のような描写力は、「水平線にグレナディン」も同様。こちらは三拍子のゆったりとしたリズムで、海に浮かぶボートの揺れを表現。間奏部分の、ベースのメロ弾きも印象深い。全体に寒々とした光景、初雪が沖を吹いている中、女性が1人海に浮かぶイメージは、勝手な解釈だが、松本清張『ゼロの焦点』のラストの情景を思わせる。

爽やかな初夏の風景を鮮やかに描きだしたのが「緑の町に舞い降りて」。岩手県の花巻空港に降り立つ飛行機の中、MORIOKAのアナウンスがロシア語みたいだったと、空耳すら美しく聴かせてしまう、ユーミン流の見立て(聞き立て?)が冴える。吉川忠英によるアコギが爽快感を一層引き立て、クリアな音の抜けも最高。この曲はユーミンの岩手・盛岡公演では必ず歌われる定番曲となり、花巻空港には歌詞のレリーフもある。

「丘の上の光」と並ぶ6分超えの大作「さまよいの果て波は寄せる」は、主人公の心情を冬の海の凍りつく風景に重ねた、私小説的作風の極み。同じ歌詞のリピートや、対位的になる言葉を用いていないのは、徹底してユーミン自身の個人的な心象と決意を綴っているものと解釈したい。

晩秋の郊外から初夏の東北、夏の高原、そして真冬の海へと、1枚のアルバムで主人公と目眩く季節の旅を共にする。どこまでも主役は「風景」であり、それはユーミンにしか表現できない鮮やかな四季絵巻なのだ。こんなアルバムをわずか4ヶ月のスパンで作ってしまうのだから、驚くべき創作意欲と実現力というほかない。

カタリベ: 馬飼野元宏

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