【読書亡羊】「助平ジジイ」は誉め言葉!? ヨーロッパ王侯貴族のニックネーム 佐藤賢一『王の綽名』(日本経済新聞出版) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!

「獅子心王」から「禿頭王」まで

異名や二つ名をもつ人物と言えば、歴史上の偉人や大悪党など、いずれにしても広く知られる人物が中心だろう。織田信長なら「第六天魔王」、徳川綱吉なら「犬公方」、諸葛孔明なら「臥龍」、ビスマルクなら「鉄血宰相」など洋の東西も時代も問わない。

現代では少なくなってきているようだが、田中角栄は「今太閤」と呼ばれていたし、自民党の大島理森衆院議長は「悪代官」の異名をお持ちだとか。時代劇的な「おぬしも悪よのう」の悪代官の設定から来るものではなく、その風貌から付けられた異名のようだ。

そういえば石破茂元幹事長はネット上では「ゲル」と呼ばれていた。これは文字入力時に「いしばしげる」を変換すると、時として「石橋ゲル」となることから来るものだという。

また、陸上自衛隊の幕僚長経験者の中に、その風貌から(?)「デスラー総統」と綽名されていた人物がいるとも聞く。

それはともかく、ヨーロッパの王侯貴族の綽名を集め、なぜそのような二つ名がついたのかを解説するのが佐藤賢一著の、その名もずばり『王の綽名』(日本経済新聞出版)だ。

本書で取り上げられる王族たちには、「獅子心王」「尊厳王」「勇敢王」「美男王」など、呼ばれた方も喜んで受け容れるような綽名もあれば、「悪王」「禿頭王」「フランスの雌狼」と言ったほとんど悪口のような綽名もある。

8世紀から19世紀までの、綽名をつけられた王侯貴族55人について歴史に残るエピソードを紹介しながら、「なぜそんなあだ名がついたのか」を紹介する。先に述べたように日本でも歴史的人物に対する綽名や二つ名、キャッチフレーズのようなものはあるが、それにしてもヨーロッパの事例は豊富だ。

なぜこんなにも綽名が豊富なのかについては、「はじめに」に説明がある。

〈どうして綽名がつくかと言えば、同じ名前の王が多すぎて、区別がつかないからだろう〉

ルイ何世、シャルル何世、ハインリヒ何世など、確かに親と同じ名前をそのまま踏襲している王が多い。ウェブ上にも公開されている「はじめに」には、その理由も記されているのでぜひお読みいただきたい。

はじめに:佐藤賢一『王の綽名』

名君「助平ジジイ」の理由

王の綽名にはその功績や欠点、キャラクターを一言で言い当てるセンスが必要になる。例えば端的に「助平ジジイ」というあだ名がついてしまったというフランス王アンリ4世(在位1589~1610年)。

字面だけを見ればうだつの上がらない、女の尻ばかり追いかけて、しかも逃げられているモテない中年男が思い浮かぶが、アンリ4世は〈フランス史上屈指の名君〉だという。

ではなぜこんな不名誉な綽名がついてしまったのか。実に愛人が50人とも70人とも言われる生涯を送ったせいであるが、「サン・バルテルミーの大虐殺」と呼ばれる、フランスのカトリックによるプロテスタントの迫害に遭い、プロテスタントだったアンリ自身も王宮に軟禁されたことが影響したのではないかと示唆される。

「虐殺を何とか逃れて軟禁されて、どうして助平と関係があるのか」と思ってしまうが、王宮には周辺地域から美女が集められていたのだ。

また、日本で「助平ジジイ」との綽名は不名誉でしかないわけだが、アンリ4世の末裔たちが暮らすフランスでは、むしろ愛人の多さがアンリ4世の人気にもつながっているという。

つまり、愛の国・フランスで「助平ジジイ」であることは誉め言葉でもあるのだ。フランス語では「ヴェール・ギャラン」というらしい。

「助平じじい」ことアンリ4世

遊牧民が動かした欧州の歴史

このように、本書は王や貴族の綽名とそれにまつわるエピソードを紹介する中で、中世から近世のヨーロッパの歴史や戦争、王侯貴族の暮らしや風俗、領地継承のルールなども知ることができる。

例えば「文人王」と呼ばれたハンガリー王のカールマーン(在位1096~1116年)。ハンガリー大公の由来から書かれているが、ここを読むだけで「ハンガリー人は(他の欧州人とは違い)ウラル山脈にいた遊牧民族がルーツである」ことが分かる。

あるいは「金袋大公」と呼ばれたモスクワ大公・イヴァン1世(在位1328~1340年)。この頃、現在のロシアを超えてウクライナ、そしてハンガリーまで攻め込んだ元(モンゴル軍)の影響で間接統治を余儀なくされたロシアには「キプチャク・ハン国」が建国され、モスクワ大公のイヴァン1世はハン国で徴税官の役目を代行することになった。そのため、「金袋大公」という綽名がついたのだという。

ロシアによるウクライナ侵攻の歴史的背景の解説でよく聞かれる「タタールの軛」とは、この「金袋大公」の時代のことを言っていたのかと分かれば、理解の大きな助けになるに違いない。

「ジャイアント馬場的な響き」とは!?

目次に並ぶ綽名に笑い、しかしそれに対応する王や貴族の名前を見ても、誰が誰やらさっぱり見分けがつかない、という(筆者のような!)人もいるだろう。しかし安心召されたい。

読めば強烈な個性や来歴から付けられた綽名と、本人の生涯が結びつくだけでなく、歴史的背景まで簡潔ながら行き届いた説明があり、「欧州中世・近世史」のトリビア本のように楽しく読めるはずだ。

例えば「『フリードリヒ・バルバロッサ』というドイツ語+イタリア語という名前と綽名の言語の組み合わせは、いわばリングネーム「ジャイアント馬場」的な響きである」、といった具合だ。分かりやすいうえに、実に面白い。

そこはさすが、「西洋歴史小説の名手」との呼び声の高い佐藤賢一氏の手になるところ。登場人物の何を紹介すればその人柄が伝わり、どういう背景のもとにそのようなことが起こったか、といった説明それ自体が面白く、「次の個性的な綽名の人物はどのような人なのだろうか」との興味が尽きない。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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