実はすごい!三國神社の見どころ5選~文化財もたっぷり紹介!~【福井県坂井市】

福井県坂井市三国のお祭りと言えば、北陸三大祭にも数えられる「三国祭」が有名ですが、三国祭は知っているけれど三國神社は知らないという方が意外と多いようです。
しかし、三國神社の例大祭こそが三国祭。
そこで、今回はそんな由緒ある三國神社について、その由緒や見どころをご紹介します!

注目は県指定文化財の『随身門』!

三國神社で最も注目してほしいのが、県指定文化財の『随身門(ずいしんもん)』。
写真の大きな楼門が随身門です。立派な門ですね。

髄身門は、三國神社の前身である山王宮の一部として建立され、6年がかりで1870年(明治3年)に完成しました。
楼門のある寺院は珍しくありませんが、神社に楼門があるのは珍しく、神社にあるものとしては県内最大級といわれています。

門の入り口には二体の像が祀られているのですが、これは神社を守る衛士の像で、武装して神社に邪気が入らないように睨みを利かせています。
なかなかの迫力。寺院にある仁王像のような役割だと思うとわかりやすいかもしれませんね。

髄身門が県指定の有形文化財になっている理由としては、建立の記録が文書に残っているため、制作経緯がわかる建立物として歴史的価値が高いためだそうです。

三國神社にはほかにも見どころがいっぱい!

三國神社には、他にも見どころがたくさんあります。文化財に指定されているものも多いので、こちらで紹介します。

彫刻

向拝の天井には、坂井市の文化財に指定された猿の彫刻があります。
これは、猿が御祭神の大山昨命の使いであるためなんだとか。

この彫刻にはある逸話があり、猿が彫刻から夜な夜な抜け出して悪さをするようになったことから、猿の前に柵が張られたそうです。

拝殿の横にある八幡神社には、赤子を抱えた人物が龍に乗っている彫刻があります。
この赤子は応神天皇(八幡神社の御祭神)で、抱えている人物は建内宿禰(タケシノウチノスクネ)であると言われています。
建内宿禰は応神天皇に仕えた伝説上の忠臣だそうです。

立願文と太刀

一般公開はされていないのですが、立願文(りゅうがんもん)という文書と太刀という貴重なものが保管されています。

かつて越前福井藩主だった松平慶永公の像が制作され、生前に慶永公に寄贈されました。三国の民がその像を地元に祀りたいと願い出た所、慶永公は、ご自身が藩主の時は福井の民に苦労を掛けることが多かったが、せめて自分が亡くなった後はその像に魂が乗り移って見守りたいと願い、像をお渡しになりました。
この願いを記し、像に添えられたのが立願文だそうです。
現在も立願文の原本が残されている事から、歴史的価値が高いためこちらも県の文化財に指定されています。

太刀は慶永公の像の守護として共に届いたのですが、太刀がどのような品なのか、定かな記録はありません。
ただ、南北朝(鎌倉)時代の物と推測され「守次」という銘が入っています。

立願文には、木立の神と名付け、祀って欲しいという一節があったため、境内に木立神社を建立し、像をご神体として今も祀っています。

木造彩色の神馬

もうひとつ貴重なものとして、木造彩色の神馬という実物大の馬の彫刻があるのですが、神馬堂の格子の奥に保管されているため、正面からはっきりとその様子をうかがう事はできません。
昔は神社には神様に捧げる供物として馬が送られていましたが、馬は当時の人にとって貴重な動物だったので、本物の馬の代わりに彫刻の馬が送られたそうです。

御神木

こちらは三國神社の御神木。
樹齢600年以上だと言われています。
まさに神様が宿るがごとく見事な大木ですね。

桜谷公園

境内にある桜谷公園は桜の名所となっています。
この公園は高台にあり、神社の外からも公園の桜が綺麗に見えるそうです。
周囲に何もない静かな場所なので、のんびり花見を楽しむことができ、地元民の癒しの場となっています。

三國神社の歴史や三国祭などについては、以下で詳しく紹介しています。

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