【読書亡羊】「SNSを駆使する情報弱者」に日本を滅ぼされないために必要なこと ウィル・ソマー『Qアノンの正体』(河出書房新社) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!

「トランプ第二章」でも彼らが暗躍

トランプのアメリカ・第二章が始まるのか。大統領選まで一年を切った現在、座組が再びトランプvsバイデンになりそうな様相を呈している。

世界を揺るがせた2020年1月6日の米議会突入事件については、ジャーナリズムだけでなく裁判をも通じて、実態解明も進んでいるが、そうした事実もトランプ候補の勢いを削ぐことにはつながらないようだ。

トランプ氏を「闇の政府(ディープステート)と戦う光の戦士」に位置付ける支持者で、現実からかけ離れた世界観、認知を形成している人たちが「Qアノン」だ。今回取り上げるウィル・ソマー著、西川美樹訳『Qアノンの正体――陰謀論が世界を揺るがす』(河出書房新社)は、そうした人々の実像に迫っている。

筆者は「Qアノンの天敵」と呼ばれるジャーナリスト。国際政治を専攻する大学在学中から右派系・陰謀論系メディアの取材を中心に活動を始め、現在はワシントン・ポストの記者だ。

本書によれば、アメリカを覆う陰謀論の影はネットを介して広がり、ネットを飛び出して現実社会に影響を及ぼす。急に「敵である」とさらされて一斉にネットで攻撃されて生活を脅かされる人もいれば、命を奪われるものもいる。トランプ支持の声を見れば分かるように、政治への影響は言うまでもない。

人間にとって最も惨めなこと

ありとあらゆる現実社会への影響を様々な角度から、当事者や周囲の人々の取材を通じて迫っている。アメリカのあまりの惨状に言葉を失うが、より恐ろしいのはあちこちで「日本社会との類似点」を見つけてしまうことだろう。

例えば第3章〈Qの神官たち〉を読むと、日本のSNS(特にツイッター=X)で起きていること、そのものと言っていい。

ある業界の有名人が、Qの伝道師的な力、つまりSNS上で数字を持っている匿名の人物に突如「敵である」と名指しされ、陰謀論の信奉者であるQアノンの集中砲火を浴びることになる。脅迫、嫌がらせから始まって、自宅を突き止められるのではないかと恐れて引っ越しを余儀なくされるなど、私生活も破壊される。

名指しされた側に、思い当たる節はない。だが、匿名だった「伝道師」の正体が分かって動機が判明する。伝道師は攻撃を受けている有名人が活躍する業界で挫折を経験した人間だったのだ。つまり、やっかみ、嫉妬である。

もちろん、なぜ対象を名指ししたのか、あるいはなぜ「こいつが次のターゲットだ」とほのめかしたのか、真の動機は数の力に恃んで他者を攻撃させようと考える本人にしかわからない。

本書のケースも、伝道師本人が「やっかみでした」と白状したわけではない。伝道師の正体を知った被害者がそう分析したに過ぎない。伝道師本人に聞けば当然、「攻撃されてしかるべき理由があるからだ」と答えるだろう。

一方、どこかで号砲を鳴らされた側が対処するためには、送り付けられる罵詈雑言の嵐に対する資源(法知識、協力者など)と同時に、粘り強さ(精神力)が必要だと本書は書く。

Qアノン的な事件とは何か

本書を読むと危機感を覚えると同時に理解できるのは、Qアノンの世界観は、そのまま日本に当てはめられるものではないということだ。聖書の記述や暗示、暗喩というものに対する文化的な素地が違うからだ。

日本でも部分的に大統領選陰謀論を信じて拡散したり、バイデンが小児性愛者だと思い込んだりする人は(情報発信を生業にする人の中にも)いる。だが、多くは個々の事例に反応しているだけで、聖書のごとき大きな世界観を形成し、信じ込むまでには至らない。今のところ日本で陰謀論者が殺人事件を犯したという例もない。

この点で言えば、実は最も行動系Qアノンの犯行に近いのは、安倍晋三元総理銃撃事件だったのではないかとさえ思う。統一教会と自民党の関係こそ(程度はともかく)「事実」として存在してはいるが、論理の飛躍、行動の結果はSNSで他者を攻撃している段階の人間よりもはるかに「行動するQアノン」的だ。

ただ、情報リテラシーに関しては、日本もまるで他人ごとではない。確かな根拠がなくても「ノリ」で他者を攻撃する人、流行言葉をなんにでも使う人、それさえ言っていればある種の党派性の中で認められると思い込んでいる人など、「Qアノン的」な現象は日本のSNSでも毎日起きている。

陰謀論批判に対しては必ず「陰謀論の定義とは何か」「何もかも陰謀論扱いしていては、巨悪を見逃すことになり、政治の実態に迫ることができない」「陰謀、陰謀というけれど、それ以外に自分の疑問に答えてくれるものがない」「メディアも信用ならない」というような反論がある。

確かに頷ける部分もなくはないし、「大メディア、左派マスコミが信用できない」という気持ちも分かる。また、本書の解説は「元ネトウヨ」を公言している京都府立大学准教授の秦正樹氏が寄せているが、秦氏が「ネトウヨに目覚めた」きっかけは「事実」ではあった。

「事実」すら、並べ方、捉え方次第ではリテラシーのない認識に至ってしまう。ではどうすればいいのか? 慶応大学の鶴岡路人准教授の言を引きたい。

政府やマスコミや専門家の見方をすぐに信じず、疑ってみる姿勢は重要。教育はそのためにある。でもだとしたら、「政府もマスコミも専門家も皆嘘つきだが俺だけが本当のことを知っている」という主張にはさらに疑ってかかるべき。そのうえで信じると決めるのは自由でも、真偽を問い続ける必要がある。

まさにこれに尽きるというべきだろう。

Qアノンの中の”多様性”

一方、日々大量の情報が飛び交い、瞬時に「どう反応するのが”正解”か」を迫られるSNS社会で、疑って、精査して、自分なりの立ち位置を持ちながらも、それすらも疑い続ける、というのはよほど自覚的でいない限り、至難の業でもある。

しかもSNSで発信することが「大きなもののための戦い」の一環になっていると認識されていればなおのこと、いち早く、誰よりも大量に発信しなければならないという心理に至る。

Qアノンも、「自分たちが住む世界のため、社会のため」に荒唐無稽としか思えない言説を信じ込み、他者を攻撃し、議会に突入し、実際に殺人事件まで起こしているのだ。

また、「SNS上で他者攻撃に勤しんでいる人」にもグラデーションがあり、何かのアンチ、煽動されただけの人、愉快犯、本当にそれが「大事なもの」のためになると信じ込んでいる人、物事を単純化して理解した気になっている人、標的を求めているだけのうっぷん晴らしの人、単なる暇つぶしなどさまざまなケースがあるだろう。

本書でも、育児に問題があり子供が保護されたのをQアノン仲間と連帯して取り返そうとし、誘拐の罪に問われた人の例が紹介されている。Qアノンについても、その動機、経緯など、その枠の中での”多様性”はあるのだ。

一色に見えるある現象でも、丁寧に腑分けして対処する必要があることも、本書は教えてくれる。

親でも「まったく理解できない」

「まったく理解できません」とデイヴィッドが私に言う。「理性のある人間がこんなたわ言に騙されるなんて、そんな気持ちわかるわけありませんよ。どうしたら共感できるんですか?」

これは息子がQアノンになってしまった父親の述懐だ(第10章)。

急に一方向に流れて、常人には理解できない内容を異口同音に書き込むSNS上の人々に遭遇すれば、このデイヴィッドと同じ気持ちになるだろう。

本書では、知人や身内が陰謀論者になった場合の対処案が紹介されているが、筆者自身、その効果にはどこか懐疑的な様子だ。

結局は、Qアノン的な世界観に「目覚めた」時と同じように、現実に「目覚める」しかない、しかも自分から、能動的にということしか言いようがない。やはり自立や自律、自制の精神を身につけるほかないのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

© 株式会社飛鳥新社