衝撃の名曲!浜田省吾「MONEY」金銭的欲望を正面切ってテーマにしたロックナンバー  12月29日は浜田省吾の誕生日です!

ドラムを叩きながら歌う浜田省吾の声は魅力的だった

12月29日は浜田省吾の誕生日。1975年に “愛奴” というバンドでデビューした時から好きだったアーティストだけれど、気がつけば古希と呼ばれる歳を過ぎているというのは個人的にも感慨深い。

愛奴のデビューシングル「二人の夏」とファーストアルバム『愛奴』が出たのは1975年5月だった。

当時、僕はオープンしたばかりのライブハウス、荻窪ロフトのブッキングを手伝っていて、僕が自分で交渉をしたかどうかは覚えていないけれど、愛奴もステージに立ってくれた。正直に言えば、演奏力がバツグンという印象ははなかったけれど、アメリカンロック・テイストの好感が持てるバンドだった。中でもドラムを叩きながら歌う浜田省吾の声は魅力的だった。

ちょうど愛奴がレコードデビューするひと月前『SONGS』でレコードデビューしたシュガー・ベイブとは、音楽的な違いはあってもどこか通じる部分があるような気がしていた。そういえばシュガー・ベイブでは初代が野口明彦(現、センチメンタル・シティ・ロマンス)、2代目は上原裕がドラムを担当していたが、リードヴォーカルの山下達郎ももともとドラマーだった。そんな部分にもなにか因縁めいたものを感じた。

ファーストアルバム『愛奴』で全曲の作詞を担当するなどシンガーソングライター志向が強かった浜田省吾は、レコードデビュー後間もなく愛奴を脱退。1976年4月にアルバム『生まれたところを遠く離れて』でソロデビューする。この動きも、1976年初頭にシュガー・ベイブを解散して同年12月にアルバム『CIRCUS TOWN』でソロアーティストとしてデビューした山下達郎の動きと重なって見えた。

浜田省吾の原石と言うべきアルバム「生まれたところを遠く離れて」

『生まれたところを遠く離れて』はシンガーソングライターとしての浜田省吾の原石と言うべきアルバムだった。なかでも鬱屈した若者の心情を描いた「路地裏の少年」は、この時期の浜田省吾の自画像を感じさせる “沁みる” 曲だった。「路地裏の少年」に代表される内省的な歌詞の印象もあって、『生まれたところを遠く離れて』は内省的なフォーク・テイストをかなり強く感じさせる聴きごたえのあるアルバムだった。

しかしセールス的には成功せず、彼はよりボップテイストの強い楽曲を求められ、苦しい状況に置かれる中で方向性を模索していく。4枚目のアルバム『MIND SCREEN』(1979年)では、これまですべての楽曲の作詞作曲を自分で手掛けてきた浜田省吾が、過半数の楽曲の作詞が女性の作詞家に委ねられていることも、彼が困難な状況にあったことをうかがわせる。

ポップ路線の成果として、同じく1979年にカップヌードルのCMとタイアップしたシングル「風を感じて」が浜田省吾として初のヒット曲となった。しかし、その結果けっして乗り気ではないテレビ出演を要請されるなど、ストイックに音楽と向き合いたい浜田省吾にとって、結局不本意な状況は変わらなかった。

ロック色の強いシンガーソングライターとしてのスタイルを打ち出した80年代

しかし、ヒット曲が出たことでスタッフに対する発言力を獲得することができたのか、80年代に入ると浜田省吾はポップ路線からロック色の強いシンガーソングライターとしてのスタイルを本格的に打ち出していく。

こうして、テレビへの出演もやめレコードとライヴを主体にストイックに自分の音楽を追求していくアーティストとしての姿勢も、やはり山下達郎との共通点と言えるだろう。初のL.A.レコーディングによる『Home Bound』(1980年)、さらに『愛の世代の前に』(1981年)から『PROMISED LAND〜約束の地』(1982年)などのアルバムを通じて浜田省吾ならではの音楽スタイルを熟成させていった。

それは、広島時代の浜田省吾が岩国基地のFEN(現:AFNアメリカ軍放送網)などで聴き込んできたアメリカンロックの蓄積をベースにしたサウンドに、自分の体験や想いからイメージを広げた歌詞を乗せていくもの。ブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンなどのロック系シンガーソングライターにも通じるものがあるけれど、けっしてその模倣ではなく、被爆二世でもある浜田省吾ならではの “想い” や “葛藤” そして “志” がひしひしと伝わってくるリアルなメッセージソングだった。

初のセルフプロデュースアルバム「DOWN BY THE MAIN STREET」

そして、これらのアルバムで形成された浜田省吾の “世界” をより進化させるアプローチに挑戦したのが『PROMISED LAND〜約束の地』から2年の間隔を置いて、1984年10月に発表された『DOWN BY THE MAIN STREET』だった。

この間、浜田省吾はそれまで所属していたプロダクションを離れ、自らの事務所(ロード&スカイ)を設立し、より自分の想いをストレートに作品に反映できる制作体制をつくりあげていた。この新しい体制で制作された『DOWN BY THE MAINSTREET』は、浜田省吾にとって初のセルフプロデュースアルバムでもあった。

『DOWN BY THE MAINSTREET』を聴いて強く感じるのは、それまで彼が描いてきた “愛の世代” に向かおうとする意志を踏まえながら、より現実的で俯瞰的な “同時代のリアリティ” 伝えるビジョンに進化させようとする姿勢だ。

若者の赤裸々な想いをテーマにした「MONEY」

例えばアルバムの1曲目に収められている「MONEY」は、不幸な生い立ちの中で金持ちになることを熱望する若者の赤裸々な想いをテーマにした曲だ。

これまでも浜田省吾の歌は、時代の流れに取り残されたり、社会の中で弱者の立場に置かれた者へのシンパシーを、自らの “志” と重ねあわせながら描くものが多かった。だから、『Home Bound』『愛の世代の前に』『PROMISED LAND〜約束の地』などに描かれているのは、彼の原点である「路地裏の少年」の成長の物語、として聴くこともできるが、『DOWN BY THE MAINSTREET』では、これまでの作品で提示されたメッセージをリアルタイムの現実と重ねあわせることで、より客観的で具体的説得力をもたせようとしていると感じられた。

「MONEY」の主人公が夢見ているのは現世的な成功者=金持ちになることだ。それは一見、「愛の世代の前に」などで浜田省吾が描いてきた、世俗的欲望に流されずに本質を見抜いていこうとする姿勢とは矛盾するようにも思える。

しかし、人間はいくら理想を掲げていても、同時に世俗的成功への欲望も抱えてしまうものだ。そうした自分の抱えている矛盾も認めるという客観性を持つことで、初めてそのメッセージは、経済面での世界的成功に酔いしれようとしていた1980年代の日本におけるリアリティを持つものになる。だからこそ、浜田省吾はあえて「MONEY」をアルバムの1曲目に置いたのではないか。

1980年代に漂い始めていた “金の匂い” を敏感に嗅ぎ取った浜田省吾と忌野清志郎

金銭的欲望を正面切ってテーマにしたロックナンバーは、ビートルズもカバーしたバレット・ストロングの「マネー」をはじめ、けっして少なくはない。しかし、日本では “金銭の話は下品” という風潮があるのか、露骨に金銭的な欲望を歌った曲はあまり無いような気がする。

あえて言えば、『DOWN BY THE MAINSTREET』の前年にRCサクセションが発表したアルバム『OK』に収められた「ドカドカうろさいR&Rバンド」で、ロックンロールを “子供だましのモンキービジネス” と自虐的に喝破してみせた姿勢と通じるという気もする。その意味で、忌野清志郎も浜田省吾と同じように1980年代に漂い始めていた “金の匂い” を敏感に嗅ぎ取っていたのだ。

もちろん「ドカドカうるさいR&Rバンド」や「MONRY」が、あえて “金への欲望” を強調しているのは、反語的メッセージにより強いリアリティを与えているのであって、どちらも拝金主義を賛美する曲ではないことは言うまでも無い。

80年代を生きる日本人のリアルな物語へと昇華させようとしたアルバム

「MONEY」で始まる『DOWN BY THE MAINSTREET』は浜田省吾のセルフプロデュースアルバムであり、サウンド的にもそれまでのスタジオミュージシャン中心のセッションから彼のバックバンドfuseのメンバーを中心にした編成に変わり、楽曲の編曲も町支寛二、古村敏比古、板倉雅一らのバンドメンバーが担当している。そのせいか、サウンド的にもよりバンド的なアグレッシブな躍動感が感じられるのもこのアルバムの大きな魅力になっている。

『DOWN BY THE MAINSTREET』は、浜田省吾のメッセージを80年代を生きる日本人のリアルな物語へと昇華させようとしたアルバムだったのではないだろうか。そしてその姿勢が次のアルバム『J.BOY』(1986年)以降の、よりディープなメッセージをもつ作品につながっていったのではないか。

カタリベ: 前田祥丈

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