駄菓子も売っていた名物文具店 63年の歴史に幕 沖縄市の高原文具店

高原文具店の閉店を惜しむ人たちから感謝状と花束を贈られた當眞敏子さん=20日、沖縄市高原

 【沖縄】沖縄市の高原小学校前の「高原文具店・駄菓子屋」が11月末で閉店し、63年の歴史に幕を下ろした。店を営みながら子どもたちを見守ってきたのは當眞敏子さん(93)。12月20日、高原区自治会の東條渥子会長らが當眞さんを訪ね、「長年の子どもたちの見守り、居場所の提供をありがとうございました」と感謝状を贈って労をねぎらった。(翁長良勝通信員)

 當眞さんは「地域や子どもたちに支えられ、63年間営むことができた。これからも健康に気をつけ、大好きな老人クラブ活動に精を出したい」と述べた。高原小の与儀健校長やPTA役員の他、小学生時代に店に通った美東中3年の照屋光生さん(15)らもやって来て「名物店が閉じるのが寂しい」と惜しみ、思い出話に花を咲かせた。

 泡瀬出身の當眞さんは小学校の同級生だった嗣栄さんと結婚し、子ども6人をもうけた。1960年に文具店を開き、児童らのリクエストに応えて駄菓子なども販売するようになった。店は「高文(たかぶん)」と呼ばれ、親しまれたという。

 経営が軌道に乗った頃、嗣栄さんは65歳で他界。悲しみに暮れる時間はなく、6人の子育てと店の運営に奮闘した。

 子どもたちも独立し、「いつ店を畳もうかと考えていた」という。それでも「店を閉じたら子どもたちの朝夕の笑顔が見られなくなり、憂鬱(ゆううつ)になるのでは」と踏みとどまり、今年11月30日まで店を営んだ。

 今は老人クラブの活動で、カラオケや民踊、ピクニックなどのイベントに多忙を極めている。孫11人、ひ孫10人がおり、誕生日には必ずプレゼントを贈っている。

 近く同居する予定の孫で高校教諭の知念真紀子さん(48)は「毎回プレゼントが楽しみです」。四女の仲本繁代さん(65)は「おしゃれで一緒に買い物に行くと妹に間違われる。自慢の母です」と話した。

 10月には同市老人クラブ連合会の長崎旅行に参加。たまたま乗った旅客機の機長が次男の栄二さん(61)だった。當眞さんは「機内でアナウンスが流れた際は誇らしく思った。夫も喜んでくれたはず」と笑った。

 高原小と美東中のPTA会長を務めた平安座朝信さんは「敏子さんには『老』の文字が似合わない。人生百年時代の生き方を体現している。あやかりたい」とたたえた。

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