親はらからのここち

昨年、関東大震災の発生から100年になるのに寄せて、被災した与謝野晶子の一首をここで引いた。〈誰みても親はらからのここちすれ 地震(ない)をさまりて朝に至れば〉。被災者の誰もが親のように、はらから(兄弟姉妹)のように思える、と▲晶子の昔に限るまい。「阪神」で「中越」で「東日本」で、身をもって震災を経験した人がいる。そうでない人もいつの日か、いや、今日にでも、被災者にならぬとも限らない▲それは年が改まった日、元日に襲ってきた。民家は倒壊し、閉じ込められた人がいる。山肌は崩れ、津波が達した港では船が転覆した。石川県輪島市では200棟が燃えた。広い範囲で断水が続く。何よりも、亡くなった人の数が刻一刻と増えていくのに胸がふさがる▲帰省して心を温めていた人にも、初詣で「よい年」を願う人にも容赦はない。震度7を観測した能登半島地震は、いまだに被害の全体像がつかめないほどの大惨事になり、不気味な余震が続いている▲壱岐・対馬を含め、日本海側に広く、津波注意報や警報が出され、壱岐市では避難所に身を寄せた人もいる。離島の海の便も一部が乱れ、被災地と地続きなのだと思い知らされる▲荒ぶる大地が早く静まることを。一人でも多くの無事を。〈親はらからのここち〉でただ祈る。(徹)

© 株式会社長崎新聞社