【読書亡羊】「台湾認識」のアップデートはお済みですか? 野嶋剛『台湾の本音』(光文社新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする2024年最初の時事書評!

争点は対中関係だけではない

台湾総統選は、民進党の頼清徳氏の勝利で幕を閉じた。選挙を経るごとに日本での関心も高まっていて、今回の選挙でも報道各社がリアルタイムに近い形で開票速報を報じていたのが印象的だった。

その理由は第一に台中関係であり、その背景にある米中対立の高まりだが、台湾の有権者にとっての争点はもちろんそれだけではなく、民進党政権の総合的な評価であり、外交・安全保障だけでなく経済政策や民進党議員に関するスキャンダルへの査定という面も大きな要素になっていたようだ。同時に選挙が行われた立法院では民進党が過半数を割ったのも、そうした査定の結果といえる。

台湾の選挙はダイナミックで、有権者は政治に対してかなり厳しい目を持っているとも言われる。「民進党びいきだから、常に民進党に入れる」という惰性的な投票行動ではなく、改心を促すためにあえて対立陣営に投票するというようなことも珍しくないという。

事程左様に、親しみのある隣国・台湾であっても、知っているつもりで知らないことは山のようにある。特に保守派にとっては身近な台湾だが、はたして台湾をどの程度知っているのか、その認識は実態に即しているのか。

そんなことを確認できるのが、野嶋剛『台湾の本音――〝隣国〟を基礎から理解する』(光文社新書)だ。

野嶋氏は中国・香港・台湾に留学し、朝日新聞入社後には台北支局長を務めたこともある、現在はフリーのジャーナリスト。「朝日新聞」が引っ掛かる読者もおられるかもしれないが、そこはご安心頂きたい。台湾独立派の重鎮中の重鎮、金美齢さんが「朝日新聞で唯一信頼できる記者」と太鼓判を押す人物なのだ。

そんな野嶋氏が「そこからですか」の基本のキから、優しい語り口で台湾を紐解くのが本書である。

なぜ国民党は中国共産党と親しいのか

基本のキゆえに、台湾に詳しい人であれば言わずもがなの内容と思える部分も少なくないかも知れない。しかしそんな中にも、「え、そうだったの?」と情報が更新される記述に出会うはずだ。

例えば1958年、中国が台湾の金門島を砲撃した「第二次台湾海峡危機」が、「戦後初めて世界が核戦争に近づいた事態」と捉える見方もあるという。差し迫った核戦争の危機と言えば1962年のキューバ危機が真っ先に浮かぶが、実はアメリカはソ連への核攻撃よりも前に「台湾が攻撃されたら、中国本土を核攻撃する」計画を持っていたという。

また、いまいち理解しきれていなかったのが、台湾における国民党の立ち位置だった。「かつては共産党と骨肉の争いを経て台湾に渡り、大陸反抗まで画策していた国民党が、なぜ今、対中融和的(中国共産党に接近)なのか」という点だ。

端的に言えば、これは「第三次国共合作」ゆえだという。国共合作とは、敵同士だった国民党と共産党かつて軍閥打倒、日本打倒のために手を組んだことを指す。その三度目の「合作」が、国民党の連戦党首を中国政府が北京に招いた2005年の出来事だというのだ。

なぜそんなことが可能になったのか。「共産党も国民党も、目的のためには手段を選ばないという姿勢ゆえか」と思ってしまいそうになるが、実はそこには日本人が勘違いしている構図があるという。

野嶋氏は〈国民党は反共=反共産主義ではあるけれども、反中=反中国ではありません〉と述べる。ここだけ読めば「え? だって共産主義と現在の中国は一体のものでしょ?」と思うのだが、そのあたりの国民党・共産党の論理がどのようなものかは、ぜひ本書でご確認いただきたい。

「親台派」こそ読むべき理由

このように、本書を読むと「知ってるつもり」の台湾に対する認識が随所でアップデートされることになる。特に「親台派」が必読なのが〈台湾は「親日」と言っていいのか〉と題する第5章と、〈「台湾有事」は本当に起きるのか〉と題する第6章だ。

筆者(梶原)も決して例外ではないが、何となく台湾を「中国に押しやられているか弱い弟妹」のように思ってはいないだろうか。確かに中国の圧力は強烈であり、台湾が圧力に屈しないよう、台湾有事を起こさせないための日本からの施策やアピールは重要である。

しかし台湾には台湾の意志があり、国民意識はもちろん、政治力・外交力・経済力のいずれも、「未承認国家ではあるが一国のそれ」と捉えるべき強さも持っている。

つい先日も、能登半島地震発生直後に台湾が救援隊を申し出てくれたものの、日本政府がこれを断ったとする報道に、憤慨する向きもあった。

「ありがたい申し出を断るとは何事だ」というある意味素朴な心情の表明から、「某国に忖度したのでは」という政治的意図を勘繰るものまで反応は様々あった。これに対して、台湾外交部が見解を表明する一幕があった。

外交部の報道官は「台湾を断った」との言い方は「台日間の調整の事実とは合致せず、公平性を欠いている」とし、日本政府からは台湾の申し出に対して感謝が表明されたと明らかにした。

「台湾の善意を無にするとは何事だ!」というのは、相手を「弟妹」と見ているからこそではないか、と今一度自分の認識を確認したいところだ。むしろ台湾の表明は、お互いに対等な〝国家〟だからこそなされたものでもあるのではないか。

「台湾社会の理性を軽く見ている」人たち

保守派の場合は台湾を大事に思えばこその「弟妹」だが、実は左派(?)にもそうした意識があるようで、本書でも「日本が台湾に対して独立を煽るから、台湾もその気になり、それを中国が制しようとして東シナ海の波が高くなっている」と見ている人々が紹介されている。

こうした見方について、野嶋氏は次のように苦言を呈す。

台湾社会の理性を軽く見ているか、あるいは台湾の現状を何も知らないかのどちらかで、いずれにせよ、台湾に対していささか失礼な発言だと私は感じます。

これは思想の左右双方に共通する「台湾認識のアップデート不足」から来るものだろう。

オールドな左翼の中には、「中国を警戒すべき対象と考えるなんて、それじゃ右翼と同じじゃないか」「右のやつらが好きな台湾を支持するなんて、冗談じゃない」という人が今なおいると聞く。完全に「中国観」「台湾観」のアップデートが遅れているケースだが、保守派も他山の石とすべきだろう。

これまた筆者(梶原)も同様なのだが、いわゆる日本語世代の台湾人(中でも独立運動派)の人たちの思いはかなり読んだり聞いたりして我が身にしみ込ませてきた一方で、若い世代の台湾人の感覚を理解しているとはいいがたい面がある。

同じ「日本人」でも世代や立場によって考えも価値観も違うように、一概に「台湾人」といっても、かつての日本語世代の台湾人と、今の若者とでは、対日感情も対中感情も、全く違っている(当然、国民党や民進党に対しても見方が違う)。だが、「本当の台湾の多様な声」を聞き、きちんとした情報源に当たらなければ、その「違い」にすら気づくことはできない。

本書は、こうした「台湾認識のアップデート」のために最適である。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

© 株式会社飛鳥新社