連載小説『ふつうの家族』<第10話>

連載小説『ふつうの家族』

 うつ伏せにしなだれかかるようにして、上がり框かまちに頭と両腕を預けている。えんじ色の玄関マットは、男の髪から滴る水でひどく濡れていた。

 きゃあ、と甲高い悲鳴が聞こえる。

 見上げると、子どもたちが階段の中ほどで足を止めていた。兄の肩越しに玄関の様子を目にした舞花まいかが、ぱっちりとした両目を皿のように見開き、倒れた男を凝視している。その前に立っている海かいも、妹を守ろうとするかのように左右に広げた両腕の動きとは裏腹に、父や妹に負けず劣らず度肝を抜かれた顔をしていた。

 動揺しているのは冴子さえこも同じだった。

 目の前の状況が、ちっとも理解できない。

 ドアレバー を握ったまま固まっていると、床に倒れている男に向かって、和則かずのりが我に返ったように呼びかけた。

「おい、何者だ? どうやってこの家に入ってきた?」

 詰問する口調がどうもアメリカ映画風に聞こえるのは、話し手の和則が先ほどのハリウッド映画に影響されているのか、それとも冴子自身がまだ架空の世界に片足を突っ込んだままなのか。

 思考停止していた脳を、吞気のんきで場違いな二択により呼び覚ますと、ようやく眼前の現実が頭の中に滑り込んできた。

 壁を探り、玄関の照明をつける。

 LED電球の白い光が、足元に倒れている人物の上に降り注ぐ。

 玄関マットに頰をつけて目をつむっている男の顔は、こちらに向いていた。若者だ。海よりも──いや、舞花よりも年下か、もしくは同い年くらいかもしれない。あどけなさの残る顔立ちは、見覚えのないものだった。細い身体のラインが透けてしまうほどぐしょ濡ぬれになった白いTシャツの袖から、筋肉のさほどついていない、色白の腕が伸びている。

 若者は返事をしなかった。屈み込んで観察してみると、彼が全身濡れそぼっていることと、顔を赤くして苦しそうな呼吸をしていることに気づいた。水滴の伝う額に手を当ててみる。ひどく熱い。

「何してるんだ冴子、危ないぞ。勝手に侵入してきた不審者だ。ナイフか何かを隠し持ってるかもしれない」

連載小説『ふつうの家族』

挿画:伊藤健介

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