つないだ2万6000キロ

 始まりは1952年、佐世保市-長崎市の7区間93.4キロだった。そこから約70年、長崎新聞社主催の県下一周駅伝は今回がラストレース。きょう28日、最後の号砲が鳴る▲草創期の記事や写真を見ると隔世の感がある。道路事情が悪く、ぬかるみの中を、砂ぼこりの中を、懸命に走る選手たち。沿道には今では考えられないほど大勢の人の姿がある。県下一周はスポーツ界の枠を超えたお祭りだった▲毎年のようにアクシデントもあった。中継点に次走者が見当たらず、急きょ監察車を降りて代役を務めた監督さん。脱水症状で倒れた翌日も志願して走った高校生…。信じられないことではあるが、それが許された時代があった▲今年も数々のドラマが生まれた。例年、選手不足に苦しんできた平戸チームの小場俊雄総監督は、開会式の会場で涙ぐんでいた。「ここに来ただけでね。今年も古里のたすきをつなげるんだなと」▲五島チームは約2年前に他界した元総監督への思いを胸に本番を迎えた。第1、2日に出走した川崎雄哉選手は「まだ墓参りにも行けてなくて…、恩返しをしたかった」とレース後に泣いた▲第1回大会からの通算走行距離は2万6000キロ超。最後は雲仙市小浜町-長崎市の131.4キロをつなぎ、県下一周というドラマは大団円を迎える。(城)

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