伊藤銀次「テレジオ7」収録エピソード! KANが、永井真理子が、BUCK-TICKが…  メインパーソナリティは伊藤銀次!千葉テレビの音楽番組「テレジオ7」

テレビの生放送初体験は「テレジオ7」

1980年代には、 AMやFMなどのラジオパーソナリティーをいくつも経験したけれど、テレビ番組では未体験だった。それが、イカ天に審査員として出演したことがきっかけになったせいなのか、テレビの音楽番組のホストとしての出演依頼が来るようになり、多くはないけれど、2つばかりの番組にメインとして出演することになった。ひとつは名古屋・東海テレビの邦楽バラエティ番組『音もダチだぜ!気分はセッション』。バブルガム・ブラザーズの後任として引き受けて、定期的に名古屋まで通って収録した。

そしてもうひとつが千葉テレビの『テレジオ7』。この番組はもともと洋楽のビデオクリップを流す番組だったのが、80年代後半ごろに今でいうJ-POPやJ-ROCKが盛り上がりを見せてきたことからか、日本のポップ / ロックアーティストを取り上げる内容にシフトを代えて、僕がメインパーソナリティーを務めることになった。なんとテレビの生放送という初体験に、最初はけっこう緊張しまくってたけれど、回を追うごとに慣れてきてだんだん楽しくなってきた。

思わずほっこりしたBUCK-TICKの礼儀正しさ

さまざまなゲストが来てくれて盛り上がった番組だったのだが、なぜか内容に関してはあんまり記憶がなくて、かわりにいまでも克明に覚えているのが、BUCK-TICKがゲストのときのこんなシーン。

それは、僕が千葉テレビに入ろうとしてた時、彼らの乗ったタクシーが遅れて到着、降りてきた5人のメンバーが一斉に僕に気づいてお辞儀をしてくれたことだった。それが、全員あのトレードマークの髪を立てた姿だったものだから、BUCK-TICKのルックスからは想像できなかった礼儀正しさに思わずほっこりしてしまった。

番組出演後、あっという間にブレイクした永井真理子

番組アシスタントを務めてくれたのは、アイドルの成清加奈子さんと、なんとちょうどまだ売り出し中で、ブレイク前の永井真理子さんとKAN君だったのだ。

山下久美子さん、白井貴子さんから巻き起こったガールズロックの波に乗って出てきた永井真理子さんは、新人ながら歌もうまくてとにかくチャーミング。間近で見る彼女は、どこからあんなパワフルな声が出るのだろうと不思議に思えるほど小柄な体型。おまけに当時流行りの新人類という言葉がぴったりくるような小顔だった。僕と並んで席に座ってると、まるで彼女の方がずっと後ろに座ってるのじゃないかと思えるほどだったもんね。

彼女はこの番組に出演後、あっという間にブレイク。その後は機会がなくて、何年も会うことがなかったけれど、2000年代になって、博多在住のビートルズ・オマージュのロックバンド、THE GOGGLESのカバーアルバムに参加したところ、彼女も参加していて、そのレコ発ライブで共演するというひょんなことから再会、旧交をあたためることができたね。いやあ、すっかりアーティストとして成長をとげていた姿を目にして、かなり感激したものだった。

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「愛は勝つ」誕生のきっかけとなる出来事があった?

KAN君はデビューアルバム『テレビの中に』を聴いた時から気になっていたアーティストだったが、つづくセカンドアルバムの『NO-NO-YESMAN』あたりから、音楽性の高さだけじゃなく、その言葉遣いのおもしろさに、すっかりファンになってしまった。その彼がこの番組のアシスタントになると決まった時はほんとうれしかった。テレジオの楽屋ではくだらない話から音楽の話まで、とりとめのないアットランダムな会話がなんとも楽しかったよ。

そんなある日、彼から相談を受けたことがあった。ちょうどその頃彼が交際している女性とのことで、彼女のお母さんが交際に大反対で、どうしたらいいのかという相談だった。その相談に、僕は「お父さんが反対よりもお母さんが反対というのは、なかなかハードルが高いかもね」としか答えられなかった、頼りにならない人生の先輩だったのだけど、残念ながらやはりその交際は実りを迎えることができなかったようだった。

それから少ししてKAN君がリリースした「愛は勝つ」をラジオで耳にした時の僕の驚きはなかったね。これまでの彼の作品は、いずれもウイットに富むひねりの効いたちょっと変化球な詩の曲がほとんどだったのが、この曲はまったくちがっていた。いままで、ここまでストレートなラブソングは彼の作品にはなかったからだ。

どこか “ふんぎり” というか “決意” というか “愛” に対する宣言に近いような歌。うがった考えかもしれないが、何かをふっきるような力強い歌詞に、なんだかこの曲の誕生に、相談を受けたあの出来事が大きなきっかけになってるのではないのかな? と、ひとり気になってしまったのだった。

そのあたりのことを彼から直に聞いてみなきゃと思っているうちに、その後歳月は過ぎ去り、残念ながらこないだ突然亡くなってしまった。

その知らせを耳にしたとき、その天才の早すぎる逝去には驚きのあまり、声もでなかったよ。彼と若き日にいっしょに時間を共有できたことは僕のひそかな自慢。今この場を借りて、哀悼の意を表したいと思います。才気に満ちたすばらしい音楽と楽しい時間をありがとう!! 心からKAN 君の冥福を祈ります。

カタリベ: 伊藤銀次

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