ドラマ「セクシー田中さん」原作の改変が物議に アニメ・漫画業界人はどうみた?

■アニメやドラマ、原作改変はなぜ起こる?

漫画家の芦原妃名子が、昨年にドラマ化された自身の漫画『セクシー田中さん』について、関係者の間で当初の条件が守られず、漫画の内容を大きく改変したプロットや脚本が提出されていた事実をXで報告(現在は削除)。キャラクターの設定が変わり、原作にあった展開がカットされるなど、原作者にとって納得のいかない変更が相次ぎ、自身が9、10話の脚本を書くことになってしまったと明かした。

こうしたトラブルは何度も繰り返されているが、また起こってしまったか、という印象である。それでも最近は、漫画や小説がドラマやアニメになった際、原作通りに制作されるケースが多くなった。一昔前は原作とは違うシナリオが用意されるケースが珍しくなく、序盤は言うまでもなく、特に結末は改変されるケースが多いうえ、原作にはいないキャラが登場したり、主人公に原作とまったく異なる設定が付与されることもあった。言ってしまえば、原作通りになるほうが珍しい時代だったといえる。

一体なぜなのか。様々な事情がある。例えば、アニメが原作のスピードに追いついてしまうために、設定を変更したり、追加したケースだ。『ドラゴンボール』はその筆頭で、原作にアニメが追いついてしまうため、アニメの尺を稼ぐためにオリジナルキャラクターやシナリオが追加されまくった。しかし、『ドラゴンボール』が批判されることが少ないのは、全体は原作のストーリーをなぞっているし、追加部分の違和感がそれほどなかったためだろう。

スポンサーの都合で内容が大幅に改変され、原作と別物のアニメになることもあった。有名な例では、ある少女漫画であろう。原作ではギャグ漫画なのだが、アニメでは当時流行した変身ヒロインの設定が加えられた。これは言うまでもなく、スポンサーが玩具を売りやすくするためであろう。

■今と昔で異なるメディアミックス事情

このように事情は様々だが、原作改変の現場に立ち会ったことのある関係者に話を聞いてみた。あるアニメ関係者は、監督個人の問題で改変されたケースがあると語る。

「監督が、アニメを“自分の作品”として制作したかったため、原作を大胆に変えてしまった例もある。監督のクリエイティブな感性が発揮されすぎてしまい、原作をいじってしまう例は結構あるんです。宮﨑駿さんは原作を改変することで有名ですが、宮﨑さんは実力があるし、原作以上のものをつくってしまうので評価が高い。しかし、私が立ち会った例は、アニメとしての出来がお世辞にはいいとは言えず、原作者やファンに申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

ある大手出版社のベテラン編集者は、このように語る。

「現在はアニメやドラマの出来が原作の売れ行きを左右することが多いため、出版社が脚本を事細かにチェックすることもあります。しかし、かつては映像作品と漫画はあくまでも別物、という考え方の人も少なくありませんでした。あるドラマは原作側もそれほど介入せず、漫画家も『好きに作ってくれ』と事実上丸投げだったこともある。十分に目が届かなかったため、ふたを開けてみたらとんでもないアニメやドラマが制作される事はあったと言えるでしょう」

■双方が納得のいくメディアミックスは可能なのか

しかし、今回の『セクシー田中さん』のケースは、事前に詳細な打ち合わせを行ったのにも関わらず、原作の大幅な改変を招いてしまった。原因は不明だが、問題はかなり根深いといえるだろう。ちなみに、すでに亡くなったある巨匠漫画家は、愛着のあった自身の漫画が映画化された際、脚本を読んで納得がいかず、台本を放り投げたという。原作にあった専門性の高い内容を脚本家が理解せずにシナリオを書いたため、名作でありながら、映画はヒットしなかった。

なお、この記事にあげた関係者の証言も、あくまでも一例であると考えていただきたい。アニメやドラマは商業的な事情も絡み、さらに関係者の数が出版物とは比較にならないほど多い。事情が複雑になるため、問題を誰か一人に押し付けることが難しく、「どうしてこうなった」の事情が説明しにくいのだ。

原作者は自分の作品を我が子のように大切にしている人も多いし、アニメやドラマの制作側にも良いものを生み出したいという熱意がある。昨今はメディアミックスが過熱しており、漫画原作のアニメやドラマは膨大な量が制作されているため、今回のようなトラブルは今後も起きる可能性がある。双方に納得のいく形で、メディアミックスが行われることを願いたいものである。

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