【ドジャースの軌跡】MLBの歴史を変えたドジャース史に残る功労者

1947年4月15日、「42」を背負った男のドジャース・デビューでMLBの歴史が大きく変わった。彼の功績なくして、大谷翔平、山本由伸らのMLB挑戦は生まれなかった。人種の壁を破ったジャッキー・ロビンソンの功績は今もなお、称賛され続けている。

1919年にジョージア州カイロで生まれたジャッキー・ロビンソンは、第二次世界大戦でアメリカ陸軍に従軍したあと、黒人選手だけの野球リーグ「ニグロ・リーグ」で活躍していた。そんなロビンソンに目を付けたのが、当時はニューヨークのブルックリンを本拠地としていたドジャースのブランチ・リッキー会長だった。

リッキーにスカウトされたロビンソンはドジャースに入団。近代のMLBでは初となるアフリカ系アメリカ人選手が1947年4月15日に誕生した。

当時は人種差別がまだ色濃い時代であり、観客や相手チームの選手、さらにはチームメイトからも激しい人種差別を受けた。そんな逆境のなかでもロビンソンは卓越した才能と人格で乗り越え、人種の壁を打ち破った。デビューした1947年からの10年間で新人王、首位打者1回、盗塁王2回、1949年にはMVPを受賞し、オールスター・ゲームにも6回出場するなど活躍し、1955年にはドジャースを世界一にも導いた。1956年オフに移籍話が持ち上がると「ドジャースにいられないならば」と現役引退を表明した。

デビューから50年後の1997年4月15日、ロビンソンの背番号「42」はMLB全球団の永久欠番に指定された。その時点ですでに付けていた選手で最後の「42」となったのは、後に満票で殿堂入りを果たすクローザー、マリアーノ・リベラだった。さらに2004年には「ジャッキー・ロビンソン・デー」が制定され、2009年から全球団の選手、コーチ、監督が背番号「42」のユニフォームを着て試合に出場している。

今もなお、その功績が讃えられるロビンソンがいなければ、野茂英雄のトルネード旋風や、大谷翔平と山本由伸のMLB挑戦もなかったかもしれない。不可能を可能にしたドジャース史に残る功労者は、MLBだけでなく、アメリカのスポーツ界全体に革命をもたらした。

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