もうひとつの憲法9条「海上保安庁法第25条」について考える

中国や北朝鮮など近隣諸国との安全保障に関わる問題や、『海猿』『DCU』などの作品の影響もあり、日本の海を守る海上保安庁への関心が高まっているが、同時に海上保安庁に関するさまざまな“誤解”が世間に広がってしまってきている。元海上保安庁長官・奥島高弘氏が、議論する際のキーワードである「海上保安庁法第25条」について解説します。

※本記事は、奥島高弘:著『知られざる海上保安庁 -安全保障最前線-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

世間からの注目度が高まっている海上保安庁

世間一般の海上保安庁に対する認知度や評価はどうでしょうか。海上保安庁の予算や勢力について、講演会などで一般の方に話をすると、よく「イメージしていたよりも意外と規模が小さいんですね」と言われます。

こうした反応に象徴されるように、海上保安庁はまだ多くの国民にとって「名前は知っている(あるいはニュースやドラマ・漫画などを通じて海難救助や領海警備の仕事をしていることは知っている)けれど、実態はあまり知られていない組織」なのでしょう。

これについては、海上保安庁側がもっと発信力を強化して、国民の皆さまに海上保安庁の実態について知ってもらう努力をしていく必要があると思います。ただ、海上保安庁に対する世間の関心は、以前に比べて格段に高まっている実感はあります。

実際、私も退職後には「前海上保安庁長官」ということで、多くのマスコミから取材依頼を受けました。マスコミの関心はイコール国民の関心事です。それほど海上保安庁の考えや動向が国民的な関心事項になってきたのだと思いました(私が若かった頃の海上保安庁は、海上自衛隊と間違われるのが関の山というくらい超マイナーな組織でした)。

その一方で、海上保安庁に関するさまざまな“誤解”が世間に広がってしまっている、という実感もあります。たとえば、近年、散見されるようになったのは次のような意見です。

「外国のコーストガード(沿岸警備隊)は、一般的に軍事機関かそれに準ずる組織だ。しかし、日本の海上保安庁は非軍事の警察機関(法執行機関)だ。これは世界標準から見るとガラパゴス化している。海上保安庁を軍事機関(あるいは準軍事機関)にしなければ、中国の脅威にも対抗できないし、有事の際に自衛隊やアメリカとの連携もうまくいかない」

こうした意見には、じつはいくつか重大な誤解が含まれているのですが、一見もっともらしい内容なので、安全保障に関心が高い人ほど、こうした意見に賛同しやすい傾向があるように思われます。

また、こうした意見を主張される方が決まって言及するのが、海上保安庁法第25条(以下「庁法25条」)に関してです。

庁法25条というのは、海上保安庁の非軍事性を明確に規定しているものであり、次のように書かれています。

「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」

海上保安庁を法執行機関から軍事機関に変えるべきだ、そう主張する人たちの多くは、この庁法25条を削除すべきだと訴えています。

すなわち「海上保安庁法に、こんな条文があるから海上保安庁を軍事機関にできない」

さらに「日本は世界から取り残されガラパゴス化している」という意見すらあります。

ちなみに、庁法25条は「もう一つの憲法9条」とも呼ばれているそうです。しかし、これも大きな誤解です。

海上保安庁を軍事機関するとデメリットが大きくなる

庁法25条は、1948年の海上保安庁設立当初から存在する、海上保安庁の非軍事性を確認した規定です。これは本来、当然のことを念押しする形で確認する、いわゆる「入念規定」であり、たとえこの規定がなくても、じつは海上保安庁の非軍事性に変わりはありません。

そもそもの話ですが、海上保安庁法に定められた任務や所掌事務の規定から見ても、海上保安庁が非軍事の法執行機関であることに疑いはありません。

つまり、庁法25条が存在しているがゆえに、海上保安庁は軍事活動を禁じられているわけではなく、仮に庁法25条を削除したところで、海上保安庁の法的性格が変わる(法執行機関ではなくなる)わけでもないのです。庁法25条の存否のみを問う類の議論はナンセンスだと思います。

▲巡視船と中国海警船 提供:海上保安庁

もちろん、領海警備を軍事機関が行うべきか、法執行機関が行うべきかという政策的な議論自体は、国家の安全保障のあり方を左右する大変重要なものです。それを議論することに意味がないと言っているわけではありません。

実際に「領海警備は国家の主権を守るものなので、法執行機関が行うのは適当ではない。軍事機関が行うべきだ」という主張もありますし、軍隊が領海警備の任務を担っている国もあります。

しかし、そうした国と同じようなやり方で、海上保安庁を軍事機関化して領海警備をすることが日本に適しているのか、国益にかなうのか、と言われると、私は疑問に思います。日本は、国家間の紛争解決の手段として戦争を放棄している平和国家です。

また、法の支配に基づく「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の実現を主導的に推し進めている国でもあります。そんな日本の立場からしても、軍事機関ではない法執行機関が領海警備を行うことは最も適した対応であり、非常に大きなメリットがあると私は考えています。

逆に言うなら、海上保安庁を軍事機関にしてしまうと、その大きなメリットが失われ、デメリットのほうがむしろ大きくなると思われるのです。

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